東アジアの手前で「戦争のドミノ」をいかに止めるか
混とんとする世界秩序の中で戦争のドミノが倒れてきている。ロシア・ウクライナ(露ウ)戦争は3年目に突入し、ガザの戦火は中東全体に火の粉を飛ばしている。暴力による現状変更を厭わない国々が結託し、第二次大戦後の国際秩序を保ってきたルールを無視する一方、そのルールを創設し、護持してきたアメリカは国内の分断に苦しみ、秩序の守護者としての役割に疲弊している。東アジアには台湾海峡と朝鮮半島という巨大な火薬庫がある。この東アジアの火薬庫に戦争のドミノを倒さないためには、何が必要か。戦争の敷居が下がりつつある今こそ、西側諸国のみならず、中国を含む国際社会全体が真剣に考え、世界的な破局を防ぐため行動しなければならない。
戦争が破壊するもの
露ウ戦争は、ウクライナの軍人3万1千人、民間人1万人超の死者を含め、双方で50万人規模の死傷者を既に出している。ガザの死者は2月末の時点で3万人を超え、増え続けている。戦争は膨大な数の人命を奪い、国際秩序の最も重要な基本的人権の保護というルールを破壊する。独裁体制に反抗する者の粛清や抑圧は自由という人類共通の価値を奪う。都市やインフラの破壊、経済活動の停滞によって、ウクライナは2026年までにGDPの約1200億ドル(約18兆円)を失うと推計されている。仮に、ロシアが占領する18%の国土をウクライナが失えば、自衛権の行使以外の武力行使を禁止する国連憲章(第2条第4項)が蔑ろにされ、国際法の支柱が大きく傷つく。このような現在進行形の様々な破壊を止めなければ、剝き出しの軍事力が支配する国際秩序が出現するだろう。戦争以前のリベラルな国際秩序の回復を目指しつつも、正当な力に裏付けされた新たな安全保障秩序の構想が必要だ。原状回復が不可能な人命喪失の防止(停戦)を最優先し、戦争犯罪や戦争責任の追及による国際法の権威回復また経済的な復興支援を、時間をかけてでも達成しなくてはならない。侵略者の利得を許さずに、この道筋をつけることが戦争のドミノを止める第一手となろう。
東アジアの戦争がもたらすもの
米国の戦略国際問題研究所(CSIS)が昨年1月に公表した「次の戦争の最初の戦闘」によれば、日米台は中国による台湾の武力統一を阻止できるが、いずれの国も壊滅的な損害を出すので、「勝利は無意味」だと結論した。CSISの報告はそのタイトルが示す通り、戦争当初の戦闘に限定した分析であり、戦争終結とその後の世界については述べていないが、大混乱することは確実であろう。
ブルームバーグが台湾総統選の直前に公表した記事によれば、台湾有事のコストは約10兆ドル(約1500兆円)、世界の国内総生産(GDP)のほぼ10%に相当し、露ウ戦争や新型コロナウイルスによる打撃などとは比べものにならない。中国は主要貿易相手国との関係を断たれ、先端半導体へのアクセスも失い、GDPは16.7%相当の打撃を受ける、とされている。中国にとっても受け入れらないこの結末を、習近平主席に認識させることが必要だ [i]。
さらに、米中の軍事衝突は核戦争へのエスカレーションのリスクを孕む。このように東アジアの戦争は世界的な破局に直結することが確実であり、中国を含め、世界が協調して抑止するべき課題である。核抑止が相互確証破壊の共通認識によって機能するように、東アジアの戦争が世界にもたらす破滅的な影響の認識を共有し、その水晶玉効果によって戦争の抑止を図らねばならない。
東アジアの戦争ドミノの特徴
東アジアの戦争という最後のピースには、それにつながる多くのドミノがある。2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵略に至る過程には、2008年のNATO首脳会議、2014年のクリミア併合とそれから続くウクライナ東部2州での戦闘、そして2021年のウクライナ国境へのロシア軍の部隊集結などのピースがあった。2023年10月7日のイスラエルに対するハマスの奇襲攻撃に至るドミノは、溝渕正季の「イスラエル・ハマス紛争の背景と国際安全保障秩序への影響」に詳しい。これらの事例は、一度戦争のドミノが倒れると被害は激甚化し、事態の収束や管理が極めて難しくなることを示している。従って、破局のドミノが倒れる前に、そこに至るまでの多くの小さなドミノを可視化し、固定するか除去することが重要となる。
また、戦争のドミノは地域を越えて連動する。東欧や中東で現在進行する戦争は、米国の関与の意思と介入の資源に影響を及ぼし、東アジアにおける米国の抑止力という重要なピースを不安定にしている。このピースは、米国最優先を信条とするトランプ氏が米大統領に再選される可能性の高まりを受け、さらに大きく動揺している。NATO諸国や日本など現状維持を志向する国々は、米国自身のためにも米国の関与が必要だと説き続ける必要がある。
