ペロシの台湾訪問が中国を「やりにくく」させた訳

【著者】東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授 小笠原欣幸

2022年8月、ナンシー・ペロシ米下院議長が台湾を訪問した。その直後、中国が台湾周辺で大規模軍事演習を行い台湾海峡情勢の緊張感が増している。ペロシの訪問が台湾に何をもたらしたのか、訪問が台湾にとってプラスであったのかマイナスであったのかをいくつかの角度から整理してみたい。
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ペロシのメッセージ

ペロシは8月2日夜台北に到着し、翌3日、蔡英文総統と会談、台湾各界との意見交換、視察を行い、夕方に台湾を去った。中国の軍事演習はその翌日の4日から始まった。

ペロシは、蔡英文が台湾で初めての女性総統であることを強調し、台湾のジェンダー平等の取り組みを肯定した。また、権威主義体制期の政治犯拘置所跡である国家人権博物館を訪問し台湾の民主化を称賛した。さらにそこで、香港から台湾に逃れてきた書店主にも面会した。これは香港の民主活動家への関心の表明であるし、香港からの避難民を受け入れている台湾への評価を示すものだ。

「自由と民主」は台湾と中国との最も重要な違いであり、ペロシはその具体的な内容を発信する役割を担った。これは台湾にとってプラスである。

中国の軍事演習

この演習で中国軍の航空機多数が台湾海峡の中間線を越えて飛行し、複数の艦船が台湾の東海岸の領海に近づいて航行した。演習終了後もこの軍事行動は継続している。8月に台湾のADIZ(防空識別圏)に侵入した中国軍機の数は446機に達し、これまでの月別の最多の2021年10月の196機を大きく上回った(図1)。

また、中国軍機が中間線を越えたのは、これまではごくまれであったが、8月は302機で中間線越えが常態化した。中間線は「本丸」の台湾本島を守る「外堀」として機能してきたが、中国軍機がそれを越えて飛行するようになり「外堀が埋められる」形になった。中国がペロシ訪台を口実として、軍事的に台湾本島に一歩近づき包囲する陣形を作ったといえる。これは台湾にとってマイナスである。ただし、「本丸」は中国軍も簡単には侵攻できないという実態は変わっていない。

台湾の民意の反応

関連する台湾の世論調査を見たい。中国の軍事演習への恐怖感については、「怖かった」17.2%、「怖くなかった」78.3%で、圧倒的多数が「怖くなかった」と回答した(台湾民意基金会)。台湾の民衆が中国の軍事演習中も普通の生活を送っていたことは台湾の報道やSNSを通じて知ることができたが、それを裏付けるデータである。

台湾がパニックになっていたら、中国の思うつぼであっただろう。これは台湾人の「偉大なる鈍感力」と呼べる特性で、威嚇によって屈服させようという中国の狙いを熟知した反応といえる。

ペロシ訪台については、「歓迎した」52.9%、「歓迎しない」24.0%で、多数派は歓迎した(台湾民意基金会)。一方、「ペロシ訪台は台湾にとって利益と弊害のどちらが大きかったか」という質問に対しては、「利益が多い」35%、「弊害が多い」44%、「利害半々」12%で、「弊害が利益より多かった」という見方が多数である(聯合報)。台湾の民意はペロシ訪台を歓迎しつつも、中国の圧力が高まったことをリアルに見ている。

アメリカの軍事介入への信頼感はどうなったであろうか。「仮に中共が台湾を攻撃したらアメリカが台湾防衛に出兵すると信じるか」という問いへの回答は、「信じる」44.1%、「信じない」47.5%で、「信じない」が上回った(台湾民意基金会)。聯合報の調査でもまったく同じ傾向が出ている。

台湾民意基金会の過去の調査では「信じる」が「信じない」を上回っていたが、ロシアのウクライナ侵攻後、これが逆転した。アメリカがウクライナに武器の支援はするものの軍を出さなかったことで、台湾有事の際のアメリカ軍介入への期待が大幅に低下した。その後「信じる」が徐々に回復する傾向にあった。ペロシ訪台は回復の傾向に寄与したと見ることができる(図2)。

