経済安全保障とは何か

出版社の許可を得て、地経学研究所が2024年に刊行した『経済安全保障とは何か』(地経学研究所 編)の第一章を無料公開することといたしました。第二章以降はAmazonにてお買い求めいただけます
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近年、日増しに認知度が上がり、新聞やニュースでも多く取り上げられる「経済安全保障」だが、その定義や意味については、必ずしも広範に共有されているとはいいがたい。特に、国際的にみると、英語でeconomic securityといったときにイメージするものが各国ごとに異なっており、議論がかみ合わないこともしばしばである。

なぜこのようなイメージのくい違いが起きるのであろうか。その1つの要因に、伝統的な「安全保障」を想定した場合、「経済」がそうした安全保障上の文脈にそぐわないと考える人が多いからであろう。これまで「安全保障(security)」といった場合、「安全である状態」すなわち暴力によって攻撃や威圧を受けることがない状態をさすものであり、その手段として一義的に想定されるものは「暴力」であったからである。これはホッブズを持ち出すまでもなく、「万人の万人に対する闘争」という、暴力による支配と服従の関係が権力の基礎にあり、そうした暴力の行使を避けることこそが安全保障であり、平和であるという認識があったからであろう。

また、経済の文脈で見れば、第2次世界大戦後の世界はGATT‐IMF体制の下で自由貿易の原則が確立し、冷戦の終焉に引き続くWTOの設立、さらにはEUの拡大などによってかつての共産主義国の多くは自由貿易と市場経済の枠組みに入り、中国はそれによって急速な経済発展を遂げることとなった。こうした経済のグローバル化が広がり、相互依存が浸透する中で、経済が「安全保障」と関連するということがにわかに理解しがたい、というところもあるのだろう。資源や食糧を外国に依存する日本のような国においては、エネルギーや食糧の安定供給が安全保障上重要な課題であるという認識は以前からあったが、改めて現在、経済安全保障という議論をすることの意義が実感としてわかない、というのが現実なのであろう。

それゆえ、本書でさまざまな角度から経済安全保障を論じる上で、経済安全保障とは何か、ということを整理しておく必要があるだろう。

日本における経済安全保障の概念

日本において、「経済安全保障」という言葉が一般的に議論されるようになったのは、甘利明自民党税制調査会長(当時)が中心となって進めてきた自民党の新国際秩序創造戦略本部が、2020年12月に「経済安全保障戦略策定」に向けた提言を発表し、それに基づいて2021年5月に「経済財政運営と改革の基本方針2021」に向けた提言を明らかにしてからであろう。

自民党の提言では、経済安全保障は「我が国の独立と生存及び繁栄を経済面から確保すること」と定義され、その手段として「戦略的自律性の確保」、すなわち日本の社会経済活動の維持に重要な基盤を強化し、他国に過度に依存しない状態を作ることと、「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」、すなわち日本の存在が国際社会にとって不可欠である分野を拡大していく、という2つの方針が示されている。

また、その方針を実現していくため、「戦略基盤産業」の脆弱性を把握・分析し、必要な措置をとって戦略的自律性を確保し、戦略的不可欠性を強化するとしている。また、この「戦略基盤産業」には、エネルギー、情報通信、交通・運輸、医療、金融の5つの分野が設定され、それぞれのリスク分析と脆弱性対策が論じられている。

2022年12月に閣議決定された、国家安全保障戦略において、日本の安全保障上の課題として「サプライチェーンの脆弱性、重要インフラへの脅威の増大、先端技術をめぐる主導権争い等、従来必ずしも安全保障の対象と認識されていなかった課題」が挙げられ、こうした課題において「一部の国家が鉱物資源、食料、産業・医療用の物資等の輸出制限、他国の債務持続性を無視した形での借款の供与等を行うことで、他国に経済的な威圧を加え、自国の勢力拡大を図っている」ことが脅威となっていることが明示されている。

