ハマス・イスラエル紛争「人道的休止」とは何だったのか

パレスチナの武装組織ハマスとイスラエルとの紛争が始まって2か月。イスラエルの対ハマス作戦によりガザでは18,000人以上が亡くなった。犠牲者の約70%は女性と子どもである。11月24日から始まった人道的休止により支援物資がガザに搬入されたが、それも7日間しか続かなかった。12月1日、イスラエルはガザ南部のハーンユニスに侵攻した。

この人道的休止が成立するまでに、どのような議論があり、それは停戦と何が違ったのだろうか。国連安保理における動向を振り返ってみたい。またガザをめぐる人道的惨禍が世界中の世論を引き裂き、国内に新たな断層線を引きつつある。いま国際社会に求められることは何だろうか。
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犠牲になる文民(civilians)

ガザは、イスラエル、エジプト、地中海に囲まれ、南端から北端まで車で1時間強、イスラエルとの境界から地中海までは30分弱で着いてしまう狭い地域である。ここに約210万人もの人々が住む。イスラエルとの間には高い分離壁がそびえ立ち、空港は破壊され、漁業ができるのは沖合6海里ほどに限られる。紛争前は一日あたり約500台のトラックがガザに食料、水、燃料などを届け、人々の生活を支えていた。

「天井のない監獄」と呼ばれるガザを外界とつなぐのは3つの検問所である。人の往来が多かった北端のエレズ検問所(Erez Crossing)、そして物流の要衝である南東のケレム・シャローム検問所(Kerem Shalom)は、10月7日にハマスがイスラエルに侵入するため壁やフェンスが破壊され、その後、イスラエルが地上軍を展開し、封鎖された。残されたのはエジプトが管理する南端のラファ検問所である。エジプトはすでに15万人のシリア難民と約14万人にのぼるスーダン難民を受け入れており、当初、ラファ検問所を開けることに慎重だった。しかしガザの人道状況が急激に悪化したことを受け、10月21日、エジプトは食料、水、医療物資など人道支援物資を積んだトラックがガザに入ることを認めた。一方で、イスラエルは支援物資がハマスに流用されること、またガザからハマスの戦闘員がエジプトへ逃れることを懸念している。イスラエル軍は11月3日、ガザでラファ検問所に向かっていた救急車の車列を空爆した。紛争前はトラックが盛んに通っていたケレム・シャロームが封鎖されていることもあり、ラファ検問所を通ってガザに搬入された物資は、紛争前の水準と比べれば、わずかなものに過ぎない。

ただしイスラエルによるガザへの物流制限は、これまでも日常的に行われてきた。2007年にハマスがガザを支配して以来、ハマスがイスラエルにロケットを撃ち込み、イスラエルが防空システム「アイアンドーム」で迎撃しつつガザに空爆するという応酬が繰り返されてきた。ハマスがガザの民間人を盾に民間施設のそばからロケットを発射するのも、イスラエルが人口稠密なガザで文民(civilians)が住む住居もろとも空爆するのも、今に始まったことではない。

今回の紛争が違ったのは、ハマスがドローンでイスラエル側の監視塔を破壊し、数千発のロケット発射による飽和攻撃で防空システムをかいくぐり、ガザを取り囲む壁やフェンスを破ってイスラエルに越境攻撃を仕掛け、1,200人以上の民間人を殺害し、約250人を拉致したことである。そのうえで、ハマスはイスラエルに対し、事前の予告なく空爆すれば人質を処刑すると通告した。

ハマスのテロはイスラエルを激昂させた。ネタニヤフ政権はハマスの殲滅と、全ての人質の解放、その両方を目指し、これまでにない烈度で空爆を行い、地上侵攻に踏み切った。さらに市街地が集中する北部から、一般市民を南部に強制的に移動させた。イスラエル軍は住居を破壊しガザを更地にしながら侵攻を続けている。

ガザで破壊された住居は52,000戸を超え、これは全住居の半分以上を占める。家を追われた避難民は190万人以上にのぼる。ガザ全住民の85%以上が強制的に移動させられたことになる。

