EV はいつから経済安全保障の対象分野に入ったのか ~EUの重要原材料規制案の事例~
EV は経済安全保障の対象か?
日米欧の中で、とりわけ「EV(電動車)推し」に熱心なのは、EU(欧州連合)と英国、ノルウェーである。その理由はガソリンを燃やさずに走るから環境にやさしい、というものだ。
EVの製造・販売を促進することはエコの問題であって、経済安全保障の対象ではなかった。どの品目、加工工程、企業・業界が、いつ経済安全保障の政策対象分野に入るのか、何を基準に判断したらいいのだろうか。EUにおけるEV部品、特にバッテリーとモーターのサプライチェーンを題材に考えたい。結論を先取りすれば、EUは環境保護の視点からEV普及の旗を振ってきたものの、中国製EVの台頭を受け、後付けで経済安全保障の見地から原材料調達に規制をかけようとしているのである。
EUは9月に入り、経済安保に密接に関連する規制案審議のラッシュに突入している。ネットゼロ産業法案、重要原材料法案、欧州半導体法案などだ。EUの経済安保戦略の一つの特徴は、それが温暖化対策、グリーンディールやサーキュラーエコノミーの一環として推進されていることであり、日本には希薄な視点だ。この微妙な差異については後述することにし、先にEVバッテリーのサプライチェーンについて直近の動きを確認したい。
3 つの「チェックポイント」で分析する EU の重要原材料規制案
EUの行政府である欧州委員会は2023年3月16日、重要原材料(critical raw materials: CRM)の安定的かつ持続可能な供給の確保に向けた規制枠組みを設置する規制案「重要原材料規制案」を発表した。これらCRMは今後需要が伸びるにも関わらず、中国をはじめ特定の諸国からの輸入に依存していることをEUは問題視し、CRMの中で特に戦略的重要性が高く、生産拡大が難しいものを「戦略的原材料(strategic raw materials: SRM)」としてリストアップした。このSRMは、日本の経済安全保障推進法の下で定める特定重要物資に該当するものと考えてよく、その詳細は次項で見ていく。規制案については、EUの意思決定機関であるEU理事会にて6月30日に加盟国共通の立場が採択されており、これに対し9月14日に欧州議会が修正を提案し、審議が続いている。
経済安全保障上の新規の規制導入などを念頭に、ある特定の品目、加工工程、企業・業界がそれまでの取り扱いや位置づけを見直しはじめなければならない「チェックポイント」は、何か。3つのチェックポイント、①対象分野、②地理的対象、③時期的ファクターを基に、EUの重要原材料規制案を分析する。
経済安全保障チェックポイント 1 「対象項目」――リストアップされた日欧の「特定重要物資」
EUの重要原材料規制案はEVのみを対象にしておらず、戦略的技術についての自律性確保、特に原材料調達における自給率の向上を目指している。戦略的技術とは、経済のグリーンでデジタルな転換および安全保障・宇宙関連と定められている。その中でEVに関係するのは、高性能なバッテリーとモーターに必須の原材料であり、SRMに指定される16点の内、4点がバッテリー用、1点が永久磁石(モーター)用と明記されている。
規制案付属書の冒頭にはSRMとCRMの一覧があり、SRMは、日本の内閣府が2022年12月に指定した「特定重要物資」11物資(特に「金属鉱産物」として列挙された物資)とほぼ一致する。日本でリストアップされていないものは、銅、天然黒鉛、そして磁石用希土類元素である。
例えば銅は、車の全体に張りめぐらされたワイヤーハーネス(各パーツに電力を送り、かつ動作指示の信号も送信する銅線ケーブルの束)に必須である。銅については経済産業省も、チリおよびペルー、2か国からの輸入に依存する供給リスクを認識しているが、特定重要物資には含めなかった。同様の供給リスクを認識するEUは、規制案が強調する理念の一つである「リサイクル」、つまりサーキュラーエコノミーを経済安保と同時に追求するため、銅やレアアースなどの金属スクラップを域内で有効活用し、域外に出さないことを徹底しようとしており、規制案のリストに含めた。
