習近平政権の対外行動を規定する統治構造上の特徴

【執筆者:小嶋 華津子 慶應義塾大学法学部教授】

トランプ政権による相互関税政策が世界の経済秩序を揺るがすなか、習近平政権は迅速かつ戦略的に対抗措置を講じつつ、同時に実務協議には前向きに応じるという二面性を見せた。このような対外行動のあり方は、中国特有の統治構造に規定されている。本稿では、習政権の対外行動を、①中長期戦略の遂行能力、②実利主義と「自力更生」理念の併用、③統御困難な官僚機構という三つの観点から考察する。
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政権交代なき体制と中長期戦略の遂行能力

習政権がトランプ政権に対し即応的に対抗措置を打ち出せたのは、「中国製造2025」に代表される中長期的な産業政策の存在によるところが大きい。2015年に提起された同政策は、技術集約型の製造業の発展を目指すものであり、中国では以来、この構想に基づいて国家主導のイノベーションが推進されてきた。2025年までに半導体の自給率を7割に引き上げるという目標こそ達成の見込みが無いものの、こうした取り組みが、次世代通信やAIなどの開発及び社会実装の面で顕著な成果をあげたことは疑いえない。また、1990年代に国家戦略物資として位置付けられたレアアースは、中国がその精錬能力において世界の9割を掌握するに至り、今回も有力な対米カードとなった。

中国は、2049年までに「社会主義現代化強国」になるという国家目標を、対米という文脈でのみ捉えている訳ではない。1990年代以降顕在化した米国の衰退の背景に、新自由主義に基づくグローバル経済がもたらした産業の空洞化、中間層の衰退、金融資本への依存を見て取り、同じ轍を踏まぬよう、製造業の育成と内需主導型経済への転換を掲げる。2020年に発表された「双循環(国内循環を基軸に対外循環との相互補完を図る経済発展モデル)」戦略や、2021年の「共同富裕(共に豊かになる)」政策はその表れである。

このように、中長期的な戦略の下で一貫した政策を推進できるのは、中国の統治体制において、政権交代による「過去の否定」や抜本的な方針転換の余地が制度的に排除されているからに他ならない。選挙によってその都度、正統性を獲得できる国の指導者とは異なり、中国の指導者の行動は既定の路線や計画に制約されるが、その分息の長い戦略を進めやすい。

実利主義と「自力更生」理念の併用

第二に、実利主義的外交を展開しつつ、必要時には、半植民地としての歴史的経験に根ざした「自力更生」という理念によって国民を結束させることができるのも中国の特徴である。1989年の天安門事件直後、当時の米大統領の密使として訪中したブレント・スコウクロフト補佐官に対し、李鵬総理は、「(あなた方の制裁は)率直に言って我々の経済建設、国際交流及び外交活動に悪影響を及ぼしている」が、我々にとっては「国家の独立こそ神聖」なのであり「経済建設の速度など意味をなさない」、「これこそ、我々が問題を見る際のロジックだ」と語った。他方で、同時期に党中央主催の会議では、「我々は国外から低金利の長期借款を多く勝ち取れるよう努力するが、希望通りにならなかった場合への備えもしなければならない」、「原則をディールの材料にしてはならず、西側諸国の圧力に屈してはならない」、「我々は自力更生の国なのだ」と述べた。

このような思考は、現在、対米協議に臨む中国の姿勢にも見られる。米国の圧力に際して、「今こそ(毛沢東の)持久戦論を読み直そう」(4月28日付『北京日報(電子版)』)と忍耐と結束を喚起しつつ、実務協議に前向きに応じる姿勢は、36年前と基本的に変わっていない。

統御困難な巨大官僚機構と公安機関の汚職

一方、習政権が中長期戦略を遂行するにあたって最大の障害となっているのが、巨大な官僚機構である。中央から省―地―県、そして郷鎮へと至る多層的な行政体系には、汚職が蔓延り、中央の方針は地方や末端の利権構造の中で骨抜きにされる。強い指導者に仕立て上げられた習近平たりとも、官僚機構の適正な統御は至難の業である。

汚職や不正を取り締まるはずの公安機関も例外ではない。習政権は発足早々、周永康(元中央政治局常務委員、中央政法委員会書記)人脈の粛清と反腐敗キャンペーンを実施し、孟宏偉(国際刑事警察機構総裁)、孫力軍(公安部副部長)、傅政華(元公安部副部長・元司法部部長)ら中央・地方の幹部を処分した。2020年7月からは、公安や司法等の政法関係機関を対象に「整風運動(思想・組織の引き締め)」を実施した。それにより、地元の「黒社会(反社会的勢力)」の庇護者となったり、その首領を兼ねたりしていた公安関係者が続々と摘発された。

フェンタニル問題への対応

2025年5月10日から11日にかけてジュネーブで行われた米中高官協議には、何立峰(副総理)、李成鋼(商務部国際貿易交渉代表兼副部長)、廖岷(財政部副部長)とともに、習近平総書記の側近である王小洪(公安部部長・国務委員・国家禁毒(薬物取締)委員会主任)が参加した。トランプ政権は、フェンタニル類薬物の流通規制に関する中国の不十分な対応を、対中関税措置の根拠の一つとしており、王の参加は同問題に関し協議するためであった。

フェンタニル問題について、中国は3月、国務院新聞弁公室より「フェンタニル類物質規制」白書を発表し、製造・流通に対し厳格な管理体制を敷いてきたことを対外的に説明するとともに、米中共同で問題解決を図るべきだと主張した。

実際に中国では、1990年に国家禁毒委員会が設置され、公安部を中心に衛生部や税関など30以上の関係部局が連携する取締体制が多層的に構築された。近年では、電子タグなどによるトレーサビリティ技術も導入されている。しかし、上述の通り公安機関の腐敗は深刻であり、インターネットを介した違法取引が拡大するなか、十分に対応できているとは言い難い。白書も「2024年6月までに、(インターネット上の)違法広告14万件以上を削除し、14のネット取引サイトを処分した」と記述しており、課題の大きさを裏付ける。

また習政権は、これまでも同問題において米国との協力を推進してきた。2023年11月の米中首脳会談でのバイデン大統領との合意に基づき、2024年には米中麻薬対策協力作業部会が設置され、公安部禁毒局と米司法省麻薬取締局(DEA)・国土安全保障捜査局(HSI)とのホットラインも開設された。第二次トランプ政権発足以降も、2025年1月、王小洪が米国家麻薬管理政策局局長とオンラインで会談を行った。

つまり、習政権にとって、フェンタニル問題に関する対米協力は既定路線であり、それが対米関係打開の突破口となり、同時に外圧を利用して国内の官僚機構を引き締める契機となれば、一石二鳥といったところだろう。フェンタニル問題は、米国内では製薬利権をめぐる政争の具であっても、米中の亀裂を深める要因とはならないと考える。

以上のように、中国の対外行動は、一党独裁体制の下における中長期的な戦略の遂行、実利主義と「自力更生」理念の併用、そして巨大な官僚機構内部の力学といった複数の要因が交錯し形成されている。日本にとって、隣国中国の行動を内在的に理解し、それに即した戦略的かつ実務的な関与のあり方を設計することは死活的に重要である。新自由主義とリベラル・デモクラシーに基づく戦後国際秩序が制度疲労を露呈しつつある現在、中国をめぐる議論がポジション・トークに終始するならば、日本は、新たな秩序構築に向けた建設的な合意形成や問題解決の枠組みに参画する機会を失うだろう。

(Photo Credit: Lintao Zhang/Getty Images)

 

小嶋 華津子

慶應義塾大学法学部教授

慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、博士(法学)。在中国日本大使館政治部専門調査員、筑波大学人文社会系准教授を経て、現在、慶應義塾大学法学部教授。主要著作として、『中国の労働者組織と国民統合――工会をめぐる中央−地方間の政治力学』(慶應義塾大学出版会、2021年)、『中国共産党の統治と基層幹部』(慶應義塾大学出版会、2023年、共編著)、『習近平の中国』(東京大学出版会、2022年、共編著)、“The Corporatist System and Social Organizations in China”, (Management and Organization Review, Vol.8, Issue 3, November 2012 , co-author)、China’s Trade Unions: How Autonomous Are They? A Survey of 1,811 enterprise union chairpersons (Routledge, 2010, co-author)。

 

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