高市政権の外交課題 秩序なき時代の戦略的シグナリング

高市政権は、発足直後から東アジア首脳会議、日米首脳会談、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の場を活用した日韓および日中首脳会談を相次いで実現し、外交面ではいわばロケットスタートを切ったと評価できる。…(以下、本文に続きます)
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高市外交:「鮮やかな初動」と「危うい躓き」の交錯

高市政権は、発足直後から東アジア首脳会議、日米首脳会談、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の場を活用した日韓および日中首脳会談を相次いで実現し、外交面ではいわばロケットスタートを切ったと評価できる。高市早苗首相は主要国との首脳外交を短期間に重ねることで、新政権の存在感を内外に示し、国内的にも高い支持率を獲得する一因となった。新政権が発足直後に国際社会の主要アクターと直接対話の回路を確保したことは、日本外交の安定性と予測可能性を印象づける効果を持っていた。

外交面での鮮やかな初動と並行して、高市政権は国内政治でも大きな転換点を迎えた。26年に及んだ自民党と公明党との連立解消は、当初こそ政権基盤の不安定化は不可避との見方を生んだが、その後成立した日本維新の会との連立は、異なる政治力学を生み出した。維新は連立与党としての存在感を示す手段として、安全保障政策の前進を強く志向し、高市政権の安保観と合流する形で、内政の力学そのものが安保政策を加速させる推進力として組み込まれていったのである。

実際、自民・維新政策合意文書には、安保関連の戦略三文書の前倒し改訂、防衛装備移転の5類型の撤廃、次世代動力潜水艦保有の推進、インテリジェンス改革など、従来の連立体制下では慎重論が強かった論点が並んだ。連立再編は、単なる政治構造の変化にとどまらず、安保政策を中道調整型から前進を前提とした設計へと、組み替える効果をもたらした。

しかし、この安保政策の加速と連立構図の変化は、結果として外交分野、とりわけ中国との関係における摩擦を生みやすい環境をもたらした。とりわけ高市首相が国会答弁において、存立危機事態が台湾に適用され得るとの認識を示したことを契機に、中国の対日姿勢は急速に硬化した。その反応は、おそらく官邸内の想定を超えるものであり、その影響は短期的に収束する兆しを見せていない。

もっとも、高市首相の発言意図は、日本の対台湾政策における新たな戦略的方針転換を示すものではなかった。日本政府の台湾に関する公式立場に変更がないことは、その後の政府対応からも明らかである。にもかかわらず、事態は日本の対中政策における政策余地を狭め、日本の対外戦略全体の選択肢を結果として制約しつつある。

同様の構図は、官邸幹部による核保有を示唆したオフレコ発言にも見て取れる。この発言も、非核三原則や日米拡大抑止を基軸とする日本の核政策を意図的に転換しようとするものではなかった。しかし、同発言後には日本の核武装をめぐる議論が内外で急速に拡散し、日本の軍縮・不拡散政策の一貫性と信頼性そのものが問われる事態へと発展した。

これら二つの事例に共通しているのは、安全保障のリアリズムの観点からは議論の対象となり得る内容であったとしても、それが外交的文脈の中でどのようなシグナルとして受け取られるかについて、十分な配慮が欠けていた点である。外交は、政策の合理性や妥当性を一方的に表明する場ではなく、それが相手にどう解釈され、どのような行動選択を促すかを含め設計される、実践的な営みである。

すなわち高市政権下の日本外交が直面している本質的課題は、秩序が不安定化する国際環境の下で、日本の外交・安全保障政策を国際社会にどのように伝え、懸案を効果的に牽制し、同志国から支持と共感を得るか、という戦略的シグナリングが十分に洗練されていない点にある。

戦略的シグナリングの論理

戦略的シグナリングとは、自国の意思、能力、そして行動の範囲を相手に伝達し、相手の認識と期待形成に働きかけるための戦略的行為である。例えば古典的な抑止が成立するには、能力と意思が「ある」だけでは足りない。それが相手に「信じられる」形で提示され、相手の計算に組み込まれる必要がある。

この意味でシグナリングは、発言や声明といった言語表現に限られない。法制度や戦略文書、同盟運用の実態、軍事態勢の配置、さらには過去の行動履歴といった非言語的要素を含む総体として構成される。言葉が強くても制度や能力が伴わなければ信頼性を欠き、能力が拡大しているにもかかわらず言葉が曖昧であれば、相手は最悪の意図を想定しやすくなる。したがってこの要諦は、強さや曖昧さの度合いそのものではなく、言語・能力・行動が相互に整合しているかどうかにある。

