日本の対中戦略に軍事の視点が決定的に欠ける訳
第24代航空自衛隊補給本部長;空将(退役)尾上定正
5月に成立した経済安全保障推進法が動き出した。7月29日には、初の日米経済政策協議委員会(経済版「2+2」)が開催、共同声明「経済安全保障とルールに基づく秩序の強化」が発表された。
声明において「2022年行動計画」として明記された具体的な取り組みには、「技術の競争力及び強靱性を支え、兵器開発に不可欠な技術の不法な転用によってもたらされる課題に対処するため、研究開発及び輸出管理等を通じて、国際的なルールや規範と整合的な形で重要・新興技術を促進及び保護していくに当たり連携していく」とある。今後、「兵器開発に不可欠な技術」に焦点を当てた日米連携が進むことを期待したい。
一方、協議では中国を対象とする施策が議論されたことは想像にかたくないが、声明には「中国」という言葉が一度も出てこない。初の経済版2+2会合であり、名称のとおり経済政策の連携を正面に出して、徒(いたずら)に中国を刺激することを避けたのであろう。
しかし、経済安全保障は総合的な対中戦略の一手段であり、軍事や情報と併せていかに実践するかが重要だ。日本の経済安全保障推進法には軍事の視点が不十分であり、アメリカの技術管理水準と同等の制度や企業の認識はいまだに整っていない。日本は経済安全保障の体制を万全にし、動き出した日米連携を対中戦略の文脈でシンクロさせていく必要がある。
国際構造の変化と経済安全保障の重要性の高まり
経済安全保障の概念は決して新しくはないが、その重要性の急速な高まりには国際構造の変化が背景にある。リベラル国際秩序(LIO:liberal international order)においては、経済の相互依存は戦争のコストを高め安全保障も安定するという前提がある。
日中関係も「政冷経熱」が可能であり、2010年の中国漁船衝突事件に際し中国がレアアースの対日輸出を差し止め、経済的手段を外交安全保障のテコに使っても、それは例外的な事象として扱われた。ところが、トランプ政権が2017年12月に公表した国家安全保障戦略(NSS)によって明確になった米中競争の時代を迎え、経済依存は安全保障上の脆弱性となり、経済関係に地政学的要素を考慮した再編が必要になったのである。
オバマ政権が2015年2月に発表したNSSでは「安定し平和的で繁栄した中国の台頭を歓迎する」と記述されていたのが、トランプ政権のNSSでは「中国とロシアはアメリカのパワー、影響力及び国益に挑戦し、アメリカの安全と繁栄を侵食しようとしている」との記述に変わった。その意味を今一度認識する必要がある。
一方の中国習近平国家主席も、2020年4月の共産党財経委員会の講話で「グローバルサプライチェーンの中国依存強化を通じた『外国に対する反撃・抑止力の形成』を志向する」と述べ、「相互依存の武器化」を表明している。米中競争時代を迎えた日本は、政府も企業も、相互依存の武器化を前提とする経済安全保障戦略の構築が求められているのだ。
米中競争の核心は軍事技術の優越
米中競争の本質は何かといえば、どちらが相手に自分の意志を強要できるかであり、そのための力(Power)の強さが競われている。
国家のPowerはDIME、すなわち外交(Diplomacy)・情報(Intelligence)・軍事(Military)・経済(Economy)であり、その共通基盤をなすのが技術力である。ウクライナ戦争で明らかになったように、経済制裁は短期的・直接的な効果に乏しく、かつ制裁を加える側にも悪影響が出るため、最終的にこの競争は軍事力の優劣に帰結する。アメリカの死活的国益と中国の核心的利益(例えば台湾の現状維持と変更)が衝突したときには、軍事力で相手をねじ伏せる勝負になる。
中国はこのアメリカ軍との戦いに勝つため、軍民融合戦略によって必要な新興技術の開発と軍事への実用化に国を挙げて取り組んでいる。中国の力、就中、軍事力による現状変更を抑止・阻止することは日本の安全保障の最重要課題であり、日本の経済安全保障を推進するうえで、この本質、すなわち軍事力の優位を巡る競争が経済安全保障の核にあるという認識は欠かせない。
この認識を踏まえ、日本の戦略的自律性と戦略的不可欠性を強化するには、2つの視点が必要だ。まず、米中が決定的に重要と見なす分野で日本が国際競争力を持てる技術を確保するという視点である。中国もアメリカもAI(人工知能)、バイオテクノロジー、量子科学、半導体、材料、製造技術などを重要分野に挙げている。
