日本の経済安全保障「金融」巡る重要な3つの観点
経済安保とインフラ金融、通貨、金融制裁
「経済安全保障」と言ったときに多くの人が思い浮かべるのは、輸出管理、対内投資審査、サプライチェーン強靭化、先端技術研究開発といった項目であろう。これらは重要だが、それらに加えてインフラ金融、通貨、金融制裁なども、経済安全保障の観点で欠かせない。
自由民主党の提言「『経済安全保障戦略』の策定に向けて」では、経済安全保障を「わが国の独立と生存及び繁栄を経済面から確保すること」と定義する。金融、通貨を含めた国際経済の枠組みが、そのルールや運用において、日本の独立・生存・繁栄を守るように形成・維持されることは日本にとって重要な課題だ。
一帯一路とその問題
中国によるインフラ金融支援のイニシアティブである「一帯一路」に関して、中国の公式文書は「相互利益とウィンウィン」を強調する。実際には中国にとっては、
① 国内の過剰生産能力のはけ口としての経済的利益
② 対外的影響力強化を目指す地政学的利益
③ 習近平主席の威信の発揚
といった狙いがあろう。
「一帯一路」は、アメリカをはじめとする国際社会から「債務外交」「債務の罠」と厳しく批判される。スリランカのハンバントータ港は、十分な収益を上げられない中で所有権が中国側に移転、「債務の罠」として注目を集めた。
また、中国の「一帯一路」融資は、情報開示が不十分なこと、借入人が集団的な債務再編に参加することを禁ずる特異な条項(非パリクラブ条項)を融資契約に含めるケースが多いこと、なども研究者が指摘し、批判を招いた。
ハンバントータ港の経緯を見ると、経済性の低いプロジェクトを、必要コストを膨らませながら企画・主導したのはスリランカ側だ。しかし、そこに資金を注ぎ込み経済性のないプロジェクトを成立させたのは中国だ。スリランカの腐敗の中に、地経学利益の機会を見いだし利用した点で中国は加害者であり、被害者は経済性のない港湾のために借金を負ったスリランカ国民と言えよう。
一帯一路の改革と西側の対応
中国も「一帯一路」への批判を深刻に受け止めている。2019年4月の第2回「一帯一路」国際フォーラムでは、環境配慮、汚職防止、債務持続性配慮など「一帯一路」の質を向上させることが謳われた。その半年前の2018年10月には、日本の政府系金融機関である国際協力銀行は、「一帯一路」向け融資を積極的に行う中国国家開発銀行と覚書を締結し、開放性、透明性、経済性、財政健全性といったグローバルスタンダードの順守が重要であると確認した。
中国の経常収支黒字も一時に比べて減少する中、「一帯一路」の新規金額規模は縮小しているが、習近平主席の威信と結びつき共産党規約にも規定される「一帯一路」を中国が放棄する可能性は低い。今後の「一帯一路」が改善された形で運用されるのであれば望ましいが、中国の実際の行動を確認していく必要がある。
日本はこれまでインフラ金融に関して長い歴史を有し、2016年の「質の高いインフラ投資推進のためのG7伊勢志摩原則」の取りまとめを含めてインフラ金融の世界をリードしてきた。アメリカも、「一帯一路」に対抗する観点から2019年末にアメリカ国際開発金融公社(DFC)を発足させるなど、インフラ金融に力を入れ始めている。
また、日米豪で協力してパラオの海底ケーブルを支援するなど、「一帯一路」の代替オプションを提示する動きも進んでいる。日本は同志国と協力しつつ、経済性、債務持続性、環境などに配慮した質の高いインフラに向けて引き続き取り組むとともに、必要に応じ受入国のガバナンス強化の能力構築支援を行うことも重要だ。
また、スピードアップを含めて受入国から見た利便性を高める努力も続けていくのが望ましい。さらに、気候変動への対応として低炭素プロジェクトや移行(Transition)プロジェクトの支援に力を入れることも重要だ。
CBDC導入に向けた動き
中国は2015年に公表した「一帯一路:ビジョンと行動」で、周辺国による人民元債の発行など人民元の利用拡大の方策も記載している。他方、2021年1月にアメリカ元政府高官が匿名で発表し話題となった対中戦略「より長い電報」では、アメリカの戦略が「軍事」「技術」「価値」そして「米ドル」という4つ強みに支えられていると指摘、基軸通貨ドルの地位の維持を重要な戦略目標と強調する。
こうした中、中国は中央銀行デジタル通貨(CBDC)であるデジタル人民元の導入準備を進めている。中国が有利なのは、アリペイ、ウィーチャットペイなどの民間デジタル通貨が浸透し、人々の間でデジタル通貨への抵抗感がないことだ。
中国が検討しているのは、中国人民銀行(中央銀行)が銀行等にデジタル通貨を発行し、人々は銀行等からそれを受け取るという間接方式(2段階方式)だ。ブロックチェーンは使わず、中央集権的な発行が想定されている。
匿名性に関しては「管理された匿名性」を付与するとの説明だが、売買に伴う資金については「売り手」には「買い手」の情報が共有されないが、中国人民銀行はすべての情報を把握する可能性がある。すでに複数の都市で実証実験を行っており、北京冬季五輪でより大規模な展開が見込まれる。拙速を避けるべく、完全導入のタイミングの明示は避けつつも着実に準備を進めている。