そして、東アジアの二つの火薬庫はどちらが先に発火しても、もう一つに誘爆する恐れがある。ハマスの奇襲攻撃を教訓に、北朝鮮の軍事的な冒険主義への注意も怠ってはならない。金正恩総書記は、平和統一路線を断念し韓国を「第一の敵対国、不変の主敵」だと宣言、ロシアとの軍事協力関係の深化を背景に、態度を一層強硬にしている。延坪島砲撃や「天安」撃沈のような限定攻撃のリスクを予期し、これによって朝鮮半島の大きなピースを不用意に倒れさせないための備えがいる。
台湾有事のドミノの現状と倒壊の連鎖を断つ方策
習近平主席は、「台湾問題を解決して祖国の完全統一を実現することは、中華民族の偉大な復興を実現する上での必然的要請」であり、「決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとるという選択肢を残す」と、一貫して主張している。一方の台湾では新年早々、蔡英文現総統の現状維持路線を踏襲する民進党の頼清徳が次期総統に選出された。独立志向の強い頼清徳氏に対し、今のところ中国は、民進党は台湾の民意を代表していないとの間接的な批判にとどめているが、基本的に中台の立場は相いれない。習主席が頼次期総統の現状維持をいつまで許すか、予断はできない。
中国は1996年の第3次台湾海峡危機以来、一貫して軍事力強化を進め、東アジアの戦力バランスを中国優位に変えた。バーンズCIA長官は度々、「習近平が中国人民解放軍に対して、2027年までに台湾侵攻の準備をしておくよう指示したとみられる」と警鐘を鳴らしており、習主席の頻繁な部隊視察時の訓示はその懸念を裏付けている。習主席の「中華民族の偉大な復興」に影響を与えたとされる「中国の夢」を2010年に著した劉明福国防大学教授は、2020年10月に「中国『軍事強国』への夢」を出版した。その中で劉教授は、「新型統一戦争」を提唱し、「最も有利なタイミングを見計らって開戦しなければならない」と主張している。その主張を前提とすれば、武力行使というドミノを倒さないためには、中国に「情勢や時機が有利な状況」と認識させないことが不可欠となる。露ウ戦争は、究極的には軍事力の強さが勝敗を決するという冷厳な事実を突きつけている。従って、このドミノを支えるのは、中国人民解放軍を凌駕する台湾軍と支援する米軍や日米同盟の統合力の強さなのだ。宇宙やサイバーの新領域を含む我が方の脆弱性を克服し、エスカレーションを制御できる軍事力の優位を確保することが必要である。
中国の台湾統一の選択肢は本格的武力侵攻だけではない。武力による威嚇やハイブリッド戦は戦争のドミノの一歩前にあり、そのピースを倒さないことも重要だ。CSISは1月22日、米国と台湾の専門家87人を対象にアンケート調査した結果を発表した[ii]。調査の「今後5年間、中国が直ちに台湾を強制的に統一することを目指すとすれば、どのような行動をとるか」という設問に対し、6つの選択肢の中で烈度が2番目に高い「台湾の物理的な統合封鎖」が米台共に80%の最多となった。中国は常々「台湾問題は純粋な中国の内政であり、いかなる外部からの干渉も許さない」と主張しており、検疫や治安維持を理由に台湾を隔離するシナリオは十分あり得る。中国は、2022年8月のペロシ米下院議長訪台後に封鎖の予行とも見える演習を実施し、その後、尖閣諸島や台湾周辺の常続的な警戒監視活動を常態化させている[iii]。このドミノはいつ倒されてもおかしくない状況であり、台湾はもとより日米豪比等の関係国は、台湾封鎖は中国の国内問題ではあり得ず、必ず国際社会として封鎖解除に一致して当たるという明確な意思表示をすべきだ。
当事者として常に関心を持ち、危ないドミノは芽の内に摘め
2023年11月、米中首脳は1年ぶりに対面で長時間会談し、習氏は台湾について「米中関係で最大かつ最も危険な問題」だと述べたという。その認識は正しいが、米中関係だけでなく、中国共産党にとっても統治の正当性に重大なリスクをもたらす問題である。まずは、戦争ドミノがもたらす破局を関係国の共通認識とし、戦争の敷居を上げ、連動する様々なピースを芽のうちに摘むための継続的な対話と行動が必要だ。日本も主要な当事者として主体的に関与し、米国というアンカーを東アジアに繋ぎ留めておかねばならない。
[i] https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-01-10/S6YXIJT1UM0W0
[ii] https://www.csis.org/analysis/surveying-experts-us-and-taiwan-views-chinas-approach-taiwan
[iii] 読売新聞「中国軍艦4隻、台湾の四方にも常時展開」、2024年1月29日、https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240128-OYT1T50161/
(Photo Credit: Shutterstock)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
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