日本は、これらの分野で優位性を保持すべき技術を個別に特定し、育成すると同時に中国への流出を防がなければならない。中国は海外の技術を硬軟織り交ぜて巧妙に取得しており、大学等における国際共同研究や技術者の誘致など、現在の安全保障貿易管理が十分及ばない分野の技術管理が必要だ。
ロシア軍が日本製の市販カメラや小型エンジン等をOrlan10無人機に軍事転用していたことを踏まえると、安全保障貿易管理の実効性を高めるには、制度のきめ細かな改善に加え、企業や大学等の情報セキュリティー体制の強化と技術保全意識の向上が求められる。技術にアクセスする人や組織の素性を明らかにし、アクセス管理を厳にすることが重要だ。セキュリティークリアランス制度についても具体的な制度設計を早急に行う必要がある。
2点目に、米中が重視する新興技術の大半が民生用にも軍事用にも応用できる両用技術(機微技術)であり、米中競争の本質が軍事力の優位を巡る競争であることを踏まえると、個々の技術が持つ軍事への応用と潜在的価値を評価し、その価値の高い技術を守り、育て、強化することが極めて重要になる。
ウクライナ戦争では、スターリンクやグーグルマップ、スマホ、ドローン等が戦いの帰趨を左右している。これからの戦争は、民生技術・両用技術なしには戦えないといっても過言ではない。
対して日本は、この両用技術の持つ軍事的価値をほとんど考えてこなかった。評価できる専門家も少なく専門組織も無いというのが実態だ。「先端的な重要技術の開発支援に関する制度」において調査研究業務を委託するシンクタンクには、新興技術の軍事的価値を評価できる機能が要る。例えば、極超音速飛翔体がゲームチェンジャー技術として注目されているが、日本は1996年2月に宇宙往還機開発の一環として極超音速滑空飛行実験に成功している。残念ながら、この超先進技術は日本の安全保障には生かされなかった。
戦後の日本には、軍事を忌避する体質が産官学の隅々に染み付いているので、防衛軍事にあまり関心の無い企業が保有する技術の軍事的価値の評価には、自衛隊も関与するさまざまな試験プロジェクトを政府主導で実施する必要がある。
政府一体、官民一体の統合体制が必要
日本の国家安全保障体制は第2次安倍政権の取り組みによって整った。その1つである国家安全保障局に経済班が設置されたのは、2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて7都府県に緊急事態宣言が発令された時期に重なる。感染拡大に伴って各国が「自国ファースト」を露骨に押し出すようになったと故・安倍晋三元首相は回想する。
経済班の設置はそのような事態に対応する先見の明であった。科学技術政策、産業政策と国家安全保障政策の連携は、経済班の司令塔機能と経済安全保障推進法によってかなり前進したが、防衛産業と一般企業の垣根の解消や民間両用技術の軍事利用といったコアな部分では、まだ克服されていない。その象徴的な存在が日本学術会議である。
政府の独立機関の1つであり、日本の科学技術研究予算の配分に影響力を持つ日本学術会議は、7月27日の記者会見で「戦争を目的とする科学研究は絶対に行わない」としてきた立場に変更はないと表明している。
中国人が日本で軍民両用技術を学んでいる事実
一方、文部科学省の昨年10月の調査によると、日本の43の大学が、中国人民解放軍が使用する兵器や装備品の開発を担う「国防七校」と提携を結び、留学生に軍民両用技術の研究を認めている。今年2月20日の読売新聞は、「日本から帰国後、中国の大学・研究機関で極超音速関連研究に従事する中国人研究者が多数存在する」と指摘している。
学術会議は、日本の安全保障に寄与する機微技術の研究に研究者が積極的に従事できる環境を整備すべきであり、政府はその研究者と研究成果を守る必要がある。
機微技術の共同研究・開発は、アメリカや同志国との重要な課題である。AUKUS3国(アメリカ・イギリス・オーストラリア)は、国際共同研究における安全保障上のリスクを特定し、軽減する措置をすでに実施している。アメリカ・同志国と同等のリスク管理体制の整備は喫緊の課題である。
セキュリティークリアランス制度を含め、経済安全保障推進法から取り残されている課題にどう取り組むか、そして対中戦略の一環としてどのように実践するか、軍事的視点からの対応が求められている。
(Photo Credit: AFP / Aflo)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
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