第2章 米国 不信が事実に勝るとき

【執筆者:ディクソン 藤田 茉里奈(研究員補)】米国における偽情報の特徴は、以下の二つの連動した問題と捉えることができる。ひとつは偽情報や陰謀論に根ざした主張を信じる米国人が増えていることだ。ある憂慮すべき統計によれば、2023年の時点で、米国人の3分の1がドナルド・トランプ前大統領が2020年の選挙で「正当に勝利した」と信じ、さらに3分の1が「大交代理論」、つまりエリートたちが白人の「ネイティブ」米国人を不法移民に置き換える陰謀を企てているという信念を信じ、4人に1人がQアノン(QAnon)を信じているという[1][2]。もうひとつの問題は、米国の国内制度に対する国民の信頼が歴史的な低水準にあり、連邦政府が国民の最善の利益のために機能し運営する能力に対して、多くの米国人が懐疑的なことだ。

第2章では、このような国内政治的要因が、米国における偽情報の課題と、それに対抗するためのアプローチにどのような影響を与えているのか掘り下げる。米国の政府に対して信頼を持たない国民は、偽情報キャンペーンの理想的なターゲットとなる。国内外を問わず悪意のあるアクターは、ターゲットを悪用して民主主義制度や政府機関などに対する信頼をさらに損なわせ、社会の亀裂を利用する可能性がある。これは政治的な分極化を進め、不信の連鎖を永続化させ、民主主義規範の崩壊につながる。本章では、このような政治的・社会的環境を生み出した米国社会の特徴を明らかにした上で、この課題に対処するために、政府、テクノロジー企業、旧来メディアを巻き込んだ包括的アプローチが必要な理由を論じる。
Index 目次

第1節|米国における偽情報の黎明期

2024年の米国大統領選挙は異色のものとなった。現職2人の2度目の対決から始まったが、民主党全国大会の1カ月前に、バイデン大統領は現職のカマラ・ハリス副大統領にバトンを渡して選挙戦から身を引いた。バイデン氏が民主党候補を辞退した理由は、トランプ前大統領も直面している批判であり、「年を取りすぎている」という世論の声だ。バイデン候補撤退の発表は多くの有権者に衝撃を与えた。

大統領選の多くの側面は目新しいものではない。世界中の選挙は偽情報という課題に直面しているが、この問題は米国では何世紀も前から存在していた。

1796年の大統領選挙では、ジョージ・ワシントンが3期目を目指さないと表明した後、トーマス・ジェファーソンとジョン・アダムスが大統領の座をめぐり     対決した。アダムズの支持者はジェファーソンには「本質的な性格的欠陥」があるという噂を流し、ジェファーソン支持者はアダムズが自分の子どもを英国王室に嫁がせることで「合衆国王」になろうと企んでいると攻撃した[3]。どちらの話も客観的な真実に基づくものではなかったが、このような噂が流れた。選挙までの数年間、新聞の紙面は政治化された。当時の国内政治環境は、偽情報を広めるのにうってつけだった。

その後、米国は再び情報戦の課題に直面した。ソ連は積極的な情報操作、すなわち偽情報キャンペーンを数多く考案したが、そのうちのいくつかは、米国民の自国政府に対する信頼を傷つけるものだった。「デンバー作戦」として知られるあるキャンペーンは、米国がメリーランド州の基地で生物兵器としてHIV/エイズウイルスを開発したとするものだった[4]。1985年、KGBは海外での好感度を上げるために、シュタージと2人の引退した生物学者に、この主張を「科学的事実」に基づいて信じさせるための研究を発表するよう命じた。この研究を記したパンフレットは、1年後にジンバブエで開催された非同盟諸国首脳会議で配布され、参加国の地元ジャーナリストがこの話を取り上げた[5]。数年も経たないうちに、生物学者の主張をインタビューしたドキュメンタリー番組が英語で制作され、この話は英語圏にさらに広まった。当時、米国ではHIV/エイズがLGBTコミュニティに過度な影響を及ぼしており、偏見と無神経な政府の対応への不満が高まり、政府がウイルスを作り出したと考える者もいた。また、米国の黒人も過度な影響を受け、公衆衛生システムに対する不信感から、同様の陰謀説を信じるようになった[6]。このように、ソ連は米国における既存の不信感を利用し、米国政府のウイルス感染説を広めるのに絶好のタイミングを選んだのである[7]。シカゴ大学の調査によると、数十年たった今でも、10人に1人以上の米国人が、米国政府がウイルスを作り出し、少数民族に故意に感染させたと信じていた[8]

