なぜ「自由で開かれたインド太平洋」におけるASEANが重要なのか?

安倍晋三首相は、2012年の第二次安倍政権発足後、最初の訪問先としてベトナム、タイ、インドネシアのASEAN三ヶ国を訪問し、「戦略的パートナーシップ」を一層強化していくことを確認したほか、「対ASEAN外交5原則」を発表し、「日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく」旨を就任早々に表明した。その後の安倍政権下で、2016年8月に、著しく成長する環インド洋地域と太平洋地域を結びつける新しい概念として「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」戦略が提唱されたが、2019年にASEAN首脳が「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」を発表した際には、安倍首相は、日本がAOIPを全面的に支持し、FOIPとのシナジーを実現しAOIPの具体化実現に向け協力していく旨を表明している。こうした精神は、菅義偉政権を経由して岸田文雄政権でも踏襲され、2023年1月に米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院で岸田首相が行なったスピーチでは、「日本にとって最も近く重要な仲間たち」として東南アジアに触れて、FOIPと「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」が共鳴することの重要性が改めて強調された。

このように、FOIPとASEANとの関係はFOIP登場から現在に至るまで、度々強調されてきた。なぜASEANは、FOIPにとってそれほど重要であるのだろうか。以下では、両者の関係性に焦点を当てながら論じていきたい。
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なぜFOIPにおいてASEANが重要なのか?

第一に、これまで日本を含むASEAN内外の国々が尊重してきた「ASEAN中心性(ASEAN Centrality)」が損なわれることは、インド太平洋の秩序が米中対立を軸に形成されてしまうことを招きかねず、自由で開かれた秩序の実現がより困難になる。ASEAN諸国は、東西冷戦という大国間争いが激しい安全保障環境の中で国造りを進めてきたという歴史があり、そうした教訓からも、大国間対立に与することなく、ASEANの主体性を強調した「ASEAN中心性」の原理を掲げてきた。しかし、近年ASEAN諸国との関係において、中国が影響力を行使する中で、ASEANの結束力が乱され、「ASEAN中心性」が損なわれるような事例が生じている。例えば、南シナ海における中国とASEAN諸国との領有権問題をめぐっては、内陸部のラオスやカンボジアは、ASEANではなく、中国の利益に沿うような動きを見せていることがASEAN内部で懸念として噴出している。こうした中国の台頭に伴う「ASEAN中心性」の減退は、「法の支配」に基づく自由で開かれた国際秩序を減退させるものであり、ゆえに、FOIPにおいて「ASEAN中心性」の維持は重要なのである。

第二に、それにもかかわらず、ベトナム戦争以降の米国においてASEANに対する包括的な戦略枠組みが明確に存在してこなかった。実際に、2017年1月に誕生した米国のトランプ政権が12月に発表した新しい「国家安全保障戦略」文書において、中国に対抗する米国の軍事戦略の文脈の中にFOIPを位置づけたことで、中国に対して包括的なアプローチを取ろうとするASEAN諸国から警戒されたことがあったが、このことからも、米国のFOIP戦略において、「ASEAN中心性」が十分考慮されてこなかったことがわかる。こうした中で、日米同盟を基軸としながらも、包摂的なアプローチをFOIPで採用してきた日本が、米国から一定程度自律した形で外交を展開できるのがASEANである。インド太平洋地域における「法の支配」に基づく自由で開かれた国際秩序の維持という目標を米国と共にしながらも、これまで開発協力を通じて培ってきたASEANとの信頼関係の延長線上に、日本が独自に展開できる外交の幅が広くある。

どのような取り組みがなされてきたか?

それでは、日本はFOIPの枠組みの中で、ASEANに対して実際にこれまでどのような外交を展開してきたのだろうか。たとえば、第二次安倍政権ではそのようなASEAN諸国の意向も尊重して、軍事的な性質を示唆する「戦略」という用語を用いることを控え、「構想」という用語を代わりに用いるようになった。とりわけ、岸田政権下においては、2023年3月20日に岸田首相のインドのニューデリーでの外交政策演説、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)のための新たなプラン」(新たなプラン)に明瞭に示されているように、よりいっそう経済協力としての性質を強めていった。そこでは、グローバル・サウスへの関与を重視し、新たに日ASEAN統合基金に1億ドルの拠出を行うことを表明した。またこれをクアッドと連携させる必要性も強調されており、2023年までに全てのクアッド参加国がASEANとの関係を「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げし、同年ASEAN諸国の首相と個別に会談を実施している。FOIP協力の枠組みがクアッドの中でも浸透しつつある。