そうした脅威に対して、日本政府はすでに2022年5月に経済安全保障推進法を成立させ、さまざまな法的措置をとってきているが、それらの措置が改めて国家安全保障戦略でも紹介されている。第1にサプライチェーンの強靭化である。これは特定の国家に過度に依存することを避け、戦略物資の供給を安定させるために調達を多元化することを意味する。特に新興技術分野において技術的優位性を維持するためにも半導体の開発生産拠点の整備を行うことや、レアアース等の重要な物資の安定供給を目指すとされている。それを実現するための手段として、国内生産を強化する民間企業の資本強化を支援すべく政策金融を活用するなどといった支援制度が整備されることになっている。この重要物資には11分野の品目が指定されており、抗菌性物質製剤、肥料、半導体、蓄電池、永久磁石、重要鉱物、工作機械・産業用ロボット、航空機の部品、クラウドプログラム、天然ガス、船舶の部品となっている。ただ、抗菌性物質製剤ひとつとってみても、原材料を100%海外に依存しているβラクタム系抗菌薬などが特筆されているだけで、具体的な物資の絞り込みはこれからと見られている(1)。

第2に、重要インフラの防護である。人命に関わる重要なインフラによって提供されるサービスが継続されることは経済秩序、社会秩序が安定するためには不可欠である。他国からの妨害によって経済社会秩序が乱され、人々の生命財産に関わる問題になるようであれば、それは安全保障上の問題である。すでにサイバーセキュリティの分野では、国家の基幹的なインフラであるネットワークの防護などが議論されてきたが、それをサイバーに限らずさまざまな基幹インフラに展開したのが、重要インフラの防護である。経済安全保障推進法では電気、ガス、石油、水道、鉄道、貨物自動車運送、外航貨物、航空、空港、電気通信、放送、郵便、金融、クレジットカードの14分野を重要インフラとして指定し、これらの中でも人命に関わるような重要基幹設備の建設、整備において、それを運用する事業者への委託や、それらの設備に必要な部品などの調達に関する計画書を提出し、政府が審査することとなっている。こうすることで信頼できないベンダーやオペレーターを排除し、重要インフラが乗っ取られる等の攻撃を受けるリスクを減らすことが目的とされている。

第3に、データや情報の保護が重要な課題となっている。これまでも特定機密保護法のように防衛安全保障に関わる重要機密に関してはデータや情報の保護が定められてきたが、現代においては、安全保障に関わる技術が軍民両用性を増しており、特にAIや量子コンピュータ、ロボティクスといった分野は民間企業を中心に技術開発が進められている。これらの、いわゆる「新興技術」は軍事的な能力向上にも応用される可能性が高く、新興技術における技術的優位性を維持することが安全保障上重要となっている。しかし、民間企業には特定機密保護法のような機密保護の仕組みはなく、さらに、外国への輸出や生産拠点の移転に伴って、技術流出が起こる可能性がある。さらに、新興技術の研究開発に携わる人材が他国に引き抜かれる等の技術移転も考えられる。そのため、重要技術に関する機微な情報をどのようにして保護するかは、経済の問題でもあり、安全保障の問題でもある。現在、日本においてはセキュリティ・クリアランス制度の導入が検討されているが、セキュリティ・クリアランスの制度はあくまでも政府の機密に関わる情報へのアクセスを管理するものであり、民間企業が持つ技術を管理するものではない。こうした経済安全保障の文脈において、日本がセキュリティ・クリアランスの制度を持たないがゆえに外国との防衛装備の共同開発といった、安全保障上不可欠な技術や装備を開発・調達することが困難になっている、という側面もあるため、制度の導入が急がれている。

経済安全保障は「安全保障」なのか

国家安全保障戦略で明らかにされた、日本における経済安全保障の考え方を、安全保障の定義である「誰が(主体)」「何から(脅威)」「何を(価値)」「何によって(手段)」守るか、に照らしてみてみると、日本において経済安全保障は、政府が(主体)、経済的威圧から(脅威)、経済社会秩序を(価値)、サプライチェーンの強靭化や重要インフラの防護によって(手段)守るということを意味している。こうした点から考えると、日本の経済安全保障は、まさに伝統的安全保障において軍事や外交が担っていた部分を、経済ないし経済的手段に置き換えた概念として構成されていることが分かる。

しかし、伝統的安全保障と経済安全保障とでは大きく異なる点がある。それは、伝統的安全保障の主体は国家であるのに対し、経済安全保障の中心的な主体は国家であると同時に、企業だからである。軍事組織や外交団は政府の政策決定に従って行動するのに対し、企業は政府と異なる存在であり、政府の命令に服するわけではない。もちろん輸出管理のように、法律に基づいて企業の活動を制限したり、規制をかけたりすることは可能であり、その点では政府は企業に一定の行動を制約することは可能である。しかし、何らかの命令を下し、企業を特定の活動に向かわせることは不可能ではないが容易ではない。ゆえに政府は補助金や優遇税制といったインセンティブを与えて企業を一定の方向に向けて行動するように仕向けることになる。しかし、企業がそのとおりに行動するとは限らず、その点で政府は望むとおりに安全保障政策を展開することができない可能性がある。

