中国政治の「矛盾」がもたらす隘路――統一戦線工作の視点から

第2次トランプ政権の誕生により、中国をめぐる問題はますます多様化し、流動化するだろう。米中対立の深化、台湾有事への懸念、中国経済の停滞、それに伴う中国社会の不安定化。こうした目に見える焦点を考察する必要性は、いうまでもなく高い。だが同時に、静かに漸進する中国政治の変化を看過してもならないのではないか。なぜなら中国政治の根底には、社会の多様化と政治的安定――すなわち経済発展の継続と共産党による一党独裁体制の維持――を同時に達成しなければならないという構造的矛盾が存在するからである。とりわけ習近平政権の志向性を理解するためには、習政権がいかに過去から継続する政治課題に対処してきたのかを展望する意味は大きい。

こうした問題意識から地経学ブリーフィングでは、習政権が社会にもたらし変化をテーマに据えた4つの論考――本稿に続き、高等教育の大衆化、産業政策の展開、香港情勢――において、中国社会と国家権力の緊張関係を検討する。初回となる本稿では、共産党が中国社会に網の目のように組織を張り巡らせ、各アクターを管理下におくことで統治の安定化を図る統一戦線工作と経済政策の連動性について考察する。
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習近平政権における統一戦線工作の展開

「統一戦線」とは、簡潔に言えば、共産党が特定の政治的目的のために党外の協力者を取り込む方策である。中国共産党は従来、共産党以外の政治勢力を懐柔または抑圧することで自らの統治能力を高めてきたが、もともとは1920年代初旬にコミンテルン(共産主義インターナショナル)のもとで国際共産主義運動の戦術論として定式化された概念であった。統一戦線の主たる対象は、①政党関係(共産党と各民主諸党派の関係)、②民族関係、③宗教関係、④階層関係(社会階層間の関係)、⑤国内外の同胞関係(香港、マカオ、台湾の人々や海外華僑との関係)からなる「五大関係」として整理される。すなわち統一戦線工作部はウィグルやチベットなどの少数民族問題、台湾・香港問題や宗教団体の取り締まりなど、国内統治における最重要課題を所管している。

では習近平政権はどのように統一戦線を活用してきたのか。まずその背景として、習近平時代の世論統制を概観しよう。2013年3月に成立した習政権が社会への統制を強化しはじめた起点は、同年8月の全国宣伝思想工作会議であったとされる。同会議で共産党中央は、社会に対する「イデオロギーの誘導と管理の強化」を明示し、これ以降、中国の言論空間は急速に自由を失っていった。

その背景にあったのは、社会の多様化に対する危機意識である。2001年にWTO加盟を果たした中国では、急速な経済発展に伴い社会構成や政治思想における多様化が進み、それと同時に社会主義イデオロギーの求心力は低下していった。さらに2000年代に旧共産圏諸国でカラー革命が起きた事を受けて、歴代の党指導部は「西側の思想の影響を受けた人々」や「国際的な敵対勢力」への警戒感を高めていたのである。こうしたなか共産党における統一戦線工作の役割は、人的・組織的ネットワークを介して抑圧と誘導を両輪とする世論コントロールを幅広く推し進めることにあった。その一つの表れとして統一戦線の対象は社会の多元化に応じて徐々に拡大しており、1979年の第14回全国統一戦線工作会議では統一戦線の範囲ないし対象として8項目が設定されていたが、81年の第15回会議で10項目、00年の第19回会議では12項目、06年の第20回会議で15項目にまで増加した。

2015年5月に党中央は「中央統一戦線工作会議」を初開催し――従前の全国統一戦線工作会議は第20回まで開催された――、中国を取り巻く内外情勢はすでに変化したという認識に基づいて「新しい形勢下の統一戦線工作」を提起し、全党を挙げた統一戦線を指示した。また「中国共産党統一戦線工作条例(試行)」において党外の人々に対する党の指導性(領導)を強調、私営企業や外資企業の管理技術者、仲介組織の従業員、フリーランサーなどの「新社会階層」と呼ばれる人々を重視する姿勢を改めて打ち出した。組織的にも、同年7月に国内各組織の統一戦線工作を主管する中央統一戦線工作領導小組が設置され、2018年3月の党と国家の機構改革においては国家組織である国務院僑務弁公室、国務院国家民族事務委員会、国務院国家宗教事務局が党組織である中央統一戦線工作部の指導下に組み込まれた。これは華人・華僑、少数民族、宗教に関する実務管理が党に一元化されたことを意味する。さらに2019年10月以降は、「大統戦」(広範で強力な統一戦線の推進を意味する)の方針を継続して掲げている。

