半導体サプライチェーンのチョークポイントを探る

5年前には殆ど目にしなかった「半導体サプライチェーン」という言葉を、昨今では毎日のように目にするようになった。産業界や官民対話の中でも頻繁にテーマになるのは、それだけ課題があるからと考えられる。サプライチェーンについては…(以下、本文に続きます)
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急浮上した半導体サプライチェーン問題

5年前には殆ど目にしなかった「半導体サプライチェーン」という言葉を、昨今では毎日のように目にするようになった。産業界や官民対話の中でも頻繁にテーマになるのは、それだけ課題があるからと考えられる。サプライチェーンについては、直近では、新型コロナウイルスの蔓延でマスクや医療資材に加え、自動車用半導体やICカード用半導体等が不足したこともあり、瞬く間に重要性が再認識されるようになった経緯がある。ところが、製造業におけるサプライチェーンは、それよりずっと以前から産業界の重要な論点であった。古くは、2007年中越沖地震の際のリケンのエンジンピストンリング、2011年東日本大震災の際のルネサスエレクトロニクスの自動車制御用マイコンに加え、2010年の尖閣諸島問題に端を発するレアアース危機等があった。既に、自動車業界を中心に、自社のサプライチェーンを調査し複数調達化を進めて来た実態がある。しかし、そうであれば、今回何故「半導体サプライチェーン」の問題が急浮上してきたのであろうか。その答えは、半導体製造工程の特殊性にある。

半導体製造工程の特殊性

半導体産業には、外部からは見えないブラックボックスが多いと言われる。勿論、どの産業にもブラックボックスはあり、寧ろ企業としては、技術やビジネスモデルにおいてブラックボックスを上手く作り出すことが重要な経営戦略でもある。ところが半導体の製造工程には、ナノレベルでの加工という際立った技術的な難しさと、ものによっては1,000工程を超える工程の複雑さ、特殊な製造装置、多種多様な材料及び副資材等に特有の難しさがあるのである。一般に工場というと、自動化されたロボットアームが火花を散らしながら加工したり、組み立てたりといった状況が思い浮かぶが、半導体工場の場合は、かなり様子が異なる。工程によっては、ISOでレベル1のクリーンルーム(1立方メートルの中に0.1ミクロンの粒子が10個以内)で、箱型の大型装置が並び、その間を汚染源となる人間の手を介さず、完全自動化された搬送装置でウェハを出し入れする中で、ナノレベルの膜を作ったり、それをプラズマガスで溶かしたり、といった工程を1,000回積み重ねるということである。まさに白色の「ブラックボックス」である製造装置の中で行われているのは、最先端科学実験の量産化といったレベルのことである。量産化されたサイエンス&テクノロジーの成果には、例えば、ドイツ国土ほどの大きさの鏡を作った場合に表面の凹凸が最大0.1ミリメートルに収まるような精度のものや、1秒間に5万回レーザーで微細な錫の液滴を破壊し、50万℃のプラズマを発生させる技術など、日常では想像もつかないような技術が使われているのである。装置や技術だけではない。現在118ある元素のうち、研究所で作られた人工元素等を除くうちのかなりの種類の元素が、半導体製造工程のどこかで人知れず使われているという見立てもある。

昨今、外国によるクリティカルミネラルの輸出管理の中で、ガリウムやゲルマニウム、アンチモン等の輸出が制限された事態があった。こうした動きは、今後も生じる可能性があるが、現状、ある鉱物が輸出制限の対象になった場合に、半導体サプライチェーンのどの部分がどれだけ影響を受けるのかが公知の情報とはなっておらず、ごく限られた企業のみが認識、対処しなければならない状況にある。もし仮に、その企業が経済安全保障の観点で十分な調査と事前準備をしていなかった場合には、日本の半導体材料製造の一部が止まってしまうといった事態も考えられる。これはまさに、半導体ビジネスのチョークポイントである。チョークポイントとは元々軍事用語で、海峡や狭い谷間等の戦略上の要衝を指す。要は、ここが断たれるとサプライチェーンの流れが止まるという急所のことである。極めて重要な半導体という物資の製造サプライチェーンに、様々なチョークポイントが存在するとすれば、それは国家としての一大事である。だからこそ政府は、経済安全保障推進法の特定重要物資に半導体を指定し、その材料等についての製造設備増強、備蓄の強化、代替物資の開発を支援しているのである。

半導体製造工程の特殊性にはもう一つの側面がある。それは、関与企業、従事者の少なさである。一般的な産業の場合、世界の先進国に多数の同業他社が存在し、一定程度、技術やノウハウが外部に蓄積されているものと思われる。一方で、半導体産業については、最先端チップを作れるのは、世界でTSMC、サムスン電子、インテル等一握りの企業であり、製造装置についても、有名なEUV(極端紫外線露光装置)は世界で1社のみ、オランダのASMLしか製造できない。また、成膜、エッチング、洗浄、検査等、数ある製造工程の中で使用される多くの精密装置や材料・副資材の中には世界で2、3社ないし数社しか製造できないというものも多々ある。半導体チップ自体は大量生産品であるが、製造装置の方は出荷台数がかなり限定的な製品であり、また製造工程で「鼻薬」として使われる微量元素となると更に取扱事業者は限られるといった構造がある。こうしたごく限られた企業が持つ製造ノウハウ情報こそが半導体製造工程のブラックボックスであり、最先端技術や素材に加え、こうした製造ノウハウを持っていることで、半導体サプライチェーンのチョークポイントを押さえていると言えるのである。

