地経学的変動に揺らぐEU
しかし、そうした流れも大きく変化している。2023年に入り、EUの執行機関である欧州委員会委員長のフォンデアライエンが対中政策を発表し、続いてドイツも対中戦略を発表した。他方で、フランスのマクロン大統領は2023年に中国を訪問し、その後のインタビューで台湾問題に関して「自分たちとは関係のない世界の混乱や危機に巻き込まれるべきではない」と発言して大きな波紋を呼ぶなど、中国に対する脅威認識にばらつきがみられる。
本特集では、こうしたEUと欧州各国がどのように経済安全保障をとらえているかを分析し、経済安全保障をめぐる概念と政策において、日本におけるそれとどこで一致し、どこで異なっているのかを明らかにすることで、経済安全保障においてどのような協力が可能なのかを検討する。まず、本稿では中国の台頭を念頭にEUが地経学的な変動に対してどのように対処してきたのかを概観してみたい。
「デリスキング」とは何か
EUの経済安全保障を考えるうえで、まず、フォンデアライエン委員長がデリスキングを論じた演説を見てみよう。2023年3月30日の演説は、EUの対中戦略を語る演説であった。つまりデリスキングの概念は直接中国とのサプライチェーンの問題に焦点が当てられており、ロシアのウクライナ侵攻に伴う、対ロ制裁で断絶したロシアとのサプライチェーンの問題ではない、という点を確認しておきたい。
この演説の中で、フォンデアライエン委員長は「習主席は本質的に、中国が世界最強の国家になることを望んでいる」という認識を示し、中国が国際秩序において重要な役割を果たすようになることに警戒を促している。と同時に、同委員長は、中国とロシアの関係強化によりウクライナでの戦争を止める努力をしていないこと、また中国がアジアにおいてロシアのような軍事的圧力をかける懸念があること、さらには香港や新疆ウイグル地域における人権侵害、そしてリトアニアに対する経済的威圧を問題としている。
しかし、中国が力を持ち、世界秩序を形成する野心を持ちつつ、欧州の価値観と合わない行動をとっていても、中国との安定した対話が必要であるという観点から、「デカップル」ではなく「デリスク」すべきだ、という立場を明確に示している。つまりフォンデアライエン委員長は、中国を完全に切り離すのではなく、対話の道を維持するためにデリスキングという概念を持ち込んだのである。あくまでも中国との関係においては、「リスク」という確率論的な問題として、EUにとって不都合なことが起こりうる確率を減らすことを目指しているといえよう。
EUにおける「戦略的自律性」
経済安全保障において重要な概念である「戦略的自律性(Strategic Autonomy)」は、欧州では以前から論じられていた。欧州議会の研究報告によれば、欧州における戦略的自律性は2013年から2016年までは安全保障防衛政策において、アメリカへの依存を減らす概念として発達し、2017年から2019年まではトランプ政権への対応、そしてBrexitへの対処の文脈で米英に対する依存からの自律というニュアンスが含まれていた。2020年からは新型コロナのパンデミックにより、サプライチェーンの外国への依存、そして2022年からはロシアへのエネルギーの依存が問題視された。
こうした文脈の中で、EUにおいては常に自らの能力の限界による依存が論点となり、その脆弱性を克服することが政治的課題として打ち上げられた。こうした中で、先のフォンデアライエン委員長の演説の中に「戦略的自律性」という言葉が使われていないことは注目に値する。つまり、EUの対中戦略においては、自律性を高めることが目指されていないが、安全保障における対米依存やBrexit後のイギリスへの依存、ロシアへのエネルギー依存については自律性を高めることが戦略的目標として設定されているのである。
こうしてみると、EUにおける戦略的自律性とは、自らの政策選択の自由度を確保し、他国からの影響を低減することに重点があり、その意味では中国への経済的依存に伴う、経済的威圧に対しても自律的でなければならない、という認識が強まっても不思議ではない。しかし、EUの対中戦略を見ても、そうした自律性を高めるための政治的な意思はまだ十分に高まっておらず、EUにおける戦略的自律性の主たる目標はEUが構造的に依存しているロシアからの、そしてアメリカからの自律であることから大きく変わっていないように見える。
EUの経済安全保障戦略