1948年のイスラエル建国によりパレスチナの人々が強制的に退去させられた「ナクバ(大災厄)」でも、その規模は75万人超だった。イスラエルが「非軍事化」と呼びながら進める軍事侵攻を、パレスチナ自治政府(Palestinian Interim Self-Government Authority: PA)のアッバース大統領は第二のナクバだと非難している。

現場では、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)がガザの医療や食料配布を支えようとしている。しかしUNRWAの運営する学校や病院までもが攻撃のターゲットになっている。少なくとも130名のUNRWA職員がこれまでに命を落とした。

国連安保理と方針変更した米国

多くの文民が犠牲になるなか、国連では停戦を求める決議案をめぐり各国が対立した。10月16日、国連安保理ではロシアが人道的な停戦(humanitarian ceasefire)を求める決議案を提出したが、ハマスを非難する文言がなく、反対多数で否決された。しかし根本的な問題は、ハマスを利するだけだという理由からイスラエルが停戦に真っ向から反対していたこと、その意を受け米国も安保理において停戦に強く反対していたことであった。

この頃、国連機関から人道的休止(humanitarian pauses)を求める声が上がり始めていた。10月13日、キャサリン・ラッセル国連児童基金(UNICEF)事務局長が、ガザの子供たちを念頭に、人道的休止が必要だと訴えた。人道支援の輸送と文民の退避を可能にすべく人道的休止を要請する国連の声に押され、10月18日、安保理議長国のブラジルは人道的休止を求める決議案を提出した。この決議案は12の賛成票を集めたものの、米国が拒否権を行使し、葬り去った。イスラエルの自衛権に言及していない、というのが反対の理由だった。

しかし、いくらテロ攻撃を受けたとは言え、イスラエルによる対ハマス作戦は均衡性を欠いていると言わざるを得ない。安保理が意思決定できないなか、10月26日には国連総会で緊急特別会合が開かれた。アラブ諸国が共同提案した人道的休戦(humanitarian truce)を求める決議案は120票の賛成多数で採択された。こうした国際世論の高まりとともに、米国内でも若年層を中心にパレスチナ側への同情と反イスラエルデモが広がり、それまでネタニヤフ政権を支えてきたバイデン政権は方針変更を余儀なくされる。

11月8日、東京で開催されたG7外相会合において、ブリンケン国務長官も合意する形で人道的休止と人道回廊を求める外相声明が発出された。

そして11月15日、ようやく安保理で人道的休止を求める安保理決議2712号が採択された。米国は反対こそしなかったものの、賛成せず、英国、ロシアとともに棄権した。ウクライナをめぐり対立する米英とロシアは、ガザをめぐって同じ投票行動をとることになった。

11月24日、ハマスが拉致した人質解放と引き換えに人道的休止が実現した。ハマスとイスラエルの仲介は米国とカタールが担った。ハマスの指導者イスマイル・ハニヤはカタールの首都ドーハを拠点としている。エジプトからガザへ人道物資が運び込まれるとともに、ヨルダン川西岸に収監されていたパレスチナの囚人が解放された。

こうして7日間にわたって続いた人道的休止だが、これは停戦と何が違ったのだろうか。

停戦と人道的休止

停戦とは、紛争当事者が戦闘を停止することを指す。大国や地域の主要国、地域機構など第三者が仲介することも多い。停戦交渉が妥結すれば、一般的には合意文書が交わされる。筆者がかつて勤務していた国連事務局の政治・平和構築局は、和平合意や調停に関するデータベースを公開している。そのひとつがケンブリッジ大学ローターパクト国際法研究所と共同運営している“Language of Peace”(https://www.languageofpeace.org/)”である。このデータベースには約1,200の和平合意文書が収録されており、多くが停戦をめぐるものである。ただし呼び方は停戦(ceasefire)、敵対行為の停止(cessation of hostilities)、休戦(truce/armistice)、停止(standstill)、一時停戦(stand-down)、軍事攻勢の停止(suspension of military offensive)など、さまざまである。つまり「停戦」をどう呼ぶかは、紛争が置かれた政治的・文化的背景や、交渉プロセスによって変わる。

「人道的休止」には、人道的な目的のため、人道支援が提供されるべき限られた地域と期間において、一時的に敵対行為を停止する、という含意がある。とはいえ、人道的休止も、広い意味で停戦の一つであることに変わりはない。