具体的な取り組みを見てみよう。第二次安倍政権以降、東シナ海や南シナ海での海洋進出を強める中国の存在を背景に、ASEAN諸国に対して、JICAが実施する政府開発援助(ODA)の枠組みで海上保安能力向上に向けたプロジェクトが実施されてきた。岸田政権では、2022年の「国家安全保障戦略」において「ODAを始めとする国際協力の戦略的な活用」が明記されて以来、2023年12月には、インドネシア海上保安機構向けに大型巡視船1隻が供与されたほか、2024年5月にはフィリピンに対して、大型巡視船5隻が供与された。さらに、ASEAN諸国に対してはより包括的な海洋監視に関する訓練プログラムが提供され、違法漁業、不審船、密航・密輸、テロ、海賊、人身売買、自然災害等といった非伝統的な安全保障の問題に対処すべく、海上保安力強化の取り組みが継続的に実施されてきた。合わせて、防衛協力も積極的に進められており、「防衛協力強化のための日ASEAN大臣イニシアティヴ:ジャスミン」では、日本のFOIPとASEANが掲げるAOIPが地域の平和、安定及び繁栄 を促進する上で本質的な原則を共有することが改めて確認された。

こうした活動は、米国海軍がこれまで中国を牽制する形で台湾海峡や南シナ海で実施してきた「航行の自由作戦」と利害を同じくしながらも、あくまで、ASEAN各国の治安維持・防衛力の強化に資する国際協力として展開されてきたという点で、「構想」としてのFOIPが前政権からのASEAN外交の延長線上で、形を帯びてきた証だと言えよう。

さらに、「新しいFOIP」で明示されたこのような具体的な協力のプログラムは、安全保障の領域での日本とASEAN諸国の連携においても着実に成果を出しつつある。例えば、自衛隊も参加している米・インドネシア主導の多国籍共同軍事訓練Super Garuda Shield 2024がインドネシアで今年実施されたが、この訓練を主導したインドネシア軍幹部には日本の総合幕僚学校で教育を受けたインドネシア人も複数人含まれていたようである。

ASEANとの柔軟な協力の重要性

これまで、日本のASEAN外交は、日米同盟を基軸としつつ、米中対立のなかでの一定の自律性を尊重しながら、経済・安全保障分野での幅広い協力という形で、展開されてきた。だが、米中対立が続く現状のなかで、今後さらにASEAN諸国の関係に新しい変化が生じる可能性もある。今後のそのような動向にどのように日本が対応していくかもまた、FOIPの枠組みにおいて、日本とASEANの協力の方向性に一定の影響を及ぼすであろう。

たとえば、ガザ紛争勃発以降のASEAN諸国の米国との関係の変化や、米中対立がもたらすサプライチェーンの再編にASEAN諸国がどのように対応しているかということが、ASEANの結束にも影を刺すことになるかも知れない。第一に、ASEAN諸国における米国の影響力の相対的な低下に注目する必要があるだろう。2024年のISEASの調査によると、「米中のどちらか一方につくとすればどちらか?」という質問に対して、昨年はASEAN 全体の61.1%が米国と回答していたにもかかわらず、今年の調査では、過半数を下回る49.5%まで大幅な下落が見られた。中国との領海問題に頭を悩ませているフィリピンやベトナムでは、米国のプレゼンスが相対的に高い一方で、インドネシアやマレーシアといったイスラム教の国々では、ガザのイスラエル・パレスチナ紛争を機に、この1年で反米色が高まったことがその理由として考えられる。

第二に、その著しい経済成長を後ろ盾に、ASEAN諸国ではこれまで以上にグローバルに経済的影響力を行使する必要が認識されている。例えば、米中がそのサプライチェーンで競合している電気自動車(EV)産業では、インドネシアがASEANにおけるEVサプライチェーンのハブとなるべく、これまで自動車産業や製造業で優位な立場にあったベトナムやタイと競合する姿勢を見せている。こうしたASEAN域内の変化は、これまでの「協力」の枠組みとして発展してきたASEANを「競合」の場へと変容させる可能性がある。

米中対立や中東情勢が、いまやASEANの役割それ自体にも変化をもたらしている。そのようなASEANの動きも視野に入れながら、「自由で開かれたインド太平洋」をさらに進化をさせていくことが、日本にとって重要となるであろう。

(Photo Credit: 毎日新聞社/ Aflo)

 

執筆者

上砂 考廣(API松本佐俣フェロー)

大阪大学国際公共政策研究科修士課程修了(総代)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス政治学部修士。シンガポール国立大学を経て2022年よりケンブリッジ大学開発学研究所博士候補生。2024年11月より英国際問題戦略研究所(IISS)に派遣予定。これまで三菱重工業(株)にてアジア新興市場向けの交通インフラの営業を担当したほか、政策研究大学院大学研究院リサーチフェロー、ケンブリッジ大学地政学研究所リサーチ・アシスタントとして経済安全保障やインド太平洋地域の地政学に関わる研究活動に従事。専門は政治学及びアジア研究。主にインドネシア・東ティモールをフィールドにナショナリズムやエネルギー資源をめぐる政治経済学に関する研究を行ってきた。2021年米国アジア学会パタナ・キティアルサ賞受賞。

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