2023年6月にEUは初めて経済安全保障戦略に関する政策文書を発表した。ここでは「3つのP」と呼ばれる推進(Promotion)、保護(Protection)、協力(Partnering)がキーワードとして挙げられ、経済安全保障戦略を進めることで国際競争力を維持しつつ、通信の保護や対内投資によるEU産業の買収を通じた技術流出からの保護、そして共通の利益を持つ国々との協力を確保するとされている。これらを実現するために、EUはどのようなリスクにさらされているのかを分析し、民間企業との対話をスタートさせ、EUの技術的自律性(Sovereignty)と強靭性を確保するための研究開発を進め、対内投資スクリーニングの規制を見直すとしている。また、アメリカが進める輸出管理の強化や対外投資規制などについても検討するとしており、アメリカの経済政策を強く意識した戦略が示されている。
この文書から明らかになるのは、EUにおける経済安全保障戦略は、過去の経験、とりわけ2016年にドイツの産業ロボットメーカーであるKUKAが中国の投資家集団に買収された経験から、対内投資のスクリーニングに対する問題、そしてそれに伴う技術流出の問題に強い懸念を抱いているということである。また、トランプ政権時にアメリカが主導した5Gネットワークから中国メーカーを排除する政策に影響され、EUのネットワークも「クリーン」でなければ情報共有が難しくなると言った問題も含め、通信インフラにおける中国の影響力排除といったことに力点が置かれている。
言い換えれば、EUにおいて、サプライチェーンの断絶や意図的な経済的威圧に関しては、まったく無関心ではないとはいえ、必ずしも中心的な課題にはなっていないということである。リトアニアが台湾との関係を強化したことで、中国がリトアニアに経済的威圧を与えたということは経済安全保障戦略のトリガーとはなり、反威圧措置(Anti-Coercion Instruments: ACI)などの議論は進んでいるが、まだ戦略として固まっている段階にはない、といった状況である。
しかし、EUが主力産業と位置付け、EUが進めるグリーン・トランスフォメーション(GX)のカギとみている電気自動車の分野では、中国メーカーに圧倒されて中国市場でのシェアを落とすだけでなく、中国製電気自動車の輸入が増大している。これに危機感を持った欧州委員会は中国が輸出する電気自動車のダンピング調査を開始しており、中国はそれに猛反発している。EUの対中政策も産業政策という観点から、より厳しさを増している。
経済安全保障分野でEUと協力できるか
最後に、こうした経済安全保障戦略を持つEUと日本は協力できるかどうかについて検討してみたい。EUの経済安全保障戦略は、中国を意識しつつも、より強くアメリカの経済安全保障措置に対応することを意識しており、米欧関係の重要性やアメリカから不利益を得ないようにすることを想定しているとみられる。その点は日本と共通する点もあるが、日本にとって経済安全保障の問題は何はなくとも中国の経済的威圧への対抗であり、その点はEUのプライオリティとは異なる。そんな中で表面的には共通する部分があり、政策的には協力できる部分も多いが、その政策目標や脅威認識において違いがあることに注意する必要がある。
とはいえ、中国との経済的関係を維持しながら、「デリスキング」を進めるという点ではEUと日本は同じ方向を向いており、対内投資のスクリーニングや技術流出に対する措置に関しては、日本よりも積極的に行ってきた経緯もある。EUは中国の経済的威圧に対する脅威認識を高めていることもあり、日本からもサプライチェーンの強靭化に関しては、様々な点で協力することが出来るだろう。特に中国が強い存在感を示すようになっている電気自動車の分野では、日欧ともに劣勢に立たされている中で、大いに協力する余地はある。日本とEUの間には日EUのEPA(経済パートナーシップ協定)やSPA(戦略的パートナーシップ協定)がある。まさに今こそEPA、SPAをフル活用して経済安全保障協力を進める対話を始め、経済的威圧に対する対抗措置(ACI)を共に進めていくべきである。
(Photo Credit: AFP / Aflo)
【訂正】文章の不明瞭さがあったため、欧州委員会によるダンピング調査に関する文章を修正しました(10月10日)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
地経学研究所長,
経済安全保障グループ・グループ長
立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授
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