実務的に重要な論点は、停戦合意が「決定的(definitive)」なものか、あるいは「予備的(preliminary)」なものか、ということである。「決定的」な停戦合意の代表例はスーダンにおける2005年の南北包括和平合意であり、これに基づく停戦と住民投票により2011年に南スーダンが分離独立した。またこうした合意では停戦の監視・検証(monitoring and verification)メカニズムが明記される。ここでは国連や地域機構が役割を果たすことが多い。

停戦監視・検証のための平和活動

中東では長年の間、停戦合意に基づく監視・検証、そのための国連平和活動が数多く展開されてきた。国連平和維持活動(PKO)は、イスラエルの国連休戦監視機構(UNTSO)、ゴラン高原のUNDOF、レバノンのUNIFILの3つが展開している。また国連事務総長特別代表をトップに文民のみで構成する特別政治ミッションは、1993年のオスロ合意を機にエルサレムに拠点を置いた国連中東特別調整官事務所(UNSCO)と、レバノン特別調整官事務所(UNSCOL)の2つがある。こうした国連の平和活動は、すべて安保理のコンセンサスがあること、つまり常任理事国P5が拒否権を行使しない、というのが条件であった。

今回の紛争ではUNSCOトップが中東諸国を飛び回る調整役を担い、安保理でグテーレス事務総長とともに国連事務局を代表して現地情勢を報告し、紛争の政治的解決、なかでも「二国家解決」の重要性を訴え続けている。

一方で、P5にコンセンサスがないなかで展開されたのがシナイ半島の多国籍部隊・監視団(MFO)であった。第4次中東戦争のあと、エジプトのサダト大統領は米国のカーター大統領の調停により1979年、イスラエルと平和条約を締結する。エジプト・イスラエル平和条約ではPKO派遣が合意されていたが、安保理でソ連が拒否権をちらつかせたためPKOの展開はかなわなかった。その代わりとして西側の多国籍軍で構成されたMFOが設立された。しかしパレスチナ解放機構(PLO)はMFO展開に反発し、その後、イスラエルはレバノンに侵攻した。

人道的惨禍に引き裂かれる世論

停戦合意が「予備的」なものである場合、停戦は一般市民につかの間の平穏をもたらすが、同時に、紛争当事者には戦線を立て直すための準備期間を与えることになる。その結果、戦闘再開が、停戦前より悲惨な結果をもたらすことがある。

その代表例がボスニア内戦である。1992年に始まったボスニア内戦は、36回の予備的な停戦と戦闘再開を繰り返したあと、米欧の仲介により1995年1月から4月末まで停戦が続いた。そのあと起きたのがスレブレニツァのジェノサイドであった。スレブレニツァでは約8,000名ものムスリム人の兵士と民間人が虐殺された。

今回のハマス・イスラエル紛争における「人道的休止」は、ハマスが人質を解放することを取引条件に成立した、予備的な停戦にすぎなかった。ハマスはイスラエル人および外国籍の人質110名を解放した。その対価として実現した7日間の戦闘休止により、食料、毛布、水、医療物資、燃料などがガザに搬入され、その量は平均して一日にトラック170台分、紛争前の三分の一の水準まで回復した。しかしこの7日間は、イスラエル軍にとって対ハマス作戦を練り直す、さらなる地上侵攻のための準備期間でもあった。イスラエル軍は戦闘再開後、ガザ南部のハーンユニスに兵を進めた。ガザ5地区のうち北から4地区まで侵攻したことになる。イスラエル軍はハーンユニスにハマス幹部が潜伏していると見て狙いを定め、空爆と地上侵攻を続けている。

ハマス・イスラエル紛争がもたらす人道的惨禍に、米国も、欧州も、世論を引き裂かれている。大統領選挙を控えた米国ではバイデン政権の支持率が就任以来、最低水準に落ち込んでいる。2015年、シリア内戦に端を発する難民危機によって欧州や英国で移民排斥を掲げる極右政党とポピュリズムが台頭したように、ふたたびヨーロッパの域内に亀裂が生じている。ドイツのショルツ政権は親イスラエルを貫いているが、ドイツ国内では反ユダヤ感情が高まりつつある。