数10年前の冷戦時代には、こうしたソ連の支援を受けた積極的な対策が陰謀や情報戦の重要な部分を占めていたが、米国人の政府機関に対する不信感は消えていない。むしろ、公的機関に対する不信感はかつてないほど高まっており、今日の米国が偽情報と戦う能力を損なっている。

第2節|米国の文脈:不信、過去と現在

冷戦時代、米国民が政府に対して懐疑的になる理由がいくつかあった。マッカーシズムが左翼の言論の自由を弾圧し、その翌年にはベトナム戦争で米国がいかに「勝利」していたかという嘘がまかり通り、ニクソン政権の政治スキャンダルが起こった。ピュー・リサーチ・センターが1953年からの世論調査データを集計したところによれば、未だに米国人の政府不信は年々強まっている。

2023年の調査では、政府を信頼する米国人は20%以下だった[9]。この数字はここ10年安定しているが、米国の政治が激動していた冷戦時代と比べると、目を見張る統計である。たとえばウォーターゲート事件があった時代には、「正しいことをする」政府への信頼は36%だった。一方、行政府(大統領)に対する信頼度は、2022年の49%から2023年には59%の米国人が「あまり、あるいは全く信頼していない」[10]。最後に米国人の過半数が政府全体を信頼したのは2001年だった[11]。政府に対する国民の信頼の欠如は、公共性の高いメッセージを米国人に届ける能力に影響を与えるだけでなく、国内外を問わず悪意のある行為者が悪用できる環境を作り出している。

序章では、規制のないメディア環境、政府への不信、政治的偏向の持続が全て併存していることが、情報操作に対応する課題を悪化させ、対応をより複雑にしていると説明した。米国の場合、ハンガリーのように政府が直接メディアを統制しているわけではないが、それでも旧来メディアは視聴者から不信感を持たれている。そのため、信頼性の低い情報源や規制のないプラットフォームが視聴回数を競い、偽情報が拡散しやすい環境を作り出しかねない。信頼できる情報が不足し、その代わりに偽情報が広まることで、米国人の政府に対する信頼はさらに損なわれ、偽情報に対抗する政府の努力は、それ自体が信頼に値しないとみなされる。このような環境の中、米国の自由民主主義指数は低下し続けた。

外国からの干渉は、2016年の大統領選挙に深刻な影響を与えた。同年、米国大統領選挙について投稿した3万以上のツイッターアカウントが、ロシアのインターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)によって運営されていることが判明した[12]。冷戦時代の彼らの戦略とは異なり、クレムリンはメディアを利用して敵対する国民の中に混乱、混沌、不信感を生じさせ、同時に主張の出所を隠そうとした。ロシアは、外国人ジャーナリストや第三国を使った印刷物を通じてプロパガンダを広める代わりに、同じ効果を得るためにソーシャルメディアを頼った[13]。この一件は米国政府にとって、2016年以降の選挙における外国からの干渉を監視するための警鐘となった。国外アクターによる米国報道機関への影響力行使の試みは続いていたが、4年後の2020年、偽情報の多くは米国内部からもたらされるようになっていく。

2020年、トランプ大統領は再選されなかった。2016年に初当選して以来、米国にはトランプと共和党に不利な不正投票問題があると主張することで、トランプ大統領は仮に選挙に負けたとしても、それは票が足りないからではなく、不正投票のせいだという物語を支持者の間で常態化させることができた。トランプは、投票制度は意図的に自分に不利なものだと主張した[14]。彼が2020年に敗れた際、支持者たちはすでに選挙で不正が行われたと信じ込んでおり、「違法な敗北」という物語を自発的に広める準備ができていた。同じ物語のパターンが2024年の選挙でも見られる。「参加型偽情報」という新たな造語で呼ばれる、あらかじめ共謀していない行為者が虚偽の情報を一斉に広める形態は、米国に敵対的な国家が後援する悪意のある行為者とは異なり、トランプのような政治家に有利な虚偽の主張を広める無自覚な参加者の登場を描写している[15]

混乱と混沌に拍車をかけるように、「ターニング・ポイントUSA」のようなトランプを支援する組織は、2020年の選挙キャンペーンを支援するためにソーシャルメディア上で協調的なメッセージングを行い、対立候補に関する陰謀論を一斉に広めた[16]。何千もの偽アカウントを通じて、ターニング・ポイントUSAは自分たちをリベラルな有権者として見せかけ、他の民主党議員にバイデンよりも「進歩的」である可能性のある候補に投票するよう(それによってトランプを勝たせるよう)標的を定めた。同組織のアカウントは、常にトランプに投票するよう有権者に直接呼びかけていたわけではなく、むしろバイデンに投票しないよう、民主党寄りの有権者層を分断し混乱に陥れるよう活動していた。個人や組織は、自分たちの支持する候補者に有利な偽情報を広めるために、故意にせよ無意識にせよ、有権者の不信を利用し利益を得ることができる。

第3節|ニュースルームの課題

政府への不信に加え、米国はもうひとつの課題、ニュースやメディアに対する国民の不信に直面している。ギャラップ社の世論調査(2022年)によると、米国人の半数が国内ニュース、特にオンラインで購読しているニュースを信用していないと答えている。また回答者の50%が、報道機関は国民を「誤解させ、誤った情報を与え、(特定の方向性に)説得する意図がある」と答えた[17]。党派別に見ると、共和党員の86%が「ニュースを信用していない」と答えているが、民主党員では29%に過ぎない。しかし、自分の好きな報道機関を信頼しているかどうかを尋ねると、共和党員と民主党員の間に大きな差は見られない。フォックス・ニュースを見る共和党員は、NPRやMSNBCを見る民主党員と同じくらいフォックス・ニュースを信頼している[18]。しかし、陰謀論を信じるかどうかを同じ回答者に尋ねると、リベラル派に比べ、2倍以上の保守派が陰謀論を信じると答えた。タッカー・カールソン(元Fox News)やスティーブ・バノン(元Breitbart)のような著名な保守派ニュースキャスターやコメンテーターが、誤った情報を作り、広めているが、絶大な人気を誇っている。

米国における偽情報の問題がリベラル派よりも保守派の問題であることは明らかだ[19]。トランプ自身、大統領就任期間中、経済、COVID-19治療、外国高官との会談に関する主張など、共和党支持層に対して虚偽や誤解を招きかねない主張を繰り返していた。ワシントン・ポスト紙がトランプ在任中のこうした主張をすべて集計したところ、トランプは1日平均20.9件の嘘や部分的な嘘をついたと報じている[20]。これらの主張の一部が、彼の支持者やこれらの主張を繰り返す保守的な報道機関の間で、偽情報の拡散や信奉につながったとしても不思議ではない。

図1:ニュースソースへの信頼 VS 陰謀論への信仰

(出典:YouGovデータをもとに筆者作成)

 

その一方で、ジャーナリストは偽情報、特にデマや陰謀論の出所について、慎重に報道しなければならない。外国の偽情報が米国内で拡散しているように見えても、それが国内から発信された可能性もある。例えば、共和党議員のマージョリー・テイラー・グリーンは、ウクライナ大統領が援助金で個人的な買い物をしているというロシアの報道機関の記事を引用し、2023年秋にウクライナに追加援助を送ることに反対した。グリーンが 「クレムリンの話術 」を喧伝しているように見えたとしても、この主張は1年以上前に上院議員のJDバンス(現、副大統領候補)が主張したものだ。ロシアのメディアは、彼の発言を単に増幅しただけである。根拠のない、あるいは誤解を招くような主張には十分な精査が必要だが、外国の悪意あるアクターの影響力を増幅させないためには、偽情報の出所を突き止めることも重要だ。偽情報の研究者は、外国の影響力キャンペーンが増幅されると、特に報道機関が加担してしまうと、工作員を助けることになると同時に、国内では「陰謀論が助長され」公共言論に対する信頼がさらに損なわれると主張している[21]

第4節|拡散者と消費者を通じた偽情報の管理

政府不信の根強さや偽情報の存在は今に始まったことではないが、現在のメディア環境やニュース・情報のデジタル化の進展は、偽情報が国民の信頼に与える影響を倍増させている。偽情報の問題をさらに悪化させる課題が山積する中、米国はどのように偽情報の拡散と影響の拡大に対処すればよいのだろうか。

教育

偽情報の影響を抑えることができる一つの側面は、消費である。現在、米国人のメディア・リテラシーのスコアは、他の国々と比べて相対的に低い[22]。フィンランドは、米国より高い点数を取りながらも外国の干渉や偽情報の犠牲になっている貴重な例である。米国同様、フィンランドもロシアの偽情報キャンペーンの標的にされた過去があるが、米国とは異なり、OECD加盟国の中でメディア・リテラシーが最も高い。フィンランドでは公立学校でメディア・リテラシーが義務付けられており、生徒は就学前からメディア・リテラシーを学び、早い段階で虚構と事実を読み解く方法を学ぶ。フィンランドの生徒たちは、作文の授業から保健の授業まで、さまざまな教科にわたってニュースやメディアで遭遇する可能性のある問題について話し合っている[23]。フィンランド人はまた、政府(61%)やニュース(69%)に対して高い信頼を抱いており、政府の透明性が高く、悪意のある人物が悪用しにくい状況になっていると感じている[24]

一方、米国では50州中3州でしか幼稚園から高校までのメディア・リテラシー教育がない。[25]公立学校でメディア・リテラシーをもっと重視すれば、米国人は情報摂取をよりよく読み解くことができるだろう。そのためには、公教育費の増額と、全国的なカリキュラムの非政治化が必要だが、米国はこの2つの問題に取り組むのに苦労している。

政府

偽情報を抑制するための法整備が必要だが、米国政府は難しい局面に立たされている。政治学者フリーデル・ワイナートの “The Role of Trust in Political Systems. A Philosophical Perspective” によれば、民主主義社会が適切に機能し、情報であれ資源であれ、国民に期待されるサービスを提供するためには、制度に対する信頼が不可欠な条件である[26]。米国には既存の不信感があるため、政府による偽情報対応の努力は、国民全体に対する情報統制と見なされ警戒される。例えば、国土安全保障省は2022年4月、国家の安全保障を脅かす「デマに取り組む」ためにデジタル・ガバナンス委員会を設立した[27]。この委員会はわずか3週間後に一時停止され、すぐに解散した。批評家たちは、この委員会は党派的であり、その目的が公式の「真実」を強制することであれば、言論の自由に対する憲法修正第1条の権利を損なう恐れがあると主張した。

政府によって任命された機関が、何が真実かそうでないかを判断して国民に伝えることは、このように偏向した政治環境では長続きしないだろう。特定の主張に焦点を当てることなく、国民が知っておくべき偽情報の具体的な手法や属性を伝える公共サービスに政府が取り組む方が効果的だろう。連邦政府よりも信頼される傾向にある州政府や地方自治体は、メディアで目にする誤報や根拠のない主張を見抜く方法に関する情報を提供することで、政治的党派性に関係なく有権者を助けることができるだろう。制度に対する信頼は、民主主義社会が適切に機能するために不可欠な条件である。

選挙期間中の取り組みに特化して、連邦選挙委員会(FEC)は、政治広告におけるAIの使用にガードレール規制を設けるため、AIに関する新たな規則の制定に取り組んでいる。現在、政治広告におけるディープ・フェイク(深いフェイク、偽物であることを見破りにくいフェイク)を規制する法律があるのは5つの州に限定され、候補者が使用できる広告を規定する連邦法を根本的に変える可能性があることを意味する。FECは、2024年夏に選挙キャンペーン真っ盛りの新ガイドラインを発表する意向を示したが、9月10日に、年内に新たな規制を制定しないことを明らかにした[28]

最後に、政府はネット上での共謀的な不正行為(CIB: Coordinated Inauthentic Behavior)を通じて選挙に影響を与えようとする候補者隣接組織に対する抑止メカニズムを確立すべきである。特に非営利団体は、特定の候補者を支援するために組織のリソースを使用している場合、厳しく監視されるべきである。501(c)団体のステータスは、直接的な選挙運動だけでなく、ターニングポイントUSAが行ったような共謀的な間接的選挙運動も制限するように改正されるべきである[29]

報道機関とメディア

ニュースや情報の発信者として、伝統的な報道機関やメディア組織は、偽情報と戦う大きな責任を負っている。主要な報道機関の中には、すでにファクトチェックの仕組みを開発し、AIが生成したディープ・フェイクを調査するためのリソースを構築しているところもある。

CBSニュースは「CBS News Confirmed」を立ち上げ、誤報や真偽不明の画像や動画を調査している。FOXニュースは今年初め、FOXの情報源と称する画像や記事が本物かどうかを消費者が検証できるオープンソースのツール「Verify」を立ち上げた。多くの地方テレビ局、新聞、雑誌を所有する複合企業ハースト・コミュニケーションズは、FactCheck.orgと提携し、全米の地方局向けに誤報と戦うセグメントを制作している。米国のローカルニュースは、全国ニュースよりも信頼される傾向があるため、誤報や偽情報を論破する上で特に重要な役割を果たす。例えば、米国人は投票情報に関して、全国ニュースよりもローカルニュースを2倍信頼する傾向がある[30]

信頼された組織はまた、真実でない主張を論破するために介入することができ、これは特に危機的状況において有用である。例えばハリケーン・カトリーナの後、多くの誤情報が広まったため、米国赤十字社はメディア・スペシャリストを雇い、オンライン・フォーラムで事実に基づいた有益な情報を提供し、フォーラム・ユーザーと直接関わり、誤情報がさらに広まる前に「火」を消した[31]。さらに、米国の報道機関では、関連記事の中にオリジナル・ソースの記事へのリンクを埋め込むことが一般的になっている。これは、読者が記事の出典を知り、事実確認や論拠の確認の努力を助ける。

適時で信頼性の高いファクトチェックは、特に政治キャンペーンに関連する偽情報の拡散を阻止する上で極めて重要になっている。2024年大統領選挙では、AIが生成した政治家候補者のビデオや音声クリップがすでに広まっている。1月のニューハンプシャー州予備選の前には、有権者のもとにジョー・バイデンになりすました何千ものロボコールが届き、予備選には投票せず、「投票は11月まで取っておくように 」と促した。音声検出会社Pindrop Inc.の調査により、その音声技術がEleven Labsの音声ジェネレーターによるものであることを特定することができ、記者たちはわずか数日後、その電話番号がテキサスに拠点を置く会社であることを突き止めることができた[32]。FCCは数百万ドルの罰金を容疑者に科し、犯罪の重大性を示した[33]。AIに加え、悪意ある行為者は候補者の声や画像を変えるため、洗練されていないソフトウェアを使った「安っぽい偽物」にも手を染めている。ハリス候補は民主党のトップ当選者となって以来、こうしたチープ・フェイクの標的となっている。

真偽不明の主張やビデオクリップが本物であると有権者が信じることが危険であるのと同様に、その逆もまた危険である。AIが作ったコンテンツがいかに信憑性が高いかによって、視聴者が目にする情報は決して信用できないと考えるようになれば、正確で信頼できる情報を得るための情報源が減ってしまう。これは一種の「情報ニヒリズム」につながり、人々は何が真実で何が嘘なのかを区別できなくなり、どんなニュースも信じることを完全に諦めてしまう。これは、メディア機関への不信を悪化させるだけでなく、国民の関心を失わせ、国の機関と国民との間に距離を生じさせることにもなりかねない。そのため、ジャーナリストやニュース会社は、真偽不明のコンテンツを生み出す新しいテクノロジーに対応し、偽情報を迅速かつ確実に否定する重要な役割を担っている。

ハイテク大手

情報発信の面では、民間企業、すなわちテクノロジー企業が、偽情報に対抗したり、偽情報を除去したりするための政策を制定する上で柔軟性がある。米国の議員たちからの監視の目が厳しくなる中、検索エンジンやソーシャルメディア企業は、AIが生成したコンテンツだけでなく、偽情報を検知し管理するための新しい方法を採用しつつある。

例えばTikTokは、AIで作られたコンテンツに「偽」ラベルを付け、AI生成であることを視聴者に明示することをユーザーに要求する。YouTubeは自社プラットフォームでの政治広告におけるAIの使用を禁止している。グーグルは2024年7月から、政治広告主が選挙広告に「合成またはデジタル的に改変されたコンテンツ」を含むと表示するたびに、開示情報を生成するようになった[34]。このようなルールは一定の進歩を示しているが、実施するのは難しく、各社で対応が統一されているわけではない。Xは「著しく欺瞞的に改変されたもの」でない限り、ほとんどのコンテンツが許可されるとしており、AIの使用に関して同業他社の中で最も縛りの少ない方針をとっている[35]。一方、メタ社 (Meta) は2024年の選挙に向けて、選挙キャンペーン開始の10日前から政治的な広告を禁止し、加工された動画や画像は事実確認の対象とするという新たな方針を打ち出したが、自社の監視委員会でさえ、この方針は不十分だと述べている。テクノロジー企業が大規模な一時解雇を繰り返していることで、さらなる懸念が高まっている。昨年だけで、Xは信頼と安全に携わるエンジニアの80%と、コンテンツモデレーターの半数以上を解雇した。このことは、プラットフォーム上の偽情報を管理することが、彼らにとって最優先事項ではないことを示唆している。対応強化を期待するならば、政府は彼らにインセンティブを与えるべきだ。

法的には、通信品位法230条により、テクノロジー企業は、第三者によって投稿されたコンテンツに対して責任を問われることはない[36]。つまりソーシャルメディア・プラットフォームがオンライン・コンテンツの発行者として扱われないことを意味する。この法律が制定されたのは1996年であり、現代のようなハイテク大手が台頭する前であることを考えると、何らかの改正がなされるべきだろう。英国などは、オンライン安全法(2023年)を通じて、企業がそのコンテンツに責任を負うための措置を講じているが、これらの法律は、利用者個人のプライバシーや市民的自由を損なうようなエンドツーエンド暗号化(E2EE)プロセスを対象とすべきではない。むしろ、米国では雑誌や新聞が意図的に虚偽の情報を提供した場合、訴えられる可能性があること、さらに米国人の半数以上がソーシャルメディアでニュースを得ていることを考えれば、同様の法律がメタ社やX社のような企業にも適用される可能性がある[37]

テクノロジー企業が依存するウェブホストやコンテンツ配信ネットワーク(アマゾンのApp Storeやアマゾンのウェブサービスなど)に対する規制をさらに強化すれば、プラットフォームが誤情報の共有や拡散をより積極的にコントロールする動機付けになるだろう[38]。フェイクコンテンツの作成に利用できる技術を持つAI企業も、バイデン・ニューハンプシャーのロボコールのようなクリップの利用が広がらないよう、より厳しい規制が導入されるべきだ。2024年2月に開催されたミュンヘン安全保障会議において、主要テクノロジー企業がAIに関して「合理的な予防措置」をとる合意に署名したことは、象徴的な一歩ではあるが、このようなコミットメントがより大きな影響力を持つためには拘束力を与える必要がある[39]

企業はまた、偽情報に対抗するツールの開発にもっと積極的になることもできる。Anthropicは最近、Google検索よりも包括的な偏りのない選挙情報を有権者に提供するツール「Prompt Shield」を発表した。プロンプト・シールドは、AnthropicのチャットボットであるClaudeの付属ツールとして機能し、投票情報を掲載した超党派のウェブサイトへユーザーを誘導する。[40]Claude、ChatGPT-4、Geminiを含む既存のチャットボットの多くは、リアルタイムの情報を提供できず、「幻覚」を促し、真実ではない情報をでっち上げてしまうため、このツールは、単に権威あるソースにリダイレクトすることで、この問題を回避する。偽情報生成のサプライチェーンにおいて、テクノロジー企業には、自社のツールが悪意あるアクターに悪用されるのを防ぐだけでなく、ファクトチェックをサポートし偽情報を検出するツールを開発する社会的な責任があると感じさせるべきだ。

結論

この章で見てきたように、米国における偽情報問題の消費側も拡散側も、双方が困難な課題に直面している。この問題に取り組むには、公共部門と民間部門の両方の利害関係者を巻き込んだ多方面からのアプローチが必要である。偽情報をなくすことはできないが、健全な民主主義のもとで、適切な政策によって管理することはできる。重要な選挙の年にこの問題に立ち向かう米国のアプローチは、自国の将来にとってだけでなく、今後数年間の情報操作との世界的な戦いにおいても重要な意味を持つだろう。

脚注

(Photo Credