民主主義のイデオロギー化回避を-イラク戦争の轍を踏まないために
スーパー選挙イヤーと呼ばれた2024年、選挙結果はまちまちであった。米国、オーストリア、フランスなど、右派ポピュリストが勝利し、排他主義や一国主義の強化が懸念される国もある。他方で、初の政権交代が実現したボツワナ、イスラム教徒に対する差別的な政策を展開する与党が大きく議席を失ったインド、強権化を進める与党がいくつかの地方選挙で敗北したトルコなど、人権保護と自由を取り戻そうとする選挙結果も見られた。
とはいえ、この一年間に民主主義の制度と価値に対する一般市民、特にグローバルサウスの人々の信頼感は弱体化した。多数派の支配がマイノリティの権利を侵食しかねないことや、過度な言論の自由が社会を不安定化させたことなど、民主主義制度の再考を促す国内要因もある。これに加えて、民主主義制度自体との直接的な関わりは無いながらも影響を与えた要因がある。安全保障の文脈で用いられた民主主義を巡る言説である。
専制政治から民主主義を守るものとしてのウクライナ支援
2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始した。明白な主権侵害であり、国連憲章第2条4項違反である。国家主権は、国際政治において最も広く共有される規範の一つである。その意味で、ウクライナの国家としての独立そのものを支えるために国際社会が立ち上がる必要があった。しかし、ウクライナへの支援を動員する際に用いられた言説は、主権侵害からウクライナを守るということにとどまらなかった。欧米諸国の政治指導者らは、民主主義のためのウクライナ支援を求めた。
ウクライナが民主主義国であるか否かに関わらず、ロシアの侵略は決して容認できるものではない。それでもウクライナの防衛とそれに対する支援が民主主義を守るための闘いと位置付けられたのは、ウクライナ国内の言説を反映したものである。
ロシアによる侵攻の脅威が高まるにつれて、ウクライナ国内では民主主義への支持がかつてないほど高まっていた。2022年2月にマンチェスター大学のオルガ・オヌッチ(Olga Onuch)らが行った調査では、侵攻が近づくにつれて一日あたり0.3%の割合で民主主義に対する支持が上昇し、30日間で9%もの上昇が見られた。ゼレンスキー大統領は、ウクライナの防衛と民主主義国としての回復が世界における民主主義的秩序の回復に繋がると説いた。
これは、ウクライナ国内で長年行われてきた「親欧州連合(European Union: EU)」対「親ロシア」の構図が、「親民主主義」対「親専制主義」とほぼ同義と理解され、ロシアに対抗することが民主主義を支持することと理解されたことを示している。言い換えれば、ウクライナにおける民主主義に対する支持の高まりは、民主主義という制度と価値に対する支持の高まりを示すというよりも、政治対立における親EU派の高まりを示すものであった。
ジョー・バイデン(Joe Biden)米大統領は2020年の大統領選の時分から、「民主主義対専制主義」の構図をその政策議論の前面に押し出していた。民主主義を弱体化させようとするドナルド・トランプ(Donald Trump)との対決が反映されたものだった。しかし大統領就任後に外交政策を展開するうえでこの対抗図式が国際協調の足かせとなる事実に直面し、外交政策においては徐々にこの図式にも、民主主義にも触れなくなっていた。
この流れを覆したのが、ロシアのウクライナ侵攻である。2022年3月26日にポーランドで行った演説においてバイデン大統領は、「民主主義と専制政治、自由と弾圧、ルールに基づく秩序と武力による秩序との戦い(a battle between democracy and autocracy, between liberty and repression, between a rules-based order and one governed by brute force)」と表現し、ウクライナ人の防衛戦争を「自由のための大いなる闘い(great battle for freedom)」と呼んだ。そして、民主主義諸国の団結維持を最重要事項と位置づけた。10月に米ホワイトハウスが発表した国家安全保障戦略(National Security Strategy)でも、民主主義という単語が繰り返し強調され、カーネギー国際平和財団(Carnegie Endowment for International Peace)のリチャード・ヤングス(Richard Youngs)によれば、合計で99回も使われている。
2022年3月にNATOが発表した戦略概念(Strategic Concept)も、ロシアを「最も重大で直接的な脅威」と位置付けたうえで、自由と民主主義を守る決意を随所で示している。そして、自由、人権、民主主義、法の支配という価値で結ばれた仲間であるとしてNATO同盟国を捉え、民主主義の価値や生活様式が権威主義的行為者によって挑戦を受けているとの理解を示している。9月14日に行われた一般教書演説において、ウルズラ・フォン・デア・ライエン(Ursula von der Leyen)欧州委員会委員長も、この戦争を独裁政治による民主主義への戦争と捉えた。
動員のための言説としての「彼ら」と「我ら」
民主主義を守るための戦いという言説は、実態として民主主義の制度や価値を守るための戦いを意味しなかった。そもそも、自由で公平かつ定期的な選挙を土台とし、透明性や説明責任を内包する民主主義の制度を守ろうと思えば、この制度自体に対する支援が必要になる。民主的価値を守ろうと思えば、政府に対する垂直的なチェックアンドバランス機能を果たそうとするメディアやNGOなどに対する支援が必要になる。しかしこの戦争の文脈で主張された民主主義を守るための戦いとは、民主主義制度を持つ国を守るための戦い、つまり一国の主権と独立を守るための戦いであった。主眼は国防であり、民主主義ではなかった。
それでも、民主主義と安全保障が組み合わされて用いられたのは、先進民主主義諸国の間で「旗の下の結集」効果をもたらすためであろう。人々を動員しようとするとき、「彼ら」と「我ら」の区別を容易にさせる言説が効力を持つためである。実際、ウクライナへの支持を動員する上で、「専制主義」対「民主主義」という構図を意識させることで、ロシアとそれを支持する「彼ら」に対する「我ら」を意識させることができたのである。ルーカン・ウェイ(Lucan Way)は、「道徳的な明確さと存亡の危機の組み合わせが、欧州諸国を行動に駆り立てる強力な組み合わせであることが証明され、対ロシア政策に大きな変化をもたらした(The combination of moral clarity and existential peril proved a potent mix in motivating European powers to act, marking a profound shift in their policies toward Russia)」と述べている。
しかしこの言説は、自由民主主義国以外にとっては排除の論理を内包するものであった。「彼ら」対「我ら」という構図を「専制主義」対「民主主義」と枠づけたことで、グローバルサウスの非自由主義的民主主義国および権威主義国は、自動的に「我ら」の側に含まれることがないうえ、そこに自国を位置付ければ「彼ら」との対立を先鋭化させるとの懸念を抱いた。こうして民主主義のための戦いという言説は、制度や価値という本来の民主主義を置き去りにし、国家間対立の旗印として用いられるイデオロギーとしての側面を前面に押し出すことになった。
イスラエルによる人道被害を止められない民主主義諸国
こうしたなかでハマスによるイスラエル攻撃が2023年10月に始まり、イスラエルの報復がガザにおいて人道被害を出し続けたことは、民主主義言説を、制度と価値という本来の民主主義の姿からさらに引き剝がした。
2023年10月10日の会見のなかで、バイデン大統領は、「ユダヤ人国家であり、民主主義国であるイスラエルが今日も、明日も、その後も自国を防衛できるよう、我々は全力を尽くす(We will make sure the Jewish and democratic State of Israel can defend itself today, tomorrow, as we always have)」と述べ、民主主義を連帯理由に位置付けた。アントニー・ブリンケン(Antony Blinken)国務長官も、2024年4月4日にNATO本部で行った会見において、次のように述べている。
