なぜ経済安保が米国の国家安保戦略となったのか

2025年12月に発表された、米国の国家安全保障戦略(NSS)では、冷戦後の米国の戦略は、世界の問題を米国が一国で引き受けるという「誤った」戦略であったと断定し、グローバルな支配的地位を放棄することを明示的に宣言した。そして米国の安全保障を米本土の防衛を軸に、西半球における「モンロー主義のトランプ補論(Trump Corollary to Monroe Doctrine)」、トランプ大統領本人はこれを「ドンロー主義(モンロー主義とファーストネームのドナルドを組み合わせた造語)」と呼び、西半球優先の戦略に組み替えると宣言した。米本土における最大の脅威はラテンアメリカ諸国から押し寄せる難民・不法移民と違法薬物であり、西半球を安定させることで、これらの脅威を排除することを目指している。

と同時に、NSSでは米国経済に対して損害を与える外国勢力を抑止し、安定し、信頼できるサプライチェーンを築くこと、また、米国の技術と標準が世界経済に影響を与え続けることが戦略目標に設定されている。また優先事項として経済安全保障が挙げられ、貿易不均衡の是正、死活的なサプライチェーンと資源へのアクセスの確保、再工業化、防衛産業基盤の再活性化、エネルギー分野での支配的地位、金融部門での支配的な地位の保持と強化が論じられている。

米国の安全保障戦略の中で、ここまで経済安全保障を大々的に取り入れたものは、他には存在していない。なぜ、2025年のNSSでは経済安全保障が大きく取り上げられることになったのであろうか
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トランプ関税の帰結

NSSの中で、経済安全保障の問題がとりわけ大きく取り上げられているのが、アジアについて記述された箇所である。台湾海峡を含む東アジアにおける侵略を抑止するという記述に先立つ形で、経済問題が取り上げられ、中国との経済関係を「再調整(rebalance)」することが強調されている。

こうした経済安全保障の重要性に焦点があてられるのは、第二次トランプ政権が発足した直後に、中国に対して、違法薬物であるフェンタニルの原料を輸出しているという理由で10%の関税をかけ(のちに20%に引き上げた)、4月の「解放の日」関税では、「相互関税」を34%に設定した。これに対して、中国は対抗措置としてレアアースの輸出規制強化や対米関税の引き上げといった措置を取り、それに反発したトランプ大統領は、相互関税率を84%に引き上げる大統領令に署名した。結果的に対中関税は145%まで引き上げられたが、5月にはジュネーブ、ロンドンで米中の閣僚級会談が執り行われ、米国の対中関税は145%から30%に、中国の対米関税は125%から10%に引き下げることで合意した。

この関税をめぐるやり取りで明らかになったのは、中国が実施した対抗措置が極めて効果的であったということである。言い換えれば、米国はレアアースなどの重要鉱物を中国に過度に依存しており、中国からの輸入ができなくなれば、防衛産業をはじめとする米国の産業に決定的な打撃となることを自覚したのである。

第二次トランプ政権が自信をもって繰り出した関税政策は、米国市場が世界において不可欠な市場であることを前提としていた。確かに米国市場は世界最大のGDPと旺盛な購買力のある市場であり、多くの国は米国市場への輸出に依存している状況であり、それが各国を米国との交渉に駆り立てた。日本や韓国、EUに対して関税率を引き下げる見返りに巨額の投資を約束するといった、「市場の不可欠性」をテコにした米国の地経学的パワーの行使は成功しているかのように見えた。しかし、中国は第一次トランプ政権との「関税戦争」の結果、米国に依存していた大豆の輸入をブラジルに変更するなどして、戦略的自律性を高め、レアアースという「モノの不可欠性」で対抗したことで、米国のサプライチェーン上の脆弱性を暴露した。中国が戦略的に自律性と不可欠性を構築してきたのに対して、米国は地経学的な対応が遅れていることを示した。自由主義的な経済体制をとる米国は、長期的な戦略を立て、政府による民間資源の動員が困難であり、企業に戦略を強制出来る権威主義国家である中国との間での地経学的パワーの格差が明らかになったのである。NSSで経済安全保障が大きく取り上げられたのは、まさに、米国が抱える脆弱性が認識されたからである。

