「選挙イヤー」は世界秩序をどう変えたのか
有権者は変化を求めた
2024年は「選挙イヤー」と呼ばれ、60ヵ国以上、そして世界人口の半分近くが選挙での投票を行うことが注目されていた。そして、それによってはたして世界がどのように変わるのか、多くの関心が集まっていた。地経学研究所においても、「2024年 選挙は世界を変えるのか:岐路に立つ民主主義」という特集をウェブページ上で組み、選挙日程とその結果の解説を行っている。
それでは、「選挙イヤー」の一年が過ぎて、それを振り返ったときに、世界はどのように変わったといえるのだろうか。またそれは、世界秩序にどのような影響を及ぼすのだろうか。英『エコノミスト』誌編集長のトム・ソンダージは、2025年の世界を展望する『ザ・ワールド・アヘッド2025』の特集号の巻頭で、2025年に見られるであろう10のトレンドの2つ目として、「有権者は変化を求めている」と記している。さらには、トレンドの3つ目としては、「無秩序の拡大」を指摘している。この二つを組み合わせると、有権者が選挙を通じて変化を求めながら、その変化として世界秩序が悪い方向へと向かうことが予想される。ポピュリズムが浸透し、偽情報や外部からの選挙介入が懸念される中で、人々が選挙で選んだ変化が、必ずしもそれらの人々を幸福にするとは限らない。そしてその不満に基づいた変化を求める意思決定が、場合によっては、さらに政治を不安定化させる負のスパイラルとなっている。
新型コロナウィルスの感染拡大や、ウクライナ戦争、そしてインフレの継続による生活の困難などが組み合わさり、世界中の有権者の間で確実に不満が鬱積している。とりわけポピュリズム的な指導者が、非現実的で、過度に楽観的な見通しを選挙で有権者に約束する結果、その後に有権者はより深い失望を経験することになる。深い失望の蔓延は、有権者が変化を渇望することに繋がった。そのような選挙による変化が如実に現れたのが、「選挙イヤー」の結果であった。
グローバル化に抵抗する民主主義
そもそも問題の本質として、有権者が抱く不満は多くの場合において一国単位の民主主義的な意志決定のみでは解決しない。というのも、選挙結果にも表出したそのような有権者の不満の鬱積、そして変化の渇望は、グローバル経済の構造にも起因するものだからだ。すなわち、企業の経済活動や個人の移動はグローバル化が進展して、グローバルなサプライチェーンの形成やタックスヘイブン(租税回避地)へのグローバル企業の移転など、より大きな利潤を求める合理的な思考が拡大しているが、他方でそのような趨勢に対して国家単位での民主主義的な決定による影響力は限られている。いわば経済のグローバル化と、政治のナショナルな単位での民主主義的な意思決定との間のずれが、ナショナルなデモクラシーの無力感を露呈させている。民主主義的な意思決定は、必ずしもその国の有権者を幸福にするとは限らないのだ。
そのようなグローバル化や、企業の海外への移転などに対する激しい批判や抵抗は、2024年6月の欧州議会選挙における反グローバル主義的なイデオロギーを有する極右政党の伸長や、アメリカ大統領選挙におけるトランプ候補の関税引き上げの主張、および自国企業を優遇し、自国民の雇用を守ろうとする「アメリカ・ファースト」政策にも見られた。2024年の「選挙イヤー」においても、グローバリズム批判や、新自由主義的イデオロギー批判、反移民などのスローガンを掲げた政治勢力が、全般的に得票を増やした傾向が見られた。
たとえば、アメリカの第一次トランプ政権で米通商代表(USTR)を務めたロバート・ライトハイザーは、2023年に『ノー・トレード・イズ・フリー』と題する著書を刊行し、そのなかで「ハイパー自由貿易への崇拝」を批判し、アメリカの労働者階級を守る必要性を説いている。いまや自由貿易を批判するイデオロギーが蔓延している。民主党のバイデン政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたジェイク・サリバンも、グローバルな統合という趨勢や、貿易自由化からアメリカが移行していく必要を説き、「アメリカ国民を守り、中国に対抗するために、ワシントンはもはや関税の引き上げ、輸出や外国投資の制限、国内産業政策への関与を躊躇しない」と論じた。無制限のグローバル化や、急進的な新自由主義への批判は、いまや民主党と共和党のいずれにも見ることができる。
民主主義の強靱性
「選挙イヤー」において、分極化や、極右政党の台頭、ポピュリズムの趨勢が一定程度見られながらも、他方でいくつもの諸国で民主主義の強靱性も示された。7月のイギリス総選挙では14年ぶりに労働党が大勝し、中道左派政党はその力強さを示すことができた。また、同月のフランス議会選挙の決選投票でも、前月の第一回投票で極右政党の国民連合が第一党となり懸念が広がるなかで、左派連合が勝利を収めて中道勢力中心の政治が持続した。6月に行われた欧州議会選挙では、極右政党と極左政党の伸長が予想されていたが、EUに懐疑的な右派・極右勢力が伸張しながらも、親EU的な三会派が過半数を維持することに成功した。
