日本が「中国と台湾の緊張関係」から学ぶべきこと
2022年8月2~3日にナンシー・ペロシ米下院議長が訪台したことに反発し、中国は8月4~7日の4日間、台湾を取り囲むように大規模な軍事演習(以下、22演習)を行った。演習終了後も軍機や艦艇を繰り返し台湾海峡の「中間線」を越えた空域・海域に侵入させ、台湾に対する示威活動を常態化させようとしている。
日本においても8月は連日のように軍事演習や日本の排他的経済水域(EEZ:Exclusive Economic Zone)への弾道ミサイル着弾が報道され、台湾で複数の駅やセブンイレブンなどのデジタルサイネージが中国のハッカーに乗っ取られたことにも高い関心が寄せられていた。
翻って台湾の蔡英文政権はペロシ氏が台湾に到着する以前から沈黙を守っており、軍事演習に対して非難はしたものの抑制的に対応したように見える。台湾の一般市民は演習に動揺せず、日常生活を継続していたとも報じられた。演習を行うエリアから最も近い屛東県(Pingtung County)・琉球嶼(小琉球、Liuqiu Island)には、22演習を見学するために訪れる人がいたとさえ言われる。
蔡政権が初めて行った「反撃」
とはいえ、蔡政権はペロシ氏をはじめとするアメリカなどの外国要人による訪問についてSNSを介してライブ配信し、国際社会から支援を得ている、と積極的にアピールするようになった。また国籍不明のドローン機は22演習後に台湾の実効支配する離島に繰り返し侵入しているが、台湾はそのうちの1機を撃墜した。これは、2016年に成立して以来、中国を挑発しないように細心の注意を払ってきた蔡政権が初めて行った「反撃」であった。
22演習によって、日本は安倍晋三元首相の指摘した「台湾有事は日本有事」という事態が現実となりえる状況に直面している。実際に、日本社会を緊張させたミサイルのEEZ着弾は習近平国家主席の指示だったと報じられている。また、そもそも中国の公船による尖閣諸島周辺海域への継続的な侵入や中国海軍艦船隊による日本周回など中国による日本へのグレーゾーン戦略も中台関係の緊張と重なるものである。
日・台における台湾有事の際の日本国民退避計画の策定もよりハイレベルの協議が必要であろう。では22演習における台湾政府と市民の対応を日本はどのように評価し、何を学ぶべきだろうか。
米台の連携と台湾の対応
まず22演習が発表された経緯を振り返ってみよう。習近平は7月末にアメリカのバイデン大統領とのテレビ会議において「火遊びをする者はやけどを負う」と警告しており、ペロシ訪台が実現した際には必ず何らかの措置を取ると予想されていた。22演習の規模と発表のタイミングからみれば、中国は検討していた軍事計画を繰り上げて実行したと考えられる。にもかかわらず、蔡政権の反応は控えめで、アメリカも演習後の8月27日に誘導ミサイル巡洋艦2隻を台湾海峡に通過させたのみであった。
他方で蔡政権の立場からすれば、ペロシ氏の訪台を自ら拒否できる立場にあったわけではまったくない。むしろホワイト・ハウスとの協調により、予想される軍事的圧力にいかに対処するかを考えたはずである。
前述したドローンの撃墜に対してもアメリカは理解を示した。ペロシ訪台後から9月にかけて、エドワード・マーキー上院議員、エリック・ホルコムインディアナ州知事、マーシャ・ブラックバーン上院議員、ダグ・デューシーアリゾナ州知事、ステファニー・マーフィー下院議員らが訪問団を率いるなど、多くの政治家が台湾を訪問した。蔡政権はアメリカと十分に調整をしたうえでドローンを撃墜したと考えて間違いないだろう。
シャープパワーをめぐり台湾にはどんな備えがあったか
台湾にはどのような有効な備えがあったのだろうか。台湾政府は2013年から政府機関や通信インフラの整備における中国製の部品調達を禁止してきた。2019年1月から交通運輸、エネルギー、情報通信科学、金融、政府機関、国家安全保障、医療衛生、民生用のインフラにも中国製の部品の使用を禁止している。そのため22演習の際に、政府機関と重要インフラには乗っ取りのような被害がなかった。