一歩踏み込んだ官民連携の必要性

日本は、依然として半導体製造強国である。過去に最先端半導体製造の道を選ばなかった経緯はあるにしても、上で述べたような製造装置、材料に関するチョークポイント情報を持った企業や研究者は多い。これらは日本にとって極めて重要なリソースであり、こうした情報を国益の為に蓄積し、国家目線での経済安全保障を推進することが急務と言える。ところが、実際には、その製造工程の複雑さ等から簡単には全容把握と対処ができていないことが現状の課題である。経済安全保障は、国益を掲げるため政府が主導する部分が大きいが、民間企業との連携なしには、現状把握や対策立案は難しい。ルールで縛ることのできる規制領域とも異なり、情報の提供を強制することもできない。また、要請された企業側にも、自社の経営への影響が確認できない限り、情報の共有に踏み切れない事情もある。

そもそも官民連携については、国家利益と株主利益という、時に相反する要素が底流で混在している。短期視点で利益を上げ株主に還元するという欧米流の企業スタイルと、国家利益が企業利益に優先するという権威主義国流の企業スタイルとでは、中長期視点に立った経済安全保障への対応のし易さが異なると言える。但し、幸い日本には日本流の企業スタイルがある。企業自体の文化や存続を重んじ、社会に貢献し続けるまさに持続可能性の高い企業スタイルである。もし、そうだとすれば、今、日本企業が為すべきは、中長期視点に立ち経済安全保障を我が事として捉えることではないか。そうすることで政府とも目線が揃い、官民連携や、現在政府が進める経済安全保障の各種の政策の効用が最大化できるのではないかと考える。

現在、政府は、セキュリティ・クリアランス法の導入を進めているが、これは政府保有の秘密情報の民間への共有であり、民間保有の秘密情報は対象外である。本法が官民連携の具体的仕組みとして機能を開始することが喫緊の課題だが、半導体サプライチェーンについては、更にその先にある民間保有の秘密情報の集約が必要となる。現在も、「経済安全保障に係る産業・技術基盤強化アクションプラン」推進の一環で、「技術管理に関するベストプラクティス集」を民間企業のノウハウを取りまとめる形で展開することや、「技術管理強化のための新たな官民対話スキームの構築」を民間に呼び掛ける取り組みが為されている。こうした取り組みを成功させる為に、政府側が留意すべきことがある。それは、①民間企業から入手した機微情報を厳格に管理すること、②開示した企業に不利益となる様な規制・政策策定をしないこと、③業界再編やオールジャパンといった産業政策ではなく、あくまでも個社では対応し切れない外交交渉面、資金面、規制面等での支援を行うことである。何よりも、民間企業側が安心して情報提供に応じられる環境とインセンティブを進んで整備することが重要だ。そして民間企業側も、従来「敢えて出す必要が無い」としていた情報を、中長期目線に立ち政府の特定関係者に開示することで、政府が有効な保護策、支援策を立てる余地を提供することが必要である。権威主義国においては、これらの情報収集と活用は、全て国家主導で「効率的」に行われている可能性もある。民間企業が慎重になるのは当然だが、国家レベルでの中長期の有効な支援・防衛策が立てられず、将来困るのは民間企業を含む日本全体である。より中長期の経済安全保障の為、戦略物資として極めて重要な半導体の製造上のチョークポイントについて、自由と民主主義とを重視する体制の下、国家権力による強制でも、各社横並びの同調圧力でもない、自国防衛を目的とした自発的で責任ある官民連携が求められている。

(Photo Credit: Shutterstock)

 

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コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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田上 英樹 客員研究員
2024年5月より地経学研究所にて現職  早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1992年に総合商社入社。 海外における事業投資審査、国内外与信取引審査、国内外不動産事業審査、カントリーリスク分析、取引先格付、業界分析、産業メガトレンド分析、国内事業戦略、海外拠点戦略等を担当し、2021年より経済安全保障担当(経済安全保障コーディネーター第1期 修了)。 2006年から2017年の11年間、総合商社シンクタンクにて、全事業分野に亘る業界分析業務に従事し、特にValue-Chain分析を専門とする。 2015年、東京大学Executive Management Program 第12期修了 2015年~2017年、科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター事業評価委員 2017年、文部科学省ナノテクノロジー・材料分野の研究開発戦略検討作業部会(第3回)にて「2050年に向けた産業メガトレンド」を提言。 
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田上 英樹

客員研究員

2024年5月より地経学研究所にて現職  早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1992年に総合商社入社。 海外における事業投資審査、国内外与信取引審査、国内外不動産事業審査、カントリーリスク分析、取引先格付、業界分析、産業メガトレンド分析、国内事業戦略、海外拠点戦略等を担当し、2021年より経済安全保障担当(経済安全保障コーディネーター第1期 修了)。 2006年から2017年の11年間、総合商社シンクタンクにて、全事業分野に亘る業界分析業務に従事し、特にValue-Chain分析を専門とする。 2015年、東京大学Executive Management Program 第12期修了 2015年~2017年、科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター事業評価委員 2017年、文部科学省ナノテクノロジー・材料分野の研究開発戦略検討作業部会(第3回)にて「2050年に向けた産業メガトレンド」を提言。 

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