国際安全保障秩序と「3つの戦域」の連動性 2024年の変化と見通し

国際安全保障秩序と「3つの戦域」の連動性 2024年の変化と見通し
ロシア・ウクライナ戦争開始から8カ月弱、日本の教育現場での政治・安全保障教育は戦争前と大きく変わることはなかった。侵略直後こそロシアによる戦略を学校教育においてどう扱うのかと議論にはなったが、蓋を開けてみれば…
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「3つの戦域」の連動性に向き合う世界

現代の国際安全保障環境は、「地政学の逆襲」(W.R.ミード)がもはや常態として定着したように見える。冷戦終結後から20年間ほどは、世界秩序の基本的な方向性について世界にはおおよその合意があり、仮に秩序破壊行動が行われたとしても、世界は自由で開かれた秩序への指向性と自己回復力を維持することができた。しかし、現在こうした世界観の前提はすでに広範に失われた。
その大きな理由は、国際安全保障秩序を支えるパワー、制度、価値がことごとく世界で相対化されていることにある。国際社会における力の分散と新興国の台頭が進んだことにより、西側中心の世界観に対する異議申し立てはもとより、新興国同士が代替的な秩序さえ模索するようになった。その結果、世界の多くの場所で秩序の均衡が失われ、容赦なく紛争と暴力が発生し、一度失われた秩序を回復することができないでいる。
こうした世界の現地点を象徴しているのが、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻、2023年10月に始まったイスラエル・ハマス戦争、そして中台関係と北朝鮮を核とするインド太平洋という「3つの戦域」である。現にウクライナとガザの2つの戦域ではすでに均衡が失われて戦争が継続しており、インド太平洋では均衡が揺らぎ武力衝突のマグニチュードが系統的に高まっている。この現実を前に、2024年の世界の課題の中心が、それぞれの戦域への対応―ウクライナとガザにおける戦争の終結と原状回復、インド太平洋における均衡の維持と紛争の抑止―にあることは論を俟たない。
ただし「3つの戦域」は単独かつ局地的に存在するというよりは、複雑な連動性を持ち合わせている。一方には、ロシア、中国、イラン、北朝鮮といった既存秩序を変更する志向を持つアクター同士の連動であり、他方には領土の一体性、主権、アイデンティティなどの価値をめぐる連動があり、さらには抑止力や制度の効力に関する連動性が併存している。1つの戦域での優劣勢、膠着、妥協、勝利や敗北が他の戦域に影響を与える「3つの戦域」の連動性に、我々はより注意を払う必要がある。
2024年の世界を俯瞰するときに重要なのは「3つの戦域」の連動性を詳細に分析し、地政学的位置付けを再評価した上で、これら相互の関係性の中で外交・安全保障政策を展開することである。とりわけ米国の力が有限で「3つの戦域」全てに必要な資源配分ができないことを前提とすれば、(相互に矛盾しやすい構図を持つ)それぞれの戦域の解と3つの戦域全体を俯瞰した解を、同時に追求する思考が必要とされる。