2022年7月には2度目の中央統一戦線工作会議が開催された。ここで習近平は「世界では百年来の大変動が加速しており、統一戦線が国の主権と安全、発展の利益を守る上での役割は重要さを増している」「わが国の社会構造は大きな変化が生じており、党の階級的基礎を増強し、大衆的基礎を拡大する上で統一戦線が果たすべき役割も一層重要になっている」と国内外に対する強い危機認識を示した。続く10月の第20回党大会における活動報告では「大統戦工作の構成を優れたものにし(完善大统战工作格局)、大団結と大連合を堅持」して「中華子女全体」を動員するとした。2024年7月の中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議(三中全会)では、「中国式現代化」を推し進める目標が示されると共に、同会議で採択された「改革を一段と全面的に深化させ、中国式現代化を推進することに関する党中央の決定」には「大統戦工作の構成を優れたものにしなければならない(要完善大统战工作格局)」と再び明記された。

「中国式現代化」政治キャンペーンとの連動

総じて習近平政権期の統一戦線工作には、イデオロギーの重視、多様なステイクホルダーの取り込み、組織改編と法整備による制度化、という3つの特徴がある。このように統一戦線が拡大、強化されたのは、習政権が共産党の求心力低下への危機感を高めていることの反映であろう。

その観点から、2024年8月の三中全会を機に改めて「大統戦」の号令がかけられたことは注目に値する。その狙いは、一つには三中全会で示された「改革」重視の方針を浸透させる政治キャンペーンの一環と考えられる。中国政府は9月末から経済政策を打ち出しているが、不動産不況に足を取られて消費の回復が遅れている。就職難や賃金低迷から多くの人々が不満と不安を募らせており、既に無差別殺傷事件が頻発するなど、治安悪化の兆しもみられる。そうしたなかで共産党が「大統戦」を推進する主眼は、中国社会と党との同質化を促すことにあるだろう。組織的なネットワークを介入手段とする統一戦線工作に、犯罪という社会システムから逸脱する行為を抑止する効果は見込みにくいが、マスの集合的認知を誘導するうえでは有効だ。

三中全会以来の「大統戦」のもう一つの狙いには、「民営経済」の重視があると考えられる。「国進民退」と揶揄される経済の不均衡を是正するうえで重要性を増すのが、「新社会階層」の一端と位置付けられる私営企業家である。三中全会で民間経済の発展を促進する方針が示されたことを受け、10月10日には中国司法省と国家発展改革委員会が「民営経済促進法」草案を発表し、11月8日までパブリックコメントを募集した。また11月7日に北京で開催された「民営経済の代表的な人士」を集めた座談会では、中央政治局委員兼中央統一戦線工作部長(大臣級)の石泰峰が「民間経済は中国式現代化を推進する新鋭軍であり、改革に参加し推進する重要な力でもある」と企業家たちに発破をかけた。思い起こせば党中央は1980年代に改革開放政策を導入した際にも、「愛国統一戦線」という新しい概念を創出し、工商業者を「十大統戦対象」に加えて地位を保証した。これに先立つ文化大革命で粛清されていた経済人材の再登用を図り、企業活動を「経済発展に寄与することが愛国的な行為だ」と称揚することで改革開放政策に動員していったのである。

すなわち統一戦線工作は習政権のもとで、党のグリップ再強化を図ると同時に民間経済の再活性化を促す政治指導のツールとして用いられている。だが長期的な経済成長の逓減が見込まれるなか、内需主導型経済へ向かうための構造改革は手つかずのまま、社会統制先行の感が否めない。経済発展を推し進める際には同時に統制を強化しなければならない、という中国政治の「矛盾」は、経済停滞から抜け出せない習近平政権下において一層深まっている。これからの経済政策の行方を推し量るうえでは、中国の私営企業がどこまで国有企業との競合を許されるかの許容度が、習政権の「本気度」を計る一つの指標となるだろう。

 

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地経学ブリーフィング

コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人
地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

Naoko Eto Senior Fellow & Group Head, China
ETO Naoko is Professor at the Department of Political Science, Gakushuin University. Her main research interests include contemporary Chinese politics, Japan-China relations and East Asian affairs. Before taking up her current position, she was an associate senior research fellow at the Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (IDE-JETRO) and a research fellow at the Center for Area Studies, National Institutes for the Humanities (NIHU). She was also a visiting research fellow at the School of International Studies, Peking University and the East Asian Institute, Singapore National University. She holds an MA in international policy studies from Stanford University and a PhD in political science from Keio University. [Concurrent Position] Professor, Department of Political Science, Gakushuin University
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Naoko Eto

Senior Fellow & Group Head, China

ETO Naoko is Professor at the Department of Political Science, Gakushuin University. Her main research interests include contemporary Chinese politics, Japan-China relations and East Asian affairs. Before taking up her current position, she was an associate senior research fellow at the Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (IDE-JETRO) and a research fellow at the Center for Area Studies, National Institutes for the Humanities (NIHU). She was also a visiting research fellow at the School of International Studies, Peking University and the East Asian Institute, Singapore National University. She holds an MA in international policy studies from Stanford University and a PhD in political science from Keio University. [Concurrent Position] Professor, Department of Political Science, Gakushuin University

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