これに対してアメリカは、研究は進めることとなったが、必ずしもCBDC導入が前提ではない。FRB内にもウォーラー理事など、CBDC導入に否定的な意見は根強い。日本もCBDC導入ありきではないが、検討は進めるということで概念実証を実施中であり、その結果を踏まえつつ、パイロット実験を行うことが見込まれている。
通貨覇権と経済安保
基軸通貨となるには、強い経済力・軍事力に加え、取引の規制が少なく世界の企業や政府がその通貨を保有したいと考えることが重要だ。しかし、人民元にはまだ多くの資本規制が残る。加えて、基軸通貨には強い慣性が働く。経済力、軍事力を高める中国だが、現時点でドル覇権が危機というのは言いすぎだろう。
中国自身も、現在、基軸通貨の地位をドルから奪うことは考えていないと思われる。しかし、中国は、自国が関係する国際取引でのドルの支配的状況を脱したいとは考えている。これは、基軸通貨となり巨額の通貨発行益を得たり、為替リスクを気にせずに経常収支赤字をファイナンスできる「法外な特権」(Exorbitant Privilege)を獲得したりしたいからではないだろう。むしろ、貿易・金融におけるドル依存の状況が、アメリカの金融制裁等に脆弱であることへの警戒という「経済安保」的動機が大きいと思われる。
デジタル人民元自体は、当初は国内取引が念頭にあり、広がりを見せるとしても、まずは「一帯一路」対象国との貿易決済からだろう。ロシアも近年、外貨準備に占めるドルの比率を低下させるなど、アメリカの金融制裁を警戒する国は、通貨選択の際に経済安保も考慮する。加えて、SWIFTのメッセージを使った送金など現在のレガシーシステムがコストやスピードの点で必ずしも利用者の期待に応えていない状況を考えれば、中国のCBDC導入が「現状維持」の慣性を揺さぶる可能性はある。
金融制裁
アメリカにとって、金融制裁は、安全保障や外交上の脅威に対応するための重要な手段であり、特に、2001年の9.11以降に多用されたが、「乱用」との批判もある。アメリカ内でも金融制裁を見直す動きはあり、2021年10月にアメリカ財務省は、自らが所管する経済・金融制裁のレビュー結果を報告した。
同報告書は、「ドルの利用を減らす動き」や「デジタル通貨を含む新たな支払い手段の登場」などにより制裁の有効性が挑戦を受けているとの認識を示し、改善点として、「明確な政策目標と結びつける」「可能な場合に多国間で協調する」といった提案を行っている。こうした改善提案は妥当だが、報告書は、制裁多用が「ドルの利用を減らす動き」の一因との判断は避けており、この点は踏み込み不足との印象を受ける。
アメリカの金融制裁の有効性は、同盟国の日本にとっても重要だ。金融制裁は強力だが、抗生物質のように、使い過ぎると効果が低下する。また、同盟国等との事前調整なく、2次制裁(制裁の対象国・企業と取引する第三国の企業も制裁対象とすること)を含む金融制裁を乱発すれば、同盟国等からも批判が高まり金融制裁への国際的支持は低下する。日本は、アメリカの金融制裁の有効性が維持されるよう、アメリカにその「乱用」を戒めるとともに、必要な場合にはともに行動するなど、価値観を共有する同盟国として振る舞うことが求められる。
戦略的視点の重要性
インフラ金融も通貨選択も、経済的合理性に裏打ちされる必要がある点は論を待たない。しかし、両者とも、地経学の手段として経済安保の要素を無視できない分野である。金融制裁は代表的な地経学的手段だが、その乱用は、ドル使用の経済合理性を傷付ける可能性がある。いずれの分野も、「経済合理性」と「経済安保」の双方の観点から戦略的な検討が重要だ。特に、これらの分野では短期的効果のみに着目するのではなく、長期的影響を考慮しつつ能動的な検討と準備を進めていくことが大切であろう。

地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。


Visiting Senior Research Fellow
Mr. Oya assumed current position from November 2024. Prior to that, he worked at the Japan Bank for International Cooperation (JBIC), where he was involved in financing infrastructure and resource projects and launching a carbon fund, and also served as head of JBIC New Delhi office and Director, head of the European Bank for Reconstruction and Development (EBRD) Tokyo office. Chief Analyst of Sojitz Research Institute from August 2024. Master of Laws, Boston University Master of Finance, George Washington University
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