「アメリカ軍介入は期待できない」という見方が定着すれば、台湾人が中国の統一攻勢に抗していく意志にも影響を与えることになるであろう。アメリカ議会で審議されている「台湾政策法」は台湾の対米信頼感を回復させるうえで重要な動きである。バイデン大統領の台湾防衛発言も台湾では歓迎されている。しかし、アメリカの議会と政権の認識にズレが生じたり、専門家の間で意見が割れたりするのは台湾の不安感につながる。アメリカが「ワンボイス」で台湾政策を進めていけるかどうかが鍵になる。

現状維持の要因

中華人民共和国は1949年の成立以来、台湾解放(毛沢東)、平和的統一(鄧小平)、中国の夢(習近平)を唱えてきたが、台湾統一は実現できないでいる。台湾を統治する中華民国は、民主化・台湾化という大きな変化を遂げながら存続してきた。これが台湾海峡の現状となっている。

台湾が現状を維持することができた要因は何であろうか。もちろん台湾の軍事力とアメリカ軍介入の可能性が大きな要因である。

しかし、筆者は最も重要な要因は台湾人の「統一されたくない」という意志であると考える。その意志は、民主化後の台湾の歩みに多数派の台湾人が誇りと自信を持っていることで培われた。そして、その自信は、海外(実際上は影響力が大きい日米)からの肯定が大きな支えとなっている。それが、国際的に孤立していても「やっていける」という現状維持の自信につながっている。

1995~1996年の第3次台湾海峡危機のきっかけは李登輝の訪米であった。それを批判する人は一定数存在する。だが、多くの台湾人にとって、李登輝の訪米は「自分たちの思いを代弁してくれた」という感覚であった。それがのちに「自分たちは危機を乗り切った」という集合的記憶となった。だからこそ、中国の軍事的威嚇にも冷静でいられるのである。李登輝の訪米とペロシの訪台は重なるところがある。

国際社会でプレゼンスを高めて身を守っていく台湾にとって、ペロシという知名度の高い人物が中国の脅迫に屈せずに台湾に来て台湾の民主主義を称賛したのはプラスとなった。逆に、報道が出て中国が抗議して取りやめていれば、台湾に打撃となったであろう。

口実と警戒感

中国は「台湾海峡危機はアメリカの挑発が原因」だとして軍事演習を正当化する主張を広めている。日米豪欧のメディアの論調は中国の演習に批判的なものが多いが、一部で中国の主張に沿った解説も流れるなど、必ずしも中国批判一辺倒ではない。中国に口実を与えたのはマイナスになった。

他方で、中国の大規模軍事演習は、台湾有事に懐疑的であった諸国や人々にそのリスクを認識させた。中国は海外要人の台湾訪問が増えていることにいらだち今回「釘を刺した」つもりであったが、要人訪台はかえって増えている。中国警戒論がこれまで以上に広がり、中国にとっては「やりにくい」状況になることが予想される。台湾にとっては国際社会の支持・同情を得やすくなるという点でプラスになった。

ペロシ訪台の総合的評価

ペロシが台湾の自由と民主の価値を国際的にアピールしたことは台湾にとって政治的プラスである。一方、中国がペロシ訪台を口実として台湾海峡中間線を越える軍事行動を常態化させたことは台湾にとって軍事的マイナスである。ペロシの訪台はプラスとマイナスが交錯し、見る角度で評価の仕方は変わってくる。

ペロシ訪台の評価は今後の展開によっても左右される。この先、中国が「外堀」を埋めた優位を生かして軍事的圧力を効果的に高めてくればペロシ訪台が失敗であったことになる。他方で、大規模軍事演習を見た関係諸国の危機感の高まりが台湾有事の備えの強化につながれば、ペロシ訪台はプラスに評価される。

危機は終わったわけではない。8月に中国が発表した「台湾白書」は習近平が3期目に入り統一圧力を強めることを予告している。2024年台湾総統選挙は1つの焦点になるであろう。ペロシ訪台の評価をめぐる議論はまだまだ続いていく。

(Photo Credit: Taiwan Presidential Office / AP / Aflo)

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