米空母打撃群中東展開に見る「抑止のための軍事活動」のジレンマ
「抑止のための軍事活動」は、本来的に「伝達したくない真意が伝達されやすい」という厄介な性質を持っている。その要諦が「エスカレートする意思をあえて示すことにより相手を後退させる」ことにある一方、武力衝突にエスカレートするリスクは誰もが避けたいものだからだ。米軍と同様、日本も2022年に策定された国家防衛戦略でFDO(flexible deterrent options=柔軟に選択される抑止措置)を抑止の手段に位置付けている。いま米軍が抱えているジレンマから日本は何を学ぶべきか。
本稿は、Foresight(フォーサイト)にも掲載されています:
https://www.fsight.jp/articles/-/50223
https://www.fsight.jp/articles/-/50224
米国防省が2022年10月に公表した国家防衛戦略(2022NDS)は、中国を「米国に対する最も包括的かつ深刻な課題」、ロシアを「急迫した脅威」と位置付けて防衛上の対処の優先事項とした。これらの主要な脅威認識の陰で、あまり注目されなかったのが、その他の脅威についての言及である。2022NDSは、優先事項である中露への対処に取り組む過程で、北朝鮮、イラン、暴力的過激派組織といったその他の継続的脅威に対しては、警戒を続けつつも、「想定されるリスク(measured risk)を甘受する」と明言した。
10月7日に発生したハマスのイスラエルに対する攻撃とその後の展開を踏まえれば、この2022NDSの文言は示唆的である。1年前の段階で、米国は、中露への対処を優先する中で、中東への関与やテロとの戦いに米国はこれまでどおりには資源を投入しないという姿勢を明確にしていたからだ。戦略文書の役割が優先事項の提示であることを踏まえれば、「優先しない事項」を明確にすることは重要である。
問題はその戦略の履行である。今般のハマスによるイスラエル攻撃を受けた中東情勢の流動化に際して、米国が1年前に表明した優先順位に基づき行動しているようには思えないからだ。米国政府は、イスラエルに対してアイアン・ドーム防空システムの迎撃体や誘導爆弾等の供与を表明するとともに、議会に対し約1059億ドル(約16兆円)に及ぶイスラエル、ウクライナ等支援を目的とした安全保障援助パッケージ予算(うちイスラエル支援関連は約143億ドル=約2兆円)を要求した。また、2つの空母打撃群を東地中海に派遣するとともに、F-35、F-15、F-16、A-10戦闘機部隊やTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)、追加のパトリオット地対空ミサイルを中東地域に展開することとしている。
米国の現有空母11隻中の2隻を中東対応に充てていることや、軍事援助パッケージのうち台湾などインド太平洋等向け支援がイスラエル向けの2分の1であることを踏まえると、バイデン政権は、2022NDSで表明した優先順位どおりには対応していないのかもしれないという疑念が浮かび上がってくる。米国はなぜ中東に空母打撃群等の大規模部隊を展開しているのか。そして、それらは抑止力として機能するのか。本稿では、抑止のための平素からの軍事活動に内在するジレンマに焦点を当ててこれらの疑問への答えを探ってみたい。
「二重の抑止」のための部隊展開
米国防省は10月14日、USSフォード空母打撃群に加えてUSSアイゼンハワー空母打撃群を地中海に追加派遣する際、その目的について、「イスラエルの安全保障に対する揺るぎのないコミットメントと、戦争をエスカレートさせようとする国家及び非国家主体を抑止するため」と発表している。また、10月21日にUSSアイゼンハワー空母打撃群を米中央軍の担任区域内に移動させる(すなわち、地中海からアラビア湾方面へと移動させる)とともに、THAAD等の防空ミサイル部隊を展開させる決定を行った際には、「地域における抑止の取組と米軍の部隊防護を強化し、イスラエルの防衛を援助する」と説明している。
米国防省高官による記者ブリーフィングは、その意義についてさらに、米空母打撃群は情報収集から長距離打撃まで全方位的な多用途性を有しており、あらゆる事態に対応できる態勢を築き、紛争が地域に伝播するリスクを最小化することができると敷衍する。また、世界中どこに生起した事態に対しても対応できる米国の軍事展開能力を、敵国のみならず、同盟国・パートナー国に対しても示す意図があることを明らかにしている。米国防省のパトリック・ライダー報道官も、米国の狙いはイスラエル・ハマス武力紛争の中東地域への拡大を防ぐことであるとしている。
これらの説明から明らかなのは、米国の部隊展開が、イラン及びイランの支援を受けたヒズボラ等の非国家主体による本格的な紛争参加に対する抑止と、イスラエルへの安心供与によって同国のイラン系勢力に対する軍事攻勢を抑止するという、「二重の抑止」の目的を持っていることである。