「天井のない監獄」ガザとイスラエルをめぐる人道的惨禍は、中東をはるかに超え、欧米諸国の国内に新たな断層線を引きつつある。

人間の尊厳

分断が広がるいま注目されるべきは、岸田総理が2023年9月の国連総会一般討論演説で訴えた「人間の尊厳」である。岸田総理は世界の指導者たちへ次のように呼びかけた。「我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち、人間の尊厳が守られる世界、なのです。」

いまだハマスに拉致されている130名超の人質、そして、対ハマス作戦により住居を破壊され、命の危険にさらされている約200万人のガザの文民。いずれの人々の尊厳も等しく守られるべきである。

またイスラーム世界の人々にとって、ガザをめぐる人道的惨禍は日本の被爆と重なる。11月5日、マレーシアのアンワル首相は日マレーシア首脳会談後の記者会見で「ガザ地区は空爆によって広島に匹敵するような被害を受けている」と述べた。

戦闘が激化するハーンユニスには、日本の支援によって住宅や病院が建てられた「日本地区」と呼ばれる地域がある。日本に親しみを持つ地元の子供たちは毎年、東日本大震災で亡くなった方々への追悼と復興への願いを込め、凧揚げを行っていた。

ガザの子供たちが、再び世界に希望を見出すことはできるだろうか。またハマスに拉致された人質は、いつ家族と再会できるのだろうか。国際社会が分断を乗り越え、ガザをめぐる「人間の尊厳」を守るために行動できるかが問われている。

(Photo Credit: AFP / Aflo)

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相良 祥之 主任研究員
国連や外務省など経て現職。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。国連ではニューヨークとスーダンで勤務しアフガニスタンやコソヴォでも短期勤務。 2005年から2011年まで株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)にて事業開発を担当。 2012年から2013年まで国際協力機構(JICA)農村開発部にて農村・水産開発案件を担当。 2013年から2015年まで国際移住機関(IOM)スーダンにて選挙支援担当官を務めたのち、事務所長室にて新規プロジェクト開発やドナーリレーションを担当。ダルフールなど紛争影響地域における平和構築・人道支援案件の立ち上げや実施に携わる。 2015年から2018年まで国連事務局(NY本部)政務局 政策・調停部。ナイジェリア、イラク、アフガニスタン等における国連平和活動のベストプラクティス及び教訓の分析・検証、ナレッジマネジメントを担当。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)が展開するカブールでも短期勤務。 2018年から2020年まで外務省アジア大洋州局北東アジア第二課で、北朝鮮に関する外交政策に携わる。対北朝鮮制裁、サイバー、人権外交、人道支援、国連における北朝鮮政策など担当。 2020年からアジア・パシフィック・イニシアティブ主任研究員。日本のコロナ対応を検証した「新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)」で事務局を務め、『調査・検証報告書』では水際対策、国境管理(国際的な人の往来再開)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。2022年から地経学研究所 主任研究員を兼務。
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相良 祥之

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国連や外務省など経て現職。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。国連ではニューヨークとスーダンで勤務しアフガニスタンやコソヴォでも短期勤務。 2005年から2011年まで株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)にて事業開発を担当。 2012年から2013年まで国際協力機構(JICA)農村開発部にて農村・水産開発案件を担当。 2013年から2015年まで国際移住機関(IOM)スーダンにて選挙支援担当官を務めたのち、事務所長室にて新規プロジェクト開発やドナーリレーションを担当。ダルフールなど紛争影響地域における平和構築・人道支援案件の立ち上げや実施に携わる。 2015年から2018年まで国連事務局(NY本部)政務局 政策・調停部。ナイジェリア、イラク、アフガニスタン等における国連平和活動のベストプラクティス及び教訓の分析・検証、ナレッジマネジメントを担当。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)が展開するカブールでも短期勤務。 2018年から2020年まで外務省アジア大洋州局北東アジア第二課で、北朝鮮に関する外交政策に携わる。対北朝鮮制裁、サイバー、人権外交、人道支援、国連における北朝鮮政策など担当。 2020年からアジア・パシフィック・イニシアティブ主任研究員。日本のコロナ対応を検証した「新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)」で事務局を務め、『調査・検証報告書』では水際対策、国境管理(国際的な人の往来再開)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。2022年から地経学研究所 主任研究員を兼務。

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