EVはガソリン車よりも巨大な電力を使うため、ますます銅線の需要が高まる見込みだ。銅をリストに含めるか否か、環境への取り組みを軸に、EUと日本の経済安保上の判断が分かれた格好だ。推進法の下で定められる施行法で指定されていない物資でも、米欧どちらかのリストにそれが載った瞬間から、経済安保上の潜在的な規制対象として注意を払う必要が出てこよう。EUはリストアップした物資の域外依存度を65%まで低下させることをうたっている。
チェックポイント 2 「地理的ターゲット」――EU はどのアクターを意識しているのか
次に、規制案の地理的ターゲットがどこに向けられているか考える。EVバッテリーの域内自給率が低いことは、脱炭素をめぐる世論が高まる2015年以降、EU内で問題視されはじめていた。
EV用を含むリチウムイオン・バッテリー等の域内自給率を向上させる試みは、2017年に発足した欧州バッテリー同盟(European Battery Alliance)の下で既に始まっていた。同盟はバッテリーが日中韓などアジア諸国からの供給に重く依存していることを問題視し、原材料の確保からバッテリーの生産と供給に至るEUの自給率を向上することを目指した。欧州委員会と各加盟国政府が支援を拠出し、民間投資を刺激することを目指した。経済安保よりも、域内向けの産業政策の色彩が強かった。
バッテリー同盟は2021年1月に新たに、欧州電池イノベーション(European Battery Innovation: EuBatIn) をプロジェクトに加え、欧州委員会による生産支援など29億ユーロ(約4,568億円)を承認した。これまでのバッテリー同盟が日中韓への対抗を意識した支援策だったのに対し、日韓と中国の位置づけに違いが出てきている。日韓はEU加盟国にとり、原材料の共同調達を想定するフレンドショアリング対象国と想定される一方で、中国は欧州議会での審議において、突出した域外依存の脅威として名指しをされている。政策文書において名指しはされていないものの、バッテリー同盟ではやや漠然とした「アジア」に対する自給率向上目標が、中国フォーカスに移行してきているのである。
バッテリー生産の原材料調達をルールで縛ることになる重要原材料規制案も、日韓よりも中国を警戒しており、このような地理的ターゲットの変化を、2つ目のチェックポイントとしたい。
チェックポイント 3 「時期的ファクター」――潮目の変化をどう見極めるか
3つのチェックポイントの中で、おそらく最も見通しを立てにくいのが、この「時期ファクター」である。これは例えば、時代の潮目が変わる瞬間、あるいは、中国が米国(本稿ではEU)の虎の尻尾を踏んだ瞬間、のようなものである。何をどのように注目すればいいのか。
既述の①対象項目と②地理的ターゲットは、国際関係の大きなイベント、あるいは統計上で特筆すべき分水嶺を迎えた瞬間に大きく動く確率が高い。言い換えれば、世論が大きく動く危険がある、レピュテーションリスクに近いシチュエーションが想定されよう。EVバッテリーの場合は、2023年上半期のEV輸出入統計の発表がEUにおける危機感を一挙に高めた「チェックポイント3」に該当する。
2023年3月、テスラが中国市場で値下げ競争を仕掛け、中国の新興EVメーカーは生存競争に巻き込まれ、ドイツが誇る老舗フォルクス・ワーゲンやメルセデス・ベンツまでも価格競争に巻き込まれた。EUの「EV推し」の雲行きが怪しくなった矢先の5月末、中国の2023年1-3月期の輸出台数が2位の日本(この時点でドイツは3位)を抜き、世界一となったと報じられた。同年第1四半期に世界で1番売れたクルマはテスラ・モデルYであり、単一車種で初めてEVが世界販売台数1位になったことも同時に判明し、自動車業界における「一つの時代の区切れ」を迎えたことが意識された。
2023年の上半期、中国製EVは欧州の直接かつ明確な脅威と認識されはじめたのである。しかしこれだけでは、「決定的な転換点」というチェックポイントにならない。問題は、誰が中国をそこまで強くしてしまったのか、である。