イラン側抑止の課題:FDOの論理性が招く抑止力の低下
米国の取組は、イスラエルとイランとの間の直接的な軍事衝突が発生していないことに着目すれば、一見すると成功していると言えるのかもしれない。しかしながら、そもそも最初からイランがイスラエルへの攻撃を企図しており、米国の部隊展開がそれを抑止したと言えるかは分からない。むしろ、イランの意図が、自国が支援する非国家主体を通じて非対称的に敵を消耗させることにあるのだとしたら[1]、そのような低強度の攻撃を抑止するには至っていない。
この点、見過ごせない問題として挙げられるのが、「地域紛争へのエスカレーションを防ぐ」という目的を強調すればするほど、米国が紛争の水平的拡大を何よりも恐れていることが同時に強調されてしまうという点である。エスカレーション防止を強調し過ぎると、2個空母打撃群という全方位的で圧倒的な軍事力を展開しているにもかかわらず、その軍事的能力を完全には活用したくないという逆の意図が推定されてしまう。
10月末時点でイラク及びシリアに所在する米軍基地に計27回の小規模攻撃がなされたとされる一方、米軍はシリアに所在するイラン革命防衛隊関連の施設2カ所に攻撃を加え、イエメンのフーシ派からのドローン及び巡航ミサイル攻撃を紅海において迎撃している。11月8日には、米空軍の無人機MQ-9リーパーがフーシ派によって撃墜されたとされる。さらに、イラン革命防衛隊との密接な関係が指摘されるシーア派武装勢力のヒズボラは、レバノンからイスラエル北部への散発的な攻撃を行っている。
2個空母打撃群の展開は、そこに存在しているのみではこれらの低強度の攻撃を抑止できていない。イランがこれらの攻撃に一定の指示を与えているのだと仮定すれば、その抑止のためには、展開した軍事力をイランに対して使用し得るという決意の信憑性が必要となる。しかし、そのような行為は自らエスカレーションを行うことを意味するものであるから、「エスカレーションを防ぐ」ことの強調は、決意の信憑性向上にとって逆の効果をもたらしかねない。
一方、シーア派武装勢力によるイスラエルや米軍基地に対する攻撃の判断が、必ずしもイランの指示に基づくものではなく、各組織の判断に委ねられた分散的なものであるとしても[2]、このような攻撃をやめさせるには、イランによる追加的行動を要する。その場合、厳密には、そのような行動変容は、まだとっていない行動をとらせないようにするという抑止の問題ではなく、相手に特定の行動変容を強制するという「強要(compellence, coercion)」の問題となる[3]。相手に行動変容を仕向ける強要は、一般に、抑止よりも強力な制裁を要するとも指摘される[4]。いずれにせよ、米国の部隊展開は、上記の抑止における問題と同様の理由により、イランに対する強要にも成功しているように見えない。
それでは、米国の部隊展開が圧倒的な軍事力に依存する一方で、エスカレーションの防止に力点を置き、その意図が透明性を持って伝えられるのはなぜか。今般の空母打撃群の派遣のような部隊展開は、一般に、柔軟に選択される抑止措置(flexible deterrent options: FDO)の一環として捉えられる。米軍の統合ドクトリン文書『JP5-0統合計画(Joint Planning)』によれば、FDOは「事前に計画された抑止を志向する行動であり、敵の行動に対してシグナルを送り、影響を与えるために誂えられたものである。FDOは危機に先立って、あるいは危機に際して確立される」、「FDOは主として危機の悪化とエスカレーションを防ぐことを企図している」と説明されている。また、FDOの目指す目標としては、「敵の潜在的な侵略に対する受け入れ難いコストをもって対峙すること」、「敵の武力を用いた対応を招くことなく急速に地域における軍事バランスを改善すること」などが掲げられる。
2022NDSが提起したこれと類似の概念として、「戦略的に連関した目標を達成するための連続し、論理的に連接した軍事活動」と説明される「キャンペーニング(campaigning)」がある。グレーゾーン事態における同盟国との共同演習などもこの概念に基づく活動として例示されている。
これらの説明に特徴的なのは、使用された場合大きなコストをもたらす圧倒的な軍事力の誇示により、相手に脅威を与えるという極めて原始的な方法をとる中においても、「事態の更なるエスカレーションの防止」を目的とした「論理的」な活動となることを狙っている点である。今般の空母打撃群の展開は、経済、情報、外交的手段と併せ、抑止のための軍事的活動の1オプションとしてあらかじめ整理された定石どおりの動きであるように見える。