さらに重要なのは、戦略的シグナリングが単発の発言管理やリスク回避の技術ではなく、政策の方向性、制度設計、能力構築、同盟運用、そして発言の順序や「語らないこと(沈黙)」まで含めた総合設計だという点である。特に政策転換や能力強化を進める局面では、何を、どの順番で、誰が語るのか、あるいは、どの領域では沈黙として示すのかが、相手の解釈を大きく左右する。

戦略的シグナリングはいかに実践されるべきか

高市政権が直面した一連の摩擦は、個々の発言の是非を超えて、外交・安全保障に関わる言語が、相手国の戦略的反応を引き出し、次の局面を形成していく相互作用の中で機能していることを浮き彫りにした。

戦略的シグナリングとは、誤解を完全に排除する技術ではない。むしろ、意図せざる反応を含めて、それをいかに次の行動に接続し、主導権を取り戻すかという、動的な運用の問題である。この観点に立てば、重要なのは「発言を控えること」ではなく、発言を含む一連のコミュニケーションを、どのような原則の下で組み立てるかである。以下では、戦略的シグナリングを一貫して機能させるための三つの運用原則を提示したい。

第一に、外交・安全保障に関わる発言は内容以上に、政策的位置づけと公式性の水準によって意味が決まるという認識を関係者で共有することである。国会答弁や官邸幹部の発言は、それ自体が政策転換の兆候として読まれ得る。したがって、政府内・与党内で基準線(原則的立場)と逸脱可能域(言い回しの許容範囲)を明示し、想定問答を共有するなど、偶発性を抑える共通基盤が必要となる。ここで重要なのは萎縮ではなく、発言の自由度を担保するためにこそ、共通の“レール”を整備するという発想である。

第二に、異なる政策領域の論点を同一のシグナリング空間に不用意に重ねないことである。台湾や存立危機事態は抑止と競争の論理が前面に出る安全保障領域に属する。他方、核政策は拡大抑止の議論であると同時に、不拡散・軍縮という制度的・規範的枠組みの中で理解されてきた。両者が交錯すれば、相手は最も不安定な意図を読み取り、抑止の信頼性も規範的信頼も同時に損なわれかねない。だからこそ、どの論点をどの政策領域の言語で語るのかを、国家安全保障会議における外務・防衛部門の調整として、平時から組み立てておく必要がある。

第三に、内政の力学と外交的シグナリングが交錯する現実を前提に、その影響を最小化する運用を行うことである。SNS時代に内政と外交を完全に切り分けることは難しい。ゆえに重要なのは、内政向けの問題提起が外交シグナルとして読まれる可能性を織り込み、偶発的反応が生じた後に「第二の矢」「第三の矢」を準備しておくことである。発言を過度に抑制してコミュニケーション量を落とすのではなく、事後の上書きと再配置によって局面を管理する発想が求められる。ここにこそ、戦略的シグナリングの運用としての成熟が問われる。

2026年は、日本外交にとって一つの分水嶺となる年である。戦略三文書の見直しが予定されているのみならず、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想が提唱されて10周年を迎え、日中関係を規定してきた「戦略的互恵関係」が確認されてからも20年を数える。いずれも安倍政権期に形づくられた日本外交の重要な戦略的遺産であり、高市首相が継承を強く意識してきた枠組みでもある。しかし、この20年間で国際秩序の前提条件は大きく変化した。力の分散、規範の揺らぎ、経済相互依存の武器化が進む中で、同じ概念を同じ語り方で掲げることはもはや十分ではない。いま問われているのは、これらの戦略概念を、いかなる秩序観と行動原理のもとで再定義し、日本外交の軸として打ち出すのか、という戦略設計そのものである。

その際に決定的な意味を持つのが、戦略的シグナリングである。戦略や理念は、それ自体として重要であり、不可欠である。しかし、それがどのような順序で示され、誰の言葉として語られ、どの領域では沈黙として表現されるのかによって、その受け取られ方と効果は大きく異なる。秩序なき時代において世界をリードするとは、壮大な構想を掲げること以上に、その構想が「信じられる行動」として理解されるよう設計することを意味する。高市政権に求められているのは、理念と現実、戦略と運用を結び直し、過不足なく世界に伝える統治技術としての戦略的シグナリングを磨き上げることである。その成熟こそが、日本外交が秩序なき時代においても、指針を失わずに行動し続けるための、最も現実的な条件となる。

(出典: Chung Sung-Jun / Getty Images)

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コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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神保 謙 常務理事(代表理事)/APIプレジデント
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授
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神保 謙

常務理事(代表理事),
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慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。専門は国際政治学、安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・防衛政策。 タマサート大学(タイ)で客員教授、国立政治大学、国立台湾大学(台湾)で客員准教授、南洋工科大学(シンガポール)客員研究員を歴任。政府関係の役職として、防衛省参与、国家安全保障局顧問、外務省政策評価アドバイザリーグループ委員などを歴任。 【兼職】 慶應義塾大学総合政策学部教授

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