ウクライナ戦争:膠着の固定化と停戦論の広がり

ウクライナ戦争の帰趨は「3つの戦域」の連動性のなかでも、最も重大な結果をもたらし得る。以前の論考でも言及したように、ウクライナ戦争がどのように終結するかは、今後中長期にわたる国際安全保障秩序に決定的な影響を与えるからである。とは言うものの、現時点での戦況はウクライナにとって楽観的な材料に乏しい。2023年6月から開始されたウクライナ軍の反転攻勢は、目立った成果を挙げておらず、ロシア軍の強固な防御に阻まれ膠着している。また兵士の動員力に勝るロシア軍は、一部の州で再攻勢に転じるなど一進一退の状況が続いている。
こうした中で欧米諸国には戦況への悲観論とともに、ウクライナに対する支援疲れが随所にみられるようになった。EUはハンガリーの反対による分裂をかろうじて回避し、500億ユーロの金融支援を実施することができた。しかし、米国は議会内の党派対立でウクライナ支援のための予算承認が困難なままだ。2024年は6月に欧州議会選挙、そして11月に米大統領選挙が予定される。仮に米共和党のトランプ政権が再登場すれば、米国のウクライナ支援は大幅に後退することが確実視される。そうでなくても、早期停戦論や防御戦転換論(Haas&Kupchan, 2023)など、現行のウクライナ政府の方針では支援を続けられないとする議論が欧米社会で徐々に勢力を増している。
対するロシアのプーチン大統領にとって、2024年に妥協路線を採択する理由は一切存在しない。ロシアにとり欧米の支援疲れや、欧州諸国の結束の乱れ、ウクライナの政軍関係の内紛などは渡りに船であり、11月の米大統領選挙の結果を待たない理由はない。こうした中で、ロシアは中東の紛争地域におけるディスインフォメーションを流布し、北朝鮮との軍事技術協力を深めるなど、残り2つの戦域に対するスポイラーとしての存在感も増す機運がある。
2024年はウクライナ戦争の膠着が固定化しつつ、米国の関与の振れ幅を測る年となる。前者は西側諸国の安全保障秩序の回復能力の不全を示し、後者はロシアにとり年内のあらゆる妥協を保留させるだろう。これが権威主義国のリーダーの戦略的計算に悪影響を与えることは想像に難くない。

イスラエル・ハマス戦争:価値の動揺と多極化の加速

2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃と民間人の虐殺と拉致に端を発する、イスラエル軍のガザ侵攻は苛烈を極めている。イスラエル軍は空爆や砲撃でガザのインフラを破壊し、すでにガザ全域の建物の30%が破壊されたとされる(UNOSAT)。イスラエルの攻撃によって既に2万8千人以上のガザ市民が死亡し、最南部ラファへの攻撃は人道的危機をさらに深刻化させるだろう。
イスラエルの軍事攻撃に対する国際社会の視線は厳しく、これに付随してイスラエルを不承不承に支持する立場をとる米国への批判にもつながる。昨年12月の国連総会緊急特別会合で「人道的な即時停戦」を求める決議案に米国がイスラエルと共に反対し、日本やフランスなど大多数が賛成したことは、イスラエル・ハマス戦争に対する同盟国の見解の不一致を際立たせていた。さらに米国内でも、ガザ市民保護とイスラエル擁護をめぐる激しい価値の動揺が生じている。この戦争は長引くほど国際社会の対立と米国内の分断が深まり、イスラエルとパレスチナの均衡回復のわずかな可能性を削り取る構図にある。
もう一つの懸念要素は、イランが親イラン武装勢力を通じて米軍への攻撃を強めていることである。米国政府は紛争が中東全体に広がることを懸念し、これまで抑制的な対応に努めてきたが1月には米英両軍がイエメンの反政府勢力フーシ派の軍事拠点を攻撃、2月には米軍がイラクとシリア領内で、親イラン勢力の拠点を攻撃するなど、にわかに攻勢を強めている。イランと親イラン勢力が、さらに大規模に米軍を攻撃する事態となえれば、米国におけるイラン攻撃論にも影響を与えかねない。
こうした中で、米政府および米議会の関心がガザ紛争およびイランとの対立に引き込まれていくと、米軍の中東への展開規模を拡大させ、再び中東での態勢強化を余儀なくされかねない。欧州における米軍の増派につづき、米軍の多くを撤退させた中東地域に再関与を迫られれば、本来「最大の課題」と位置付けたインド太平洋地域への関与にゼロサム効果をもたらす可能性がでてくるのである。