しかし、このような事前に整理されたであろうオプションに基づく整斉とした対応には、弱点がある。それは、主に核抑止の文脈ではあるが、トマス・シェリングが、「抑止の信憑性」と「意思決定の合理性」を対比させ逆説として論じたとおり、古くから指摘されているものである。すなわち、抑止をもたらす脅威の信憑性を向上させるためには、相手に脅威を与える自らの判断が相手にとって非合理的で、予測不可能であることを一定程度示す必要があるというものだ[5]。そのためには、自らと相手が共有するコントロール不可能な要素を含むリスクを操作することが重要となる[6]。
この観点から言えば、紛争の拡大防止を掲げ、自らのみならず他者にとっても論理的に見える軍事力の展開は、米国の意思決定の確実性を示す結果となり、抑止の信憑性を低下させる可能性がある。エスカレーション防止という軍事力展開の意図について明確な説明を行い、軍事力使用のコミットメントを避ければ、米国側から事態をエスカレーションさせる意図がないことが逆に明確になり、軍事力行使の決意が疑われるためだ。事態のエスカレーションと敵の抑止(行動抑制)は、表裏一体の関係にある。その意味では「敵の武力を用いた対応を招くことなく」、「受け入れ難いコストをもって対峙する」というFDOの目標は、両立し難いジレンマを内在している。
イスラエルへの安心供与の課題:明確なシグナリングが招く対イスラエル抑止力の低下
他方で、今般の空母打撃群の展開は、間接的にイスラエルに対して向けられたものであるとの指摘もある。イスラエルに対して安心供与を行うことで、同国がイラン側勢力に対する攻勢を仕掛け、米国がイスラエルとイランの間のより深刻な地域紛争に巻き込まれることを抑止するというものである。東地中海に展開するフォード空母打撃群は、地域に展開する防空アセットと航空戦力とを併せて、イスラエルに対するエアカバーを提供するとともに、必要に応じて敵の攻撃拠点を打撃する基盤を提供することに寄与する。そうした能力を目に見える形で示すことで、イスラエルがイラン側に対する単独行動に走らないようにすることも期待されているかもしれない。
このように考えれば、米国がより対応コストの高い紛争への「巻き込まれ」を避けるために、プレゼンスの明確な軍事力の派遣によるコストは負担せざるを得ないと判断したとしても、一定の合理性がある。しかし同時に、米国の軍事プレゼンスによってイスラエルは抑制され、暴走しないだろうとイラン側に見積もられれば、「何をするか分からない」イスラエルのイメージが緩和・上書きされ、抑止力の低下につながりかねないことを懸念する指摘もなされている。また、米国の部隊展開の重心が当座のイスラエル支援と行動の抑制にあると捉えられれば、イランに対するエスカレーションを厭わない決意の信憑性も低下する可能性がある。味方への安心供与の意図が明確な軍事活動は、敵への抑止力を低下させるおそれがあるというもう一つのジレンマである。
USSアイゼンハワー空母打撃群の米中央軍担任区域への移動は、このような安心供与と抑止を巡る微妙なバランスに後押しされた展開かもしれない。イスラエルへの安心供与とイランに対する抑止という2つの役割を1個空母打撃群に担わせるのは、軍事的観点からは難しいと思われるからだ。イスラエルにエアカバーを提供する構えを見せるためにフォード空母打撃群は地中海に所在することが効果的だが、その艦載機にイラン本土への打撃態勢をとらせるのは、その行動半径を踏まえると無理がある。
この点さらに、イランに対する効果的抑止の観点からは、空母打撃群をイラン革命防衛隊の対艦ミサイルの射程外で、かつ空母艦載機がイランに到達可能なインド洋上に待機させるのが適切とも指摘されている。トマホーク巡航ミサイルを大量搭載することが可能で、対地攻撃能力に優れる改オハイオ級巡航ミサイル原潜[7]が空母打撃群に随伴し、紅海を抜けて中央軍の責任区域に進出したことを明らかにしたのも、対イラン打撃能力を強調する意図によるものである。ただし、イランへの脅しに寄った軍事展開は、イスラエルの行動の先鋭化を促しかねないというモラル・ハザードの問題も内在していることに留意が必要だ。
今後の展開と考慮すべきポイント
これらの米軍の部隊展開は、事態が長期化すればするほど、米国の防衛資源の分散につながる。地中海とインド洋・アラビア湾にずっと浮いていることができない以上、空母打撃群はいずれかのタイミングで、少なくとも1個群は退くことになるだろう(米中央軍担任区域に1個空母打撃群が前方展開することはあるが、イランとの緊張の高まりを受けて2020年に中央軍(ケネス・マッケンジー司令官=当時。2022年退役)の要求に応じて空母2隻態勢とした際は、空母の世界的ローテーションへの悪影響や中露対応への資源集中の観点から批判が起きている。)。
考えられる出口のタイミングは、米国によるイスラエルへの軍事援助が十分な水準に達し、イスラエル自らによる防空能力と継戦能力の強化が図られたと判断されるタイミングであろう。あるいは、防空システムや戦闘機部隊の追加配備・戦力化を進めた後に、空母打撃群から地上を拠点とする米軍部隊へ任務を引継ぐストーリーも考えられる。
