「防衛3文書」対中劣勢で打つ拒否・競争戦略の本質

【特集・新国家安全保障戦略のリアル(第5回)】

国家安全保障戦略を中心とする安全保障3文書(防衛3文書)は、今後10年間にわたる日本の安全保障・防衛政策の根幹となる。同文書の閣議決定は、日本の防衛力を5年以内に抜本的に強化し、防衛関係費を国内総生産(GDP)の2%に達する予算措置を講じ、長射程の「反撃能力」の導入を決定したことなど、日本の戦後史に類例を見ない分水嶺となった。

しかし日本が国家戦略として何を抜本的に変えたのかは自明ではない。日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは明白だが、単に防衛力の規模と役割を拡張するだけでは、日本の安全を守るための十分な水準に達しているかどうかは、判別できないからだ。
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対中劣勢を前提とした戦略環境

あえて論じるならば、今回の3文書で日本が採択したのは「対中劣勢を前提とした拒否戦略・競争戦略」である。これが何を意味するか解説していこう。

日本の安全保障の最大の挑戦が、台頭する中国であることは論を俟たない。その中国の国防予算は、2005年にほぼ日本の防衛費と同水準(アメリカドル・名目ベース)であったものが、2010年に約2倍、2020年に約5倍に膨らんだ。今後の経済成長にも依存するが、このままの水準を維持した場合、2030年代には日本と中国の国防費は1:10の比率に変化するだろう(図1)

アメリカを追い上げる中国という構図をみれば、アメリカの中国に対する「長期的な競争戦略」は比較的緩慢なペースの挑戦といえる。しかし、日本と中国とのパワーバランスの変化は、短期的かつ急速な変化として捉えられる。日本と中国の国防力の差はかくもすさまじいスピードで広がっているからである。中国が日本にとり「これまでにない最大の戦略的挑戦」と記述された背景である。

「だからこそ、日本は防衛費を対GDP比で2%に引き上げた」という見方もあるだろう。しかし、仮に日本の防衛費が2030年に2%水準を達成していたとしても、中国の同年の規模の5分の1に到達するにすぎない。すなわち、日本は中国とパワーが対等であった2005年以前の関係に戻ることは、もはやできないのである。これが「対中劣勢」を前提とする国力の現実である。

そればかりではない。かつて第一列島線の内側にとどまっていた中国の軍事的影響範囲は、西太平洋全体に及んでいる。中国軍の接近阻止/領域拒否(A2/AD)能力はさらに向上し、米中の通常戦力のバランスも中国側の優位に傾くと見込まれている。従来、アメリカが圧倒的に優位だった戦略環境は、いまや自明ではなくなっているのである。

競争戦略・拒否戦略の組み合わせ

アメリカが圧倒的な軍事的優位を保ち、日中関係における日本優勢だった戦略環境は、対中劣勢を前提とした戦略環境へと構造的な変化を遂げた。この構造変化に耐えうる考え方について、国家防衛戦略は「相手の能力と戦い方に注目」して「新たな戦い方」を推進すると述べる。

それは相手と軍事力の規模を競うのではなく、相手が軍事的手段では一方的な現状変更を達成できず、「生じる損害というコストに見合わない」と認識させる能力の獲得を目指すとしている。換言すれば、相手の作戦遂行能力に対する「拒否戦略」であるといえる。

その決め手となるのが「遠方から侵攻能力を阻止・排除」できる能力の獲得と、領域横断作戦による優越によって「非対称な優勢」を確保し、持続性・強靭性に基づく継戦能力によって相手の侵攻意図を断念させる防衛目標である。2027年までは日本への侵攻の阻止・排除をし、そしておおむね10年後までに「より早期かつ遠方で侵攻を阻止・排除」できるように防衛力を抜本的に強化する。

日本が目指す防衛戦略は、この拒否戦略を繰り返すことによって、新たな優位性を獲得することにある。ミクロレベルでは拒否戦略(strategy of denial)、マクロレベルでは競争戦略(competitive strategy)の組み合わせと捉えることができる。

拒否戦略は、中国の作戦遂行能力を拒否することに最大の主眼がある。アメリカが海空優勢により中国を圧倒する考え方を転換し、中国の軍事作戦の成功を阻止するための、非対称的な拒否能力を重視するというものである。

すでにアメリカの国家防衛戦略(2022年10月)は、抑止力の形成に必要な要素として、拒否的抑止(deterrence by denial)、強靭性による抑止(deterrence by resilience)、直接的・集団的なコスト賦課による抑止(deterrence by direct and collective cost imposition)を挙げている。かつての懲罰的抑止を中心とした抑止体系からの、構造的な変化ともいえる。

さらに本シリーズで小木洋人が指摘(日本の防衛「中国の2つのジレンマ」に有効な戦略/12月5日配信)したように、中国が現状変更を企図した作戦行動(例えば台湾に対する着上陸侵攻)をとる場合、中国はアメリカおよび日本の拒否能力に向き合わざるをえなくなる。