イスラエルは民主主義国家であり、ハマスはテロ組織である。民主主義は人間の命に最も高い価値を置く――一人一人の人間の命に。これまでも言われてきたように、命を救うものが世界を救う。それが我々の強みであり、ハマスのようなテロリストと我々を区別するものである。
10月7日にイスラエルが被った被害は甚大であった。とはいえ、民主主義国が人命を尊重するのであれば、何故イスラエルはガザにおいて一般人の人命まで奪うのかという憤りは、イスラエルのみならず、他の民主主義諸国に、そして特に米国に向けられた。しかも、リベラル国際秩序がポピュリズムによって弱体化されているとの議論が高まるなか、イスラエルの右派ポピュリスト政権が国際秩序に与える影響については、ほとんど分析が行われていない。
中国などの権威主義国は、この憤りを利用して民主主義を貶める影響工作を行ってきた。例えば中国の薛剣大阪総領事が2024年の間にXに投稿した内容を分析すると、そのことが伺える。X上の投稿において薛剣総領事が「民主主義」と強い関連を持って用いた単語は、表 1の通りである。ここから読み取れるのは、薛剣総領事が拡散したナラティブである。「西側」諸国は民主主義の「虚名」を用いて「権力」を行使しており、米国式民主主義には世界が「ウンザリ」し、米国式民主主義は「自壊」してきている、人民が「真」の「主人公」である中国の全過程人民民主こそが本当の民主主義である、というものである。こうしたナラティブは、既に存在していた憤りとの間で相乗効果を発揮し、米国に対する信頼感、および民主主義に対する信頼感をさらに弱体化させた。
表 1Xue JianのX投稿で「民主主義」との関連で用いられた単語
(2024年1月1日~12月31日)
我こそが民主主義であると中国政府が主張するそれは、選挙を行わないのみならず、個々人の自由権も認めていない。たとえ政府の政策が人々の意見と軌を一にしているように見えたとしても、それは共産党が人々の声を広く吸い上げているからではない。共産党による言論弾圧を受けず表面化する意見との間で整合性が取れているだけである。
民主主義とは、単に選挙を行う政治体制ではない。自由かつ公平な選挙を行うために必要な市民的自由が確保され、その確保に必要な人権が保護されていなければならない。弱体化する自由民主主義に対する信頼感が、中国政府らの民主主義プロパガンダによってさらに侵食されないよう、アプローチの建て直しが急務である。
イラク戦争の轍を踏まないために
国際場裏における民主主義言説が制度と価値の問題から引き剥され、イデオロギーとしての印象を強める現在の状況は、冷戦期を通じて見られたものであった。そして冷戦後においては、イラク戦争時のそれに似ている。当時米国は、大量破壊兵器の開発が疑われるとしてイラクに侵攻し、同国を民主化するとしてその行動を正当化した。イラク戦争後の10年程度、民主化支援は国際的な信頼を失墜させた。特に垂直的説明責任を担保しようと活動する市民社会に対する支援は弱体化した。
国際的に自由と人権を守るためには、民主主義を巡る言説と政策に転換をもたらす必要がある。第一に、国家間対立の文脈で民主主義を語ることをやめる必要がある。ウクライナへの支援動員は、民主主義ではなく国家の主権と独立という普遍的な規範が侵害された事実に焦点を当てることで包摂性を発揮できる。非植民地化経験を持ち、内政不干渉を重視するグローバルサウスの国々にとって、国家主権の重みは民主主義規範とは比較にならない。そしてこのようにすることで、民主主義言説を国家間対立の観点から引き離すことができる。
そして第二に、民主主義を重視する言説に行動で裏付けを与える必要がある。そのためには、本来民主主義という概念が示す制度と規範を強化する実行を積み重ねることが重要である。できることは多々ある。先進国も途上国も国家間の相互選挙監視を導入したり、政府の透明性と説明責任を強化するガバナンス支援を行ったり、自由な社会を守るために活動するジャーナリストや活動家を保護したりすることなどが例として挙げられる。
2025年は、前年より厳しい年になる。秩序を維持し、自由を守る取り組みを行うアクターとして、日本が主体性を発揮する時である。
(Photo Credit: ロイター/アフロ)
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人
地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。