あるいは、シーア派武装勢力による攻撃が今より強まった場合、空母部隊を退かせるタイミングが失われる可能性もある。イランにとって、自らに直接の被害が及ばない限り、シーア派武装勢力を積極的に奨励するか、消極的に放任するかにかかわらず、武装勢力への支援を通じて米国の資源を消費させることの費用対効果は決して悪いものではない。また、そのような状態を維持するために積極的に行動するかは別としても、中国やロシアの利益にも適うだろう。
以上の可能性を念頭に置いた上で、抑止のための軍事活動を企図するに当たって、米軍はどのような点に留意すれば良いだろうか。
まず、事態の性質や抑止すべき相手方に応じて、展開する部隊を調整しながら誂える試みが必要である。定型化された部隊展開は予測可能性を生み、抑止の信憑性を低下させるおそれがある。また、空母打撃群のような圧倒的な軍事力は、米軍への低強度攻撃を支援ないしは容認するイランのような相手に直接使用する決意を示すには、能力と決意の間にギャップがある。軍事能力に見合った意図を有していないと甘く見られれば、軍事能力に見合った脅威を十分に与えることはできない。
したがって、抑止効果を上げるためには、第一に、逆説的ではあるが、決意との均衡性のある軍事能力を展開・維持していくことを検討すべきだろう。例えば、高い非脆弱性と打撃能力を有する改オハイオ級巡航ミサイル原潜と、(地上を拠点とする)情報収集・打撃のための無人機部隊や戦闘機部隊とを組み合わせて運用することが考えられる。今般の事例に限っては、急激にアセットを減らすことは現実的ではないため、無理のないローテーションに戻すため、当面1個空母打撃群までは維持するのが賢明かもしれない。いずれにしても、展開したからにはそれを頻繁に誇示し、実際に打撃に用いることが必要だろう。能力が使われることの信憑性を向上させなければならない。
第二に、あるいは逆に、展開する圧倒的な軍事力に見合ったシグナルを強めることも考えられる。部隊展開の意図を対外的に発信する際、エスカレーション防止を強調し過ぎたメッセージはプラスに働かない可能性も留意すべきである。「するな(Don’t)」だけでは脅威は伝わらない。対象を絞った(targeted)対応を強調するのも賢明ではない。米軍の行動のある種の予測不可能性を印象付けるナラティブが必要かもしれない。
第三に、抑止と安心供与という二重の目的を持ったメッセージを、対外的に発信する必要は必ずしもない。上記で提起した安心供与と抑止のジレンマは、非言語的な軍事活動のみならず、対外発信を伴うからこそ先鋭化し得る問題である。イスラエルに対する抑制や安心供与を、イランに甘く見られることなく伝える、また、イランに対する強いシグナルを、イスラエルを先鋭化させることなく伝えるためには、それぞれの二国間に限定されたコミュニケーションが不可欠である(脅威を伝えるのには、対外発信よりも二国間の内密なシグナリングの方が有効であるとの研究も提起されている[8])。
第四に、中東情勢が米国のグローバルな抑止力、特に、対中、対露抑止力に影響を与え得ることは論を俟たないが、米国の軍事力を中東に過剰に振り向けることは、対イラン抑止力それ自体を低下させるおそれがある。「無理をしている」「持続可能性がない」と思われたら脅威の信憑性は向上しないのである。したがって、中東での展開は2022NDSで低下させた優先順位に見合うレベルにとどめた方が、逆説的だが持続可能であり、侮れないと捉えられる可能性がある。その観点からも、適当なタイミングで1個空母打撃群は退かせる方が良いだろう。
日本にとっての示唆
これらの展開が日本の安全保障に与える示唆はどのようなものだろうか。
まず改めて想起されるのは、FDOの実施が抑止効果をもたらすことを所与の前提とはできないことだ。2022年に策定された国家防衛戦略は、FDOを抑止の手段として位置付けており、「力による一方的な現状変更やその試みを抑止するとの意思と能力を示し続け、相手の行動に影響を与える」としている。またそのために、「平素からの日米共同による取組として、共同FDOや共同ISR等をさらに拡大・深化させる」ことも提起している。しかし、これらは海上・航空アセットの展開や演習によって自動的に達成されるものではない。
抑止のための軍事活動が効果を生むには、抑止対象や事態の性質に応じたテーラーメイドの軍事力の選定・調整に加え、抑止対象となる行為があれば当該軍事力が使われるかもしれないという、「危うさ」を醸成することが必要となる。そのためには、特定の事態や展開にはどのようなアセットを活動させるべきなのか、平素からあらかじめ、政府部内で多様な選択肢を検討しておくことが望ましい。