また台湾社会に目を転じれば、蔡政権になってから中台の経済相互依存に基づく交流は、親中派のメディアやSNSによるフェイクニュースの流布、中台交流に関わる団体や中国に進出した台湾企業による台湾内部への働きかけなど、中国によるシャープパワーの浸透をもたらした。蔡政権は2018年の統一地方選挙において敗北した際にフェイクニュースの影響を重視し、監視体制を強化して積極的にファクト・チェックを発信するようになった。
22演習を事例とすれば、中国は8月6日の朝、台湾の海岸に接近した中国の軍艦に搭乗した兵士が双眼鏡で対峙している台湾の軍艦をのぞく写真を発表したが、台湾軍は即座に合成写真であることを発表した。また4発の弾道ミサイルが台湾本島の上空を通過した事に対しては、蔡政権は、弾道ミサイルが領空よりさらに高い位置(宇宙空間に近いカーマン・ライン<Kármán line>)を通過したことを理由に公表を控えた。
これは世論の動揺を避けるためだったと考えられる。しかしミサイルの軌道を日本の防衛省が発表したことに蔡政権は即応し、ミサイルがカーマン・ラインを通過したため空襲警報の発令とミサイル防衛システムによる迎撃の必要がなかったという補足説明を行った。
多くの台湾市民がつねに中国の圧力を認識している
外国のマスコミや研究者にとって台湾市民の冷静さはある種異常に見えたかもしれない。前述した弾道ミサイルの発表を控えた事に加え、蔡総統が観光促進のイベントに出席するなど、政権は市民を安心させるための施策も採っていたが、多くの市民が台湾はつねに中国の圧力を受ける状況にあると認識していることが、おそらく最も重要であった。
中国によるサイバー攻撃およびフェイクニュースは台湾人にとって日常生活の一部であり、影響されないための情報の確認や、政府に対する情報提供を行う市民も少なくない。前述した中国による合成写真が発表された直後にも、その海域で営業しているホエールウォッチング業者が中国の軍艦を見ていないとSNSに投稿していた。
22演習をめぐる一連の経緯に鑑みれば、日本はシャープパワーに対応する体制づくりを急がねばならない。日中の緊密な経済的な相互依存関係は、中台のようにシャープパワーのルートにされかねない。だが、日本ではいまだにインフラ設備に中国製の部品が使用されることが多く、中国のサイバー攻撃を受けやすい。
日本にとってのインプリケーション
ファクト・チェックなどのフェイクニュース対応も十分とは言えず、メディアや有識者さえ中国によるフェイクの情報を鵜呑みにする恐れがある。22演習に関しては、朝日新聞や東京新聞は前述した合成写真を報道で使用し、共同通信社による当該の写真を使用した記事を産経新聞はそのまま転載していた。
一方で台湾においては、一部のメディアと研究者などが日本は台湾を守るために中国に対抗すると過剰に世論を誘導しているという問題がある。例えば、台湾有事の際に「アメリカ軍の参戦を信じる」人は34.5%(参戦しないは55.9%)、「日軍(自衛隊)の参戦を信じる」人は43.1%(参戦しないは48.6%)という調査結果(「民意調査基金会」<Taiwanese Public Opinion Foundation>、2022年3月22日発表)があり、日本の参戦を信じる人が多い。こうした日本の実態と乖離した誤解は、結果的に日台間の混乱を招きかねない。
したがって、日本政府は民間と連携しながらシャープパワーに対応するための体制を速やかに構築するのが望ましい。また、これまで日本は日米台共催で地域共通課題を議論する「グローバル協力訓練枠組み」(GCTF:Global Cooperation and Training Framework)を通じてメディア・リテラシーやサイバー犯罪対策などの交流を台湾と行ってきたが、さらに積極的にシャープパワーの対策に関する交流を行う時期が来ている。
台湾が22演習をめぐる危機にどのように対応したかは、日本の安全保障体制の強化のためのヒントを提示している。日本は中台関係をめぐって関係の調整だけ考えるのではなく、台湾を、安全保障体制を強化するための「手本」とみなすべきである。
(Photo Credit: Reuters / Aflo)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
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