イギリスやフランスで、極右政党の伸長に一定の制約が見られたのには、選挙制度や政治制度がその要因となっている。すなわち、イギリスは小選挙区制によって、そもそも二大政党以外の極右政党や極左政党の議席獲得が困難である。また、フランスの選挙では決戦投票制を用いることで、極右政党や極左政党が二度の投票のいずれでも多くの得票を得ることが難しくなっている。他方で、アメリカでは三権分立の制度設計によって、抑制と均衡の原理に基づき、大統領府、議会、裁判所のいずれもが突出して権力を持つことを抑制している。有権者が感情的に、あるいは扇動されて、極端な投票行動を行う可能性も考慮して、そのような場合でもある程度、民主主義が健全に機能するための制度設計が備わっていることが、民主主義の強靱性の重要な前提となる。
日本でも総選挙の結果、極右勢力や極左勢力の伸張は見られず、中道右派の自民党が獲得議席数は過半数を割りながらも最大の議席を確保した。また、中道左派政党の国民民主党が大きく議席を増やし、4倍ほどの議席を獲得した。首相が交代し、総選挙が行われた後も、日本では政治の分極化や、ポピュリズムの台頭といった民主主義が後退する兆候はみられなかった。とはいえ、現在の石破茂政権は少数与党となった結果、野党との協力によって法案を通さねばならず、今後の政権運営では数々の困難に直面することであろう。
グローバルサウス諸国でも、民主主義は一定の強靱さを示した。インドの総選挙では権威主義化が強まっていることが懸念されているナレンドラ・モディのインド人民党が議席を大きく失い、民意に基づいてモディ首相個人への権力の集中を防ぐ結果となった。同様に、南アフリカでは汚職や犯罪が増大して国民の不満が鬱積する中で、シリル・ラマポーザ大統領のアフリカ民族会議(ANC)が総選挙で議席を大幅に失い、民主化後の30年で初めて過半数を割り込んだ。権威主義化の傾向が見られたこれらの諸国で、選挙を通じて権力の拡大を抑制したこともまた、民主主義の強靱さの証左であろう。
世界秩序はどう変わったのか
それでは、これらの趨勢を俯瞰してみると、世界秩序はどのように変わっていくのだろうか。それを考慮する上でもっとも重要な要因は、やはりアメリカ大統領選挙の結果である。トランプ政権が成立して、「アメリカ・ファースト」の対外政策を掲げる結果として、多国間主義的な国際組織や、国際社会における「法の支配」、民主主義や人権といったリベラルな規範の擁護はおそらく後退していくことであろう。それは、アメリカのグローバルなリーダーシップの後退にも繋がるであろう。そして、アメリカの影響力の後退は、世界秩序の不安定化にも繋がるであろう。
そうだとすれば、ソンダージ『エコノミスト』誌編集長が指摘するように、「無秩序」が拡大していくのかもしれない。米中の二つの大国が国内の問題によりおおくの政治的資源を割く一方で、日本やイギリス、フランス、ドイツ、さらにはG7議長国のカナダのような自由民主主義国が、相互の連携を深めることで、国際秩序の安定化のために貢献できる余地も拡大することであろう。ドイツの連立政権解消による総選挙、さらにはフランス内閣総辞職による新内閣の組閣、さらには非常戒厳の宣布により大統領が国民の信を失った韓国など、自由民主主義諸国の政治には不安と不透明性が拡大している。ウクライナ情勢や中東情勢が大きな転換点を迎えつつある中で、世界秩序の安定化に向けて、石破茂政権の日本もまた外交で重要な役割を果たさねばならない。
「選挙イヤー」を経た後の2025年の世界秩序は、アメリカの影響力の後退に伴って、それぞれの地域における地域大国の役割が拡大し、またミドルパワーの諸国の責任も大きくなっていくであろう。だがそれらの諸国の多くでは、国内政治の不安定化が顕著となっている。アメリカ一国に過度に依存する時代は終焉した。だがそれがただちに無秩序へと移行するわけではない。もはや、いかなる国もフリーライダーとして甘えることはできず、また自国の安全が自明と考えることもできなくなった。日本は、少数与党という制約の下にありながらも、「自由で開かれた国際秩序」を旗印にして、これまで以上に世界秩序の安定化のために貢献をする必要があるだろう。
(Photo Credit: AFP/アフロ)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人
地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
欧米グループ・グループ長
立教大学法学部卒業、英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修了(MIS)、慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程および博士課程修了。博士(法学)。北海道大学法学部専任講師、敬愛大学国際学部専任講師、プリンストン大学客員研究員(フルブライト・フェロー)、パリ政治学院客員教授(ジャパン・チェア)などを経て現職。安倍晋三政権において、「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員(2013年)、および「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」委員(2013年-14年)、国家安全保障局顧問会議顧問(2014年-16年)を歴任。自民党「歴史を学び、未来を考える本部」顧問(2015年-18)。 【兼職】 公益財団法人国際文化会館理事 アジア・パシフィック・イニシアティブ研究主幹 慶應義塾大学法学部教授
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