異なる種類の懸念を惹起するトランプ政権/ハリス政権の安全保障戦略

来る11月5日の米国大統領選挙における米国民の選択は、今後の国際秩序を大きく変えることになるかもしれないと世界中から注目されている。共和党候補のトランプ前大統領は、「アメリカ・ファースト」を公言し、ウクライナの戦闘から手を引き、紛争を終結させると豪語している。米国の同盟各国は、「トランプ2.0」政権になった場合、現在の良好な同盟関係を棄損させるのではないかとの懸念を強めている。一方、民主党はバイデン大統領から禅譲される形でハリス副大統領を候補者に選び、バイデン政権の安保政策等がそのまま引き継がれるものと見られているが、外交安保分野での経験不足が不安視されている。欧州、中東での二つの戦争と東アジアで高まる緊張に直面する中で、いずれの候補者が大統領になったとしても、資源の制約もあり、現行の安保戦略を大きく変えることは難しい。逆に、両候補者の政策指向とリーダーシップによって、異なる種類の懸念が惹起される。次期大統領は、就任直後の1月には、ウクライナへの軍事援助継続を巡って議会と渡り合わなければならない。就任早々、次期大統領の戦略的リーダーシップが問われることになる。

本稿では、米国の安保戦略の変遷と課題を確認した上で、現時点で明らかな両候補の対外姿勢を踏まえて、両候補の安保戦略とそれに対する懸念について論じる。
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米国の安保戦略変遷と課題

米国の安保戦略は、戦略的コンテクストの変化に応じ、大統領の政策指向とリーダーシップによって、戦略の焦点(脅威)及び戦力態勢(構成・規模)並びに軍事力の使い方が見直されてきた。冷戦後も、基本的に欧州とアジアの二つの地域に大規模な前方展開戦力を配置する冷戦期の「二正面戦略」態勢は維持されたものの、その規模は徐々に削減され、1990年代のクリントン政権では、「二つの主要な地域紛争(中東、朝鮮半島を想定)を戦い、勝利する」という2 Major Theater Wars戦略(2 MTW戦略)が採られた。しかし、クリントン政権末期に戦力構成と資源とのギャップが問題となり、米国防大学を中心に、将来の備えとして中国の台頭への対応へ焦点を当てる方向で戦力態勢見直しが始められた。しかし、次のブッシュ政権において、Quadrennial Defense Review 2001(QDR 2001)公表直前に9.11同時多発テロが発生し、急遽、戦略焦点が「テロとの戦い」に転換され、戦力態勢の見直しは先送りされた。

その後、テロとの戦いが長期化し、2008年のリーマン・ショック後に政権に就いたオバマ大統領は、対外関与の縮小と軍縮路線に舵を切り、2010年に出されたQDR2010では、「二つの主要な地域紛争に勝利するという想定にとらわれない」ことを明示した。オバマ政権では、アジア太平洋地域を重視する「リバランス」方針を打ち出したものの、その後のアフガン及びシリア情勢の悪化を受け、前方展開戦力を一つの地域に集中させるような抜本的な変革は実現できなかった。次のトランプ政権は、軍拡に舵を戻し、2018年の「国防戦略」において、戦略的競争相手と見なす中国への対応を戦略焦点とする「一正面戦略」を明確化したものの、米軍の態勢見直しには至っていない。バイデン政権になって漸くアフガニスタンからの米軍撤収が実現し、軍事的に台頭する中国への対応を優先させる戦略シフトを進め、同盟国・同志国等との連携を強化する「統合抑止」態勢の構築が進められた。

そうした中、ロシアによるウクライナ侵略が生起し、バイデン政権は、紛争への直接介入を避けつつ、ウクライナへの軍事支援を拡大させていく。ウクライナでの戦争が長期化する中、米軍のプレゼンスを低下させていた中東において、ハマスによるイスラエル奇襲に端を発するガザ戦争が生じ、ハマスやヒズボラ等反イスラエル組織の後ろ盾となっているイランとイスラエルの直接衝突の危機が高まり、米軍は中東に空母打撃群の追加派遣を余儀なくされている。

一方、東アジアに目を向けると、核戦力を含む軍拡を進める中国が力を背景に東シナ海及び南シナ海において領域拡張行動を頻発させている。中国共産党は、台湾の統一を公言し、軍事的圧力も強めている。もし、東アジア地域において米中の偶発的な衝突が生起した場合、中露の軍事的連携からロシアがウクライナ侵略戦争を欧州に拡大させ、さらにはイランなど反米国家が機に乗じてイスラエル攻撃に踏み切れば、欧州、中東、東アジアの異なる地域紛争が連鎖する第三次世界大戦となりかねない。

このような現在の戦略的コンテクストを踏まえ、議会超党派の国防戦略委員会は、2022年「国防戦略」の見直しに関する報告書を本年7月29日に発表した。同委員会は、現在の米軍は、欧州、中東、東アジア3つの地域で同時生起した紛争に対処し勝利する態勢は整っていないと分析し、「複数の戦域で同時に戦争を戦うための資源調達と計画に戻るべきである」と勧告している。しかし、本勧告を実現するためには、劇的な国防費の増加が必要となるが、現在の米国の財政から不可能と見られており、国内的にもそうした議論は盛り上がっていない。