関税と投資合意の変容

米国の地経学的パワーの発揚であった関税政策は、2026年2月の最高裁判決で、国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく「相互関税」などが違憲と判断され、トランプ政権はこれまでのように自由に関税を設定することが困難になったが、大統領権限で関税を賦課できる方法は他にもあり、今後もインパクトは小さくなるとは言え、関税を「武器化」する行為は継続されると考えられる。

また、この最高裁の判決にかかわらず、日本と韓国が米国と結んだ、関税と投資に関する合意も継続されることになるだろう。合意の一部である「相互関税」の引き下げは最高裁判決で無効化されたが、最高裁判決の対象ではない通商拡大法232条に基づく自動車・自動車部品関税の引き下げを維持するためにも、合意を継続せざるを得ない状況だからである。

ただ、この関税と投資合意の性格も、交渉の中で大きく変化したと考えられる。当初は、米国の貿易赤字を是正し、米国の製造業を再活性化させるということが、米国側の目的として設定されていたが、それが、米国の脆弱性を埋め合わせ、米国が持つ地経学的パワーを強化するための日米、米韓の共同作業という性格を強めていくことになった。

その一つの表れが、日米の間で合意された第一弾の投資案件であろう。2026年2月に発表された三つの投資案件は、オハイオ州のガス発電所の建設、テキサス州の原油積出港の整備、そしてジョージア州の人工ダイヤモンド製造工場の建設である。このうち、ガス発電所は、米中の競争が激しくなるAI開発競争において重要な役割を果たす、AIデータセンターに必要な電力を賄うためのものであり、中国によるAI分野における優位性を阻止するためのプロジェクトとして位置づけられる。また、人工ダイヤモンドに関しては、次世代のパワー半導体であるダイヤモンド半導体の製造に必要なものであり、この分野では日本にも技術的な優位性がある分野である。

このように、米国の製造業の再活性化というよりは、経済安全保障の観点から、米国の競争力を強化させつつ、日本にとっても有益なプロジェクトになるような選択となっている。ただし、拙速にプロジェクトを指定したことで、プロジェクトの採算性を含むフィージビリティスタディ(実現可能性調査)は十分に行われておらず、投資に適した案件とは言い難いものでもある。この投資案件は、あくまで日米が協力して、米国の経済安全保障の強化を目指す政治的なプロジェクトという性格も持ち合わせている。

日本は米国安保戦略とどう向き合うのか

米国が中国に対して自律性を持たない状態は、中国の勢力圏の拡大に対し、抑止が十分に効かない可能性があるということである。すなわち、中国の軍事的な行動を抑止しようとしても、米国がサプライチェーンの脆弱性を抱える限り、中国と対立することが困難になるからである。もちろん、経済的合理性を越えて中国の拡張を阻止するという政治的意思があれば、対抗することは可能だが、兵器生産などに必要な鉱物が手に入らなければ、継戦能力に重大な支障となるだろう。

そのため、2026年2月には、ルビオ国務長官が主導する形で重要鉱物の閣僚会議が開かれ、54ヶ国と欧州委員会が参加して、米国のサプライチェーンを強化する方針と、そのための官民投資が発表された。これが直ちに米国の脆弱性を解消することにはならないだろうが、中長期的に解決しなければならない問題である。

そんな中で、日本はすでに投資案件の第一弾を発表し、米国の経済安全保障に貢献する姿勢を明らかにしている。3月の高市首相の訪米では、投資案件のお披露目だけでなく、より踏み込んだ、日米協力による両国の戦略的自律性の強化と、中国に対抗するための戦略的不可欠性の向上を目指す議論がなされるべきである。しばしば米国への5,500億ドルの投資は日本にとって不利益だと言われることもあるが、むしろ、この投資合意を日米の地経学的な戦略として位置づけ、米国の脆弱性を解消するために活用していくことが重要なのである。

しばしば不確実性を伴う意思決定をするトランプ政権を、東アジアにピン留めし、中国との戦略的バランスを維持して、中国の台湾への野心を抑止することが、日本の安全保障にとって最重要課題である。そのためにも、日米の経済安保協力を通じて米国の脆弱性を減らし、中国に対する抑止力を向上させるように、米国の国家安保戦略を安定させることが重要なのである。

(出典: Getty Images)

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地経学ブリーフィング

コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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鈴木 一人 地経学研究所長/経済安全保障グループ・グループ長
立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授
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研究者プロフィール
鈴木 一人

地経学研究所長,
経済安全保障グループ・グループ長

立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授

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