「機会の窓」を与えないことが重要

例えば中国軍は艦艇を経空・水中攻撃から守る艦隊防空や対潜水艦作戦(ASW)能力が十分でなく、とくに着上陸侵攻の核となる統合揚陸作戦を実行することが困難な状態にある。また中国の大型アセットは、対艦・対地ミサイルや無人機などの小回りの利くアセットによって、作戦能力が非対称的に減殺されるリスクに向き合うこととなる。こうした中国軍の脆弱性をあぶり出し、中国に軍事行動の「機会の窓」を与えないようにすることが重要となる。

マクロレベルでの競争戦略は、安全保障、経済、政治基盤の優位性を保つため、台頭する競争相手国のパワーの基盤を揺るがし、資源を競争劣位な分野に浪費させ、拡張政策のコストを賦課することなどにより長期的競争を勝ち抜くことにある。

そのために競争相手の得意分野での占有を防ぎ、不得意・不採算分野での投資を強いて競争体力を奪い、その間に次世代技術をリードすることにより競争空間を変化させ、時間を味方につける。民間企業が市場優位性を確保するための戦略とも通底する。

競争戦略を現代の戦略環境に当てはめると、陸海空の通常戦力における対称的な優位性の確保は困難になっているが、潜水艦を主体とする水中戦や、電子戦領域における優位、宇宙、サイバー、無人兵器、指向性エネルギー兵器などの新領域を組み合わせた領域横断作戦能力を強化することにより、非対称な優位性を発揮することは依然として可能である。

「新しい戦い方」の導入によって戦場の優位性をつねに変革することにより、中国が優位性を固定化できないようにすることが重要となる。その間に中国が競争劣位な分野に多大な投資をさせ、コストを賦課することによって、長期的な競争を勝ち抜くという考え方となる。

日本の防衛戦略の核となる考え方は、対中劣勢を前提とした戦略環境の中で、短・中期的目標としての拒否戦略を繰り返すことによって、長期的な目的としての競争戦略を成就させることにある。2030年代により安定的な戦略環境を達成するためにも、この10年間を拒否戦略によって現状維持(status-quo)することに重点が置かれている。

日本の防衛戦略としての競争と拒否

ただし、中国の能力が系統的に伸長する動態的な安全保障環境の変化の中で、現状維持はより積極的な拒否戦略の展開によってのみ達成可能である。そのために取り組むべきことは数多いが、以下の3つの要素をとりわけ重視したい。

第1は、拒否戦略を発揮する空間の拡大(=戦域拒否能力)を確立することである。相手の作戦を近接防御によって逐次対応するのではなく、より遠方の洋上戦力や地上の指揮統制能力や策源地を攻撃する能力によって、相手の統合作戦能力を阻害し、戦略計算を複雑化させることが重要となる。

アメリカ軍の戦域内作戦(in-theater operation)能力の向上はこの戦域拒否能力の核心である。日本の先進的なスタンド・オフ防衛能力の獲得と反撃能力は、戦域拒否能力の一貫として捉えることが最も適当である。

第2は、領域横断作戦能力の強化と、持続性・強靭性・抗堪性の抜本的強化である。前者については宇宙・サイバー・電磁波領域を横断的に装備・指揮命令体系に取り入れ、無人アセットを大胆に装備化する必要がある。後者では弾薬燃料などの確保、有事における機動展開能力、重要インフラの防護、自衛隊およびアメリカ軍基地の防護機能を、高烈度(ハイエンド)有事を想定した水準に高めることが重要である。

こうした施設・区域が使用不能になった場合の、代替しうる国内空港・港湾施設を整備し、アメリカ軍や同志国における施設共同使用を通じて、自衛隊アセットの分散配置を推進することも重要である。

第3は、日米同盟の一層の強化とインド太平洋におけるパートナー国との安全保障協力を競争・拒否戦略の目的に沿って拡充することである。日米同盟の抑止力・対処力は拒否戦略・競争戦力の基軸となる。またオーストラリア・韓国・フィリピン・シンガポールは、アメリカ軍の拒否戦略を支えるパートナーとして重視すべきである。これら同志国と競争・拒否戦略を共有することによって、戦略の効果を一層高めることができるだろう。

こうした拒否・競争戦略を積み重ねていくことによって、日本の防衛だけでなく「インド太平洋における力の一方的な現状変更やその試みを抑止し、ひいてはそれを許容しない安全保障環境を創出」することが日本の安全保障戦略の目指す方向性である。

(Photo Credit: UPI / Aflo)

地経学ブリーフィング

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コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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神保 謙 常務理事(代表理事)/APIプレジデント
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授
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神保 謙

常務理事(代表理事),
APIプレジデント

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授

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