その答えは、同時期に発表された貿易統計の中にあった。2022年の中国のEV車輸出は、欧州向け(EU+ノルウェーと英国)が前年比89.4%増の43.7万台で、46.4%を占める最大の輸出先だった。つまり中国製EVの躍進の立役者は、他でもないEU市場であり、EUの「EV推し」が中国を利していたのだ。
同じ5月にドイツのアリアンツ・トレード(Allianz Trade)がレポートを発表し、ドイツ、スロバキア、チェコなど自動車産業の比重が大きいEU諸国は中国製EVの輸入の影響がGDP比0.3%から0.4%(EU全体で240億ユーロ)に及ぶと警告し、EVバッテリー原材料の鉱物開発を強化するなど、政策当局の支援強化を訴えた。中国製EVの脅威は、EU筆頭の輸出競争力を誇るドイツとて例外ではなく、むしろそのドイツこそ危機的状況に置かれていると認識された。
最後のチェックポイント③は、中国の躍進を許したのがEUであり、最強のドイツこそが危ない、とわかった瞬間だった。これら3つの要因が重なり、重要原材料規制案の議論を加速させているのである。
日欧EVの今後
中国は2009年に米国を抜いて世界一の自動車市場になり、明確かつ一貫した意思を持って補助金を投じて自動車大国を目指し、その切り札がEVだった。そうしたEVが中国市場(のみ)を席捲している間は、EUはEVのサプライチェーンを経済安全保障政策の対象に含めなかった。しかし地元EU市場を脅かすまでに成長したのを受け、重い腰を上げた。
ウルズラ・フォンデアライエン欧州委員会委員長は中国製EVの補助金について調査を実施すると発表している。ドイツのオラフ・ショルツ首相は、調査によってお互いに自由主義を否定することで保護主義に陥らないことを望む、とコメントした。EUの自動車市場を中国製EVによる「不公正な」競争から「公正な競争(level playing field)」に戻そうと牽制する調査に対し、ショルツ首相は(それよりも)中国市場でのシェアを失うことを懸念している、と本音を白状したようなものだ。
EVバッテリーの重要原材料規制案を3つのチェックポイントを用いて分析することで、EUが中国に対する脅威認識を明確にし、環境保護の視点を維持しつつ、それまでの産業政策を経済安全保障に置き換えはじめている経緯と実態を説明した。これを牽制したショルツ首相の発言は、中国事業を抱える日本企業にとって首肯できる部分もあり、グローバルな自由貿易の恩恵を享受し続けてきた日欧が、経済安全保障の色彩を強めるほどにこれに逆行しつつある、中・長期的なジレンマを浮き彫りにしている。他方、短期的には、規制案で提案されている同志国との共同調達や情報交換は、アジア・アフリカ諸国における原材料調達を再考する好機になろう。
EUは環境の他、人権デューデリジェンスや労働条件なども経済安全保障に絡めて議論しており、こうした諸国での共同調達は「3つのチェックポイント」の判断をさらに複雑にすることが予想されるため、別の機会に整理したい。
(Photo Credit: Reuters / Aflo)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
主任研究員
慶應義塾大学大学院法学研究科修士、European University Institute歴史文明学博士。新潟県立大学国際地域学部および大学院国際地域学研究科准教授、モナシュ大学訪問研究員、LSE訪問研究員、外務省経済局経済連携課を経て、2021年に合同会社未来モビリT研究を設立。現在、日本経済団体連合会21世紀政策研究所欧州研究会研究委員、東京大学先端科学技術研究センター牧原研究室客員研究員、フェリス女学院大学非常勤講師。2021年12月にAPI客員研究員兼CPTPPプロジェクト・スタッフディレクター就任。 【兼職】 合同会社未来モビリT研究 代表
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