また、実際の危機に際しては対外発信の内容を精査する時間的余裕がなく、伝達したくない真意も読み取れてしまう発信となる可能性がある。武力衝突にエスカレートするリスクは誰もが避けたいところ、エスカレートする意思をあえて示すことにより相手を後退させることに要諦がある抑止のための活動は、本来的に「伝達したくない真意が伝達されやすい」という厄介な性質を持っている。したがって、ここで発信されるメッセージについても、多様なパターンに応じて積極的に言うべきこと、言うべきでないことを確認できるチェックリストのようなものを平素から準備しておくべきだろう。
抑止のための活動は、その国が有する国力や防衛力の制約から逃れて効果を発揮できるようなものではない。行動や言葉による個別のシグナルと、客観的に推し測れる軍事能力や軍事態勢のような指標は、相手から常に相互参照され、「見せかけの脅し(empty threat)」か否かを検証されることを免れない[9]。しかし、限られた防衛資源を有効に活用するためには、シグナルが有する抑止効果を極大化するための工夫も重要となる。
注
- [1]Afshon Ostovar, “The Grand Strategy of Militant Clients: Iran’s Way of War”, Security Studies 28. no. 1 (2019): 159-188; Shahram Akbarzadeh, et al., “Iranian proxies in the Syrian conflict: Tehran’s ‘forward-defence’ in action”, Journal of Strategic Studies (2022).
- [2] 米国防省も、必ずしもイランが明示的に武装勢力に指示を与えているとの立場には立っていないが、支援を行っている事実をもってイランが責任を負うだろうとしている。
- [3]Thomas C. Schelling, Arms and Influence (New Haven: Yale University Press, 1966); Robert A. Pape, Bombing to Win: Air Power and Coercion in War (Ithaca: Cornell University Press, 1996).
- [4]Schelling, 100; Pape, 7.
- [5]Ibid., 36-43.
- [6]Ibid., 92-105.
- [7]米国防省は、展開しているオハイオ級原潜が核搭載可能なSSBN(戦略原潜)なのか通常戦力のSSGN(巡航ミサイル原潜)なのかを明らかにしていないが、公表された写真における潜水艦の形状を踏まえれば、SSGNであると思われる。SSGNであることをあえて断定しない姿勢は、相手に対するシグナリングの観点から興味深い。
- [8]Azusa Katagiri and Eric Min, “The Credibility of Public and Private Signals: A Document-Based Approach”, American Political Science Review 113, no. 1 (2019): 156–172.
- [9] Robert Jervis, The Logic of Images in International Relations (New York: Columbia University Press, 1989), ch. 2.
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
主任研究員
防衛省で総合職事務系職員として16年間勤務し、2022年9月から現職。2007年防衛省入省。2009年から防衛政策局国際政策課で米国以外の国では初となる日豪物品役務相互提供協定(ACSA)の国内担保法を立案。2014年から2016年まで外務省国際法局国際法課課長補佐として、平和安全法制の立案や武力行使に関する国際法の解釈を実施。2016年から2019年まで防衛装備庁装備政策課戦略・制度班長として、防衛装備品の海外移転の促進、ウクライナへの装備支援でも活用された外国軍隊への自衛隊の中古装備品の供与を可能とする自衛隊法規定の立案、防衛産業政策などを主導。2019年から2021年まで整備計画局防衛計画課業務計画第1班長として、陸上自衛隊の防衛戦略・防衛力整備、防衛装備品の調達を統括。2021年から2022年まで防衛政策局調査課戦略情報分析室先任部員(室次席)として、ロシアのウクライナ侵略、中国の軍事動向を含む国際軍事情勢分析を統括。 2007年東京大学教養学部卒、2012年米国コロンビア大学国際関係公共政策大学院(SIPA)修士課程修了。
プロフィールを見る