ここから言えることは2つある。第1に、政府が効果的に経済安全保障政策を実施しようとすれば、政府はその目的をはっきりさせ、企業が協力できやすいように、その政策手段を明確にすることである。これまで輸出管理においては、外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づき、大量破壊兵器などの軍事転用可能な製品はどういったものかがはっきり示されていた。たとえばアルミニウムは一定のサイズの筒状で、引っ張り強度と言われる強度が高いものがウラン濃縮に使われる遠心分離機の材料となるため、輸出にあたっては政府の許可が必要であった。つまり、筒状以外の形状で、引っ張り強度が弱いものは許可を必要とせず、自由に輸出することができた。つまり、経済活動が安全保障に関わるかどうかは政府が判断し、その許可を必要とするものも法律に明示されていた。

しかし、経済安全保障はすでに述べたように、サプライチェーンの強靭化であったり、重要インフラの防護といった、具体的に何をすることでサプライチェーンをリスクにさらすのか、重要インフラの危険性が増すのかを判断することは政府でも難しい。技術的な問題ではなく、誰から調達するのか、そこから調達することを止めた場合、他のところから調達することになると、その分コストが高くなる可能性が高いが、そのコストを誰が負担するのか、といった問題について、政府と企業は緊密にコミュニケーションをとる必要がある。政府が安全保障上重要だと考えれば、そのコストを一部負担する必要も出てくるであろう。

第2に、安全保障の問題は、基本的に国家の問題であり、特定の領土、領域を防衛するためのものである。しかし、企業の活動はグローバルであり、グローバルに活動する企業はしばしば、当該国家以外の投資家に所有されている可能性もある。企業の経営者も多様な国籍を持ち、従業員も世界中に広がっている企業も多い。その際、企業が特定の国家に対して忠誠心を持つというわけでもなく、その安全保障に責任を持つわけでもない。つまり、経済社会秩序の安定を目指す国家の目的のために、その国家に必ずしも忠誠を誓うわけでも、アイデンティティを感じるわけでもない企業が、その国家のために行動するかどうかという点は、伝統的な安全保障と大きく異なる点である。伝統的な安全保障ではナショナリズムを基礎とする国籍に基づく軍事組織の編成を行い、場合によっては徴兵制という形で強制的にリクルートすることが可能であるが、企業に対してそれを行うことは難しい。

日本の経済安全保障の特徴

日本における経済安全保障の特徴として言えるのは、経済安全保障の措置として挙げられているものは基本的に「守り」に徹しているということである。その目的が、他国からの経済的威圧という脅威に対処することであることから、サプライチェーンの強靭化や重要インフラの防護など、自らの経済社会秩序を守るために取り得る措置が並んでいる。しかし、伝統的安全保障においては、反撃能力や一定の攻撃力を持つことによって相手の行動を抑止し、紛争を未然に防ぐことも安全保障に含まれる。2022年の国家安全保障戦略においても反撃能力を持つことで他国の行動を抑止する戦略が初めて出されたが、日本における経済安全保障の発想の中には、攻撃的な措置による抑止という概念はなく、あくまでも守りに徹することが想定されている。

こうした「守り」に徹する経済安全保障の考え方は、米国のそれとは大きく異なる。米国において、経済安全保障は「経済」と「安全保障」の2つの要素から構成されると考えられているが、その際の「安全保障」とは伝統的な国家安全保障ということが想定されている。そのため、経済安全保障は、国家安全保障のために経済を武器にする、という性格を強く持っており、外国に対して攻撃的に輸出規制を行い、経済制裁を実施することが想定されている。2022年10月に発表された中国に対する半導体輸出規制の強化は、先端半導体の分野に限定されているとはいえ、半導体やその製造装置などの輸出を規制し、原則として中国への輸出を禁ずるというものである。こうした半導体輸出規制は、中国が先端半導体を手にすることで軍事能力を向上させ、それが米国の国家安全保障を脅かすものであるという認識に基づいている。