インド太平洋:静かな戦略的猶予期間

中国に視点を移せば、インド太平洋地域が「最も重要な戦域」と喧伝してきた米国自身がウクライナやガザに政治的資源を割いている状況は利点が多い。インド太平洋地域における米軍の態勢強化に一定の歯止めが効くほか、米政権や議会の台湾への関心が相対的に後退すると考えられるからだ。実際、中国の台湾侵攻能力に関する米軍幹部らの発言は、最近になって「中国は直ちに台湾を侵攻する能力がない」と抑制するトーンに統一されているようにみえる。米国の政治性を帯びたインド太平洋戦略が抑制されることは、米中対立に一定の落ち着きをもたらすが、同時に中国にとり静かな戦略的猶予期間となる。
2023年11月のAPECにおいて開催された米中首脳会議では、米中首脳同士の円滑な意思疎通や偶発的な軍事衝突の防止などをめぐり、実務的な協力に合意をすることができた。台湾総統選挙で民進党の頼清徳候補が当選した直後に、米国が超党派で元政府高官を台湾に派遣したことも、中国の意図せざる軍事的緊張の増幅に慎重な米国政府の立場を浮かび上がらせる。米国にとっても「三正面」への対応は容易ではなく、米中関係における政治的安定性を優先したものと解釈することができる。
北朝鮮も「3つの戦域」において最大限の機会主義的行動をとり、自らの立場を補強している。とりわけロシアとの「前例にない」レベルでの軍事協力を推進し、核・ミサイル戦力を増強させれば、北朝鮮に対する拡大抑止の構図にも変化をもたらしかねない。また、国連安保理決議に基づく対北朝鮮制裁が、常任理事国であるロシアによって反故にされていることも深刻視されなければならない。

日本の「3つの戦域」に焦点を取り戻す

これまで論じたウクライナ、ガザ、インド太平洋という「3つの戦域」の連動において、日本政府が追求すべき目標は単純なものではない。現代の国際安全保障秩序を回復するコストは極めて高く、米国が欧州や中東に本格介入をすれば、インド太平洋地域の軍事態勢が手薄となり、逆にそのコストを嫌って米国が欧州や中東から手を引けば、米国の紛争介入機能の信用性が大幅に低下するというジレンマが生じるからである。
また日本の国家安全保障戦略(2022年12月)に示される通り、日本をとりまく厳しい安全保障環境を構成する戦域とは中国、北朝鮮、ロシアを中心とするインド太平洋にある。日本政府の目指すべき戦略は、この「3つの戦域」(ウクライナ、ガザ、インド太平洋)における均衡を回復させながら、日本を取り巻く「3つの戦域」(中国、北朝鮮、ロシア)への戦略的焦点を取り戻すことにある。
そのためには、第1にウクライナの継戦能力と戦況を優位に進めるための支援を強化することである。仮に米国のウクライナ支援が後退したとしても、欧州主導の支援で反抗戦力を再建できるかが問われている。欧州における安全保障秩序の回復を日本の問題と捉え(今日のウクライナは明日の東アジア)、ウクライナ戦争を現状回復に結びつける形で収束させることに日本政府は一貫性を持つべきである。
第2に、イスラエル・ハマス戦争については、早期停戦を国際社会と共に推進することが望ましい。イスラエルの自衛の権利を十分に尊重しながらも、現在の攻撃の延長線にハマス殲滅は困難であり、むしろ人道危機が増幅され、結果としてイスラエルおよび米国の国際社会における価値の毀損を招くことが、日本の国益にとって不利であることがこの背景にある。この点において、日本は米国と異なる立場をとることを躊躇すべきでない。
第3に、日本は米国と共に中国の台湾侵攻に対する抑止力を強化する必要がある。中国が2つの戦域からいかなる教訓を得ようとも、台湾侵攻が決して中国にとり戦略的利得とならない状況を維持し、中国の軍事的作戦遂行能力を拒否し続ける必要がある。また、北朝鮮が対米・対韓関係において抑止力を獲得したという一方的な認識を拒否し、北朝鮮に戦略的十分性を与えない軍事態勢の構築が求められる。そのために、米国のインド太平洋戦略を抑止力の「アンカー」として強化することが中核的課題となる。
以上によって、グローバルな「3つの戦域」の連動性を徐々に局地的な戦域へと切り離し、インド太平洋に最大の焦点を置く競争戦略へと回帰することが日本にとっての重要な目標となる。2024年はこの戦略目標に向けた路程が整えられなければならない。
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地経学ブリーフィング

コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

神保 謙 常務理事(代表理事)/APIプレジデント
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授
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神保 謙

常務理事(代表理事),
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慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授

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