したがって、次期政権の安保戦略上の課題は、これまで優先してきた中国を抑止するための米軍の態勢整備をどう進めるのか、同時に他の戦域への対応をどうするのか、資源配分を含めて方針を示すことにある。戦略要衝3地域の安定は、反米枢軸勢力が、米国及びその同盟国等との軍事バランス及び秩序維持に対する米軍の介入意思をどのように認識するのかにかかっており、同盟政策を含め次期大統領のリーダーシップとナラティブは極めて重要である。

ハリスの安保戦略とそれに対する懸念

ハリス副大統領が勝利した場合、現バイデン政権の路線を継承し、基本的に現行の米軍の前方展開戦力と、同盟国・同志国戦力等との連携による「統合抑止」態勢が維持されるであろう。ハリス副大統領は、圧倒的な軍事力優位を目指した軍備増強に邁進すべきでないとの立場であり、現在進められている「レプリケーター」計画のように、非対称手段である安価な「全領域消耗覚悟の自律無人システム」の大量投入によって、中国の量的優位を相殺する「抑止」を引き続き重視していくものと思われる。他方、中国の核軍拡に対して、現状の核優位を維持する方向で対応しなければ、名実ともに中国と「核パリティ」となる。ハリス政権が中国の核問題に対する有効な解を示せず、米国が「相互確証破壊状態(MAD)」を受容したと中国に受けとられることは、中国に「安定・不安定パラドックス」が成立するとの確信を強めさせることとなる。それは、台湾有事の際に米軍の直接介入を阻止し得るとの中国首脳の判断が強まることを意味する。

また、ウクライナ及びイスラエルの現在の戦争への対応においては、エスカレーションを抑制し、直接的な軍事介入は避けつつも、軍事援助は継続したい意向と思われるが、議会が共和党多数となる可能性もあり、議会選挙の結果次第では支援策が後手後手となる恐れもある。

トランプの安保戦略とそれに対する懸念

トランプ前大統領が勝利した場合、戦略的競争相手の中国を念頭に、公言通り「アメリカ・ファースト」の米軍優位の態勢強化を目指すであろう。ウクライナとイスラエルの現在の戦争に対しては、現状固定化で終結させたいと考えているが、和平交渉が成立しなかった場合の対応策が不明瞭である。トランプの意に反して情勢不安定と混乱に利益を見出す反米勢力がトランプ政権にとって予想外の事件を起こすかもしれない。

トランプの戦略観には、現に生起している紛争解決や地域秩序維持のために同盟国等の戦力を含め、軍事力をどう使うのか、軍事手段使用の戦略指針及び武力行使の判断基準・意思が欠落している。トランプの行動の予測不可能性は、北朝鮮のような非合理的なアクターに対しては一定の抑止効果を持つが、武力行使に対する慎重姿勢が続けば抑止効果は低下する恐れもある。また、台湾に対して、「防衛費を支払うべき」や「台湾は、米国から半導体ビジネスを奪った」という発言を繰り返しているが、トランプ政権になった場合、台湾に対する軍事援助を見直すのではないかとの疑念を惹起させる。トランプのナラティブが、対中抑止の信頼性を著しく棄損させることが懸念される。

日本としての対応

トランプ候補かハリス候補か、どちらが次期大統領になっても、戦略的競争相手と見なす中国に対する抑止を重視する安保戦略に大きな差異は見られない。しかし、戦力態勢整備や同盟政策を含め地域秩序維持に対する政策指向及びリーダーシップとナラティブによって異なる種類の懸念が惹起される。日本としては、バイデン政権・岸田内閣時代に築いた日米同盟基軸の格子型同盟ネットワークが維持されるように、次期首相と首脳同士の関係強化に努めるとともに、あらゆる層のコミュニケーション・パイプを太くし、同盟国・同志国を含む諸外国の懸念・認識を率直に伝えていくことが肝要である。また、それぞれの懸念材料を中国に付け込まれることがないよう、域内の同盟ネットワーク秩序維持に積極的な役割を果たしていく必要がある。

(Photo Credit: AP / Aflo)

 

執筆者

柿原国治(元空将)

1964年生まれ。防衛大学校卒、筑波大学院地域研究修士、米国防大学国家安全保障戦略修士。米国ハーバード大学ケネディ・スクール上級幹部国家及び国際安全保障課程修了。外務省国際情報局分析第一課出向、財団法人世界平和研究所主任研究員、北部航空警戒管制団司令、航空総隊司令部幕僚長、航空自衛隊幹部学校長、航空開発実験集団司令官等を歴任。2024年に退官。著作に、『弾道ミサイル防衛入門』(金田秀昭著、執筆参加、かや書房)、「安定の鍵としての対中カウンター・バランス―柔軟抑止・同盟抑止の実効性向上に向けての一考察」(『アジア研究』Vol60(2014)NO.4)、「米国の戦略岐路と新相殺戦略」(『海外事情』2015年2月号)等。

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