また、経済的威圧に対して、抑止を意図した措置としては、2023年3月に欧州委員会が提唱した「ACI(Anti-Coercion Instruments:反威圧措置)」がある。これはEUの「ブロッキング規制(Blocking Statute)」を発展させたものである。なお、このブロッキング規制は米国が一方的に実施する経済制裁(とりわけキューバ制裁)に対して、EU企業が米国の制裁に従うことを認めないというものであったが、これは一度も発動されたことがない。ACIは経済的威圧を実施した国に対し、関税の引き上げや輸出入の許可の取り消し、サービスや公共調達における制限などが含まれている。これが抑止になるかどうかは、今後の展開を見てみる必要はあるが、こうした攻撃的な措置をとることで、経済的威圧に対抗していこうとする動きが諸外国でも見られる。

こうした米国やEUに見られる攻撃的な措置を日本でとることは難しい。日本の輸出規制や経済制裁はすべて外為法によって実施されているが、その第10条第1項では「我が国の平和及び安全の維持のため特に必要があるとき」は閣議決定によって対応措置をとることができるが、第48条第1項では「国際的な平和及び安全の維持を妨げることとなると認められる」場合に特定の貨物の輸出を許可制にすることができる、としている。また、第48条第3項では「国際平和のための国際的な努力に我が国として寄与するため、又は第10条第1項の閣議決定を実施するために必要な範囲内で、政令で定めるところにより、承認を受ける義務を課することができる」とされている。このように、理論的には日本の平和と安全のために輸出管理を強化するといったことが可能であるが、「我が国の平和及び安全」をどのように定義するのか、といったことの問題もあり、企業への影響も含め、第10条第1項の規定が積極的に利用されることはまれであった。

また、米国で進められている経済安全保障の議論の中には、人権問題も含まれるという認識が強くある。米連邦議会は「ウイグル強制労働防止法」を採択し、中国の新疆ウイグル自治区における、強制労働によって収穫されたと見られる綿などの物品に対し、それらを使った企業に対して制裁を加えることが可能となっている。人権問題が国際安全保障上の問題として取り上げられることは、国連安保理の決議などではしばしば見られるが、米国、そして欧州各国においても、人権侵害を是正するための手段として経済制裁を用いることがあり、それらも経済安全保障に含まれる場合がある。こうした考え方は日本ではまだ定着しておらず、人権問題に関しては、2022年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を設定し、企業に人権デュー・ディリジェンスを実行するよう求めているが、これは法的拘束力のないガイドラインであり、国際的な標準であるOECDや国連の基準に合致した制度として位置付けられているものであり、経済安全保障とは直接関係しているとはみなされていない。

米国で進められている投資スクリーニングも経済安全保障の1つの措置として取り上げられることが多い。投資スクリーニングとは、米国における財務省、国務省、国防総省などから構成されるCFIUSシフィウス(Committee on Foreign Investment in the United States:対米外国投資委員会)が米国に対する投資を審査し、その適格性を判断するという措置である。外国企業による企業買収を通じて、優れた技術が他国に流出し、その技術が他国の支配下に入ることを避けることが投資スクリーニングの目的である。このCFIUSのプロセスは中国などの対立関係にある国家からの投資だけでなく、日本などの同盟国や同志国からの投資にも適用されるため、米国への投資に対する大きな障害となっている。近年では、米国への投資だけではなく、米国人投資家が中国企業に投資をするという「対外投資スクリーニング」も議論されている。これは投資活動を大きく制限することになるため、反対も多く、議会で立法することはできなかったが、2023年8月に大統領令によって米国の企業や個人が中国企業で半導体、人工知能、量子技術に関わる事業を行っている企業に投資する場合、審査を受けることを命じた。こうした投資スクリーニングは米国を中心に、EUなども対内投資スクリーニングは実施している。日本も2019年に外為法を改正し、戦略的に重要な産業に関わる企業において外国人投資家が株式の1%以上を保有する場合は政府に届け出をすることが義務付けられたが、これは届け出ののちに政府が審査し、不適格であれば外国人投資家の株式の保有を認めないというものである。CFIUSなどの事前審査と比較をすると、相対的にビジネス寄りの措置であり、経済安全保障の一環としての措置であるとはいえ、その運用は欧米と比較すると厳格なものとは言えないだろう。

日本の経済安全保障の考え方の特徴として、他国の意図を持った経済的威圧に対しての備えに重点が置かれているが、非意図的な効果としてのサプライチェーンの混乱などについては、経済安全保障の範疇に含まれていない。米国や欧州などではサプライチェーンの強靭化を進める理由として、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの期間に起きた流通の人手不足による物資の欠如や、中国のゼロコロナ政策によって工場が稼働しなかった結果としての戦略物資の不足などが挙げられることが多いが、日本の経済安全保障の概念は、こうした非意図的なものを第一義的には対象としていない。とはいえ、サプライチェーンの強靭化は結果として、意図的な経済的威圧も、非意図的な流通の混乱などにも対応できるため、政策として大きな違いが出るわけではない。

「戦略的自律性」にどこまでコストをかけるのか

経済安全保障の鍵となる概念は「戦略的自律性(strategic autonomy)」である。この言葉は以前からフランス外交における、米国からもソ連/ロシアからも距離をとり、自らの政策決定の自由度を高めるという意味で使われる言葉であったが、経済安全保障の文脈ではまったく異なった意味を持つ。経済安全保障における「戦略的自律性」とは、対立的な関係にある国家へのサプライチェーンの依存を減らし、自国での調達を中心に、サプライチェーンの自律性を高めるということを意味する。もちろん、すべての品目を国産化することは経済的に合理的ではなく、100%の自律性を求めることはないが、サプライヤーを多元化し、とりわけ「friend-shoring」と呼ばれる、同盟国・同志国からの調達を優先することが戦略的自律性を高めることに貢献する。また、同盟国・同志国からの調達も難しい状況であれば、戦略的備蓄を積み増すなどして、他国の意図的なサプライチェーンの混乱に耐えられるように備えておくことも含まれる。

問題は、どの程度まで国内に生産拠点やサプライヤーを戻し、どの程度まで他国に依存することができるのか、という点である。ここでは、コストとリスクのバランスが重要となってくる。すべての品目を国内で生産するのはコストが高すぎて経済的に合理的ではないが、同時に、中国で生産することが最もコストパフォーマンスがよい場合、中国からの調達を止め、他国からの調達に切り替えればそれだけでもコストは上がっていく。

その際の判断材料となるのは、第1にどのくらいのリスクがあるのか、ということである。仮にその品目が中国でしか生産されていないということであれば、中国に依存せざるを得ず、その場合は戦略的備蓄を増やしていくという形で対応するしかないだろう。しかし、これは在庫を持つ経営ということになり、そのコストは大きくなる。そのため、中国がこの物資の供給を止める可能性がどの程度あるのか、ということを想定しながら、備蓄の量を考えていくしかないだろう。これは言い換えれば、中国以外の国から調達が可能であるならば(foreign availabilityという)、中国に依存するリスクは相対的に低いということになるだろう。もし中国からの供給が途絶えたとしても、他から調達できる可能性が高まるからである。その場合、他国からの調達をいかにスムーズに行っていくか、ということにコストをかけることが重要となるだろう。

第2に、どの品目での依存が問題なのか、ということを特定することである。すでに日本政府は11分野の品目を特定しているが、これら以外にも中国への依存が高まることでリスクが高まるという可能性はある。そのため、どのようにリスクを判断するのか、という主観的な評価が重要となってくる。政策決定者や企業経営者にとって一番難しいのは、こうしたリスク判断を下さなければならないことだが、どこかの段階でリスクをとってでも行動を起こし、リスクとコストと便益のバランスがとれるところを見つけ出すしかないだろう。

こうしたリスク判断は主観的なものであり、各国ごとにそのリスクの見積もり方が異なっている。たとえば世界的に若年層で流行しているTikTokという短い動画をシェアするSNSについて、米国ではTikTokが中国企業が開発したスマートフォンのアプリであり、その経営者も中国系シンガポール人であることから、こうしたアプリが広範に使われると、そのユーザの個人情報が抜き取られるということが懸念されている。しかし、こうしたTikTokへの警戒感は世界中で共有されているわけではなく、EUでは政府が利用するデバイスでは使わないことが求められているが、一般ユーザが使うことについては大きな議論にはなっていない。日本においても同様である。中国企業が運営していること、中国系の人が経営に関与していることをどの程度リスクとして見積もるかは主観的な問題なのである。

自由貿易と経済安全保障

経済安全保障が現代国際関係において重要な問題になっているのは、第2次世界大戦以降、国際経済秩序の基礎に自由貿易があったからである。冷戦期においては、主に西側諸国において確立した自由貿易の原則は、冷戦後にWTOの設立と、中国やロシアの加盟によって、世界経済秩序の基本となった。自由貿易は、政府が自国の産業を保護することを自ら禁じ、政府が企業の経済活動や市場の働きに関与しないことで、経済的に最適な解を市場が見つけることを前提としている。つまり、経済に対して政治は関与の度合を下げていくことこそ、自由貿易のエートスなのである。

しかし、こうした自由貿易の原則は、冷戦が終わってから30年で曲がり角に差し掛かっている。市場の原理にゆだねた経済運営は、必然的に「勝ち組」と「負け組」を生み出し、いわゆる「グローバル化の影」が忍び寄る形で市場競争に敗れた企業や、そこで雇用された人たちの生活が厳しい状況に追い込まれるようになった。

こうしたグローバル化によって不利益を被る人たちが増えてきたことで、彼らは国家権力を用いて自由貿易の仕組みを修正し、国家によって生活の保障を確保しようとする。彼らはポピュリズムと親和性を強く持ち、外部に敵を作って、その敵が自分たちの生活を困難にさせたという物語を紡ぐようになっていった。

こうした動きを受けて、自由貿易から距離を置き、自国の産業を守ろうとしたのが米国のトランプ政権であった。その際に自由貿易のルールとは必ずしも合致しない措置を正当化したのが「安全保障」であった。米国通商拡大法232条は米国の国家安全保障を理由として関税を上げたり、数量制限をかけたりすることができるが、トランプ政権前期に、この条項を使って鉄鋼とアルミニウムに輸入関税をかけたことは、まさにこうした保護主義的な措置の表れだった。また、中国との「デカップリング」を目指した、中国からの輸入品に対する追加関税は、安全保障だけでなく、グローバル化の影に苦しめられる人たちが中国を悪者にし、懲罰を与えるといった側面もあったと言える。

こうした保護主義的な措置によって経済的な威圧をかけられる可能性が高まる中、他国による経済的威圧に対処するために出てきた概念が経済安全保障であった。つまり、経済安全保障とは、自由貿易の時代に進んできた政府と経済の分離(政経分離)から、政治が経済を手段として使い、市場に介入してそれを武器化するという時代(政経融合)に突入したことを意味する。これまで、WTOのルールに基づき、どこの国に投資をし、どの企業と取引をしても、一定のルールが守られ、彼らの経済的利益が守られるということが前提になっていたが、その前提がだんだん機能しなくなる時代に入り始めているのである。それがつまり、経済安全保障の時代ということになるだろう。

国家安全保障としての経済安全保障

経済安全保障は、これまでグローバル化によって恩恵を受けてきた産業やビジネスに変更を加えるものである。自由貿易原則や資本の自由移動によって最適化されてきた生産体制やサプライチェーンを、安全保障の観点から修正し、時には制限していくことである。それは経済的な合理性とは異なる選択にならざるを得ない場合もあろう。

経済安全保障は国家安全保障戦略と目的を同じくしつつも、その手段において異なるものである。いわば、経済安全保障は、常時グレーゾーン事態に対処するようなものであり、他国による一方的な貿易制限措置や制裁に警戒しつつ、同盟国・同志国との関係を通じて安定した経済活動を可能にする基盤を作っていく必要がある。

そこで重要になるのは、「戦略的自律性」を高めるだけでなく、国際社会を安定させ、国際ルールに基づいて貿易や投資が継続されることである。日本が「戦略的不可欠性」を持つのは、単に他国を抑止するだけでなく、それを国際ルール作りのパワーに転化し、日本が国際秩序を安定させるためのリーダーシップを発揮することである。

すでに日本はトランプ政権が一方的に脱退したTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を何とかまとめ上げ、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)として再出発させたという実績がある。こうした国際ルールに基づいた秩序を作るパワーを持つことこそ、経済安全保障を実現する最も有効な手段なのである。

(1) なお、特定重要物資に対する取り組みに関しては、経済安全保障法制に関する有識者会議(令和4年度~)第4回「資料1:特定重要物資の指定について【安定供給確保取組方針案(概要案)】」(令和4年11月16日)を参照。https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/keizai_anzen_hos

鈴木 一人 地経学研究所長/経済安全保障グループ・グループ長
立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授
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鈴木 一人

地経学研究所長,
経済安全保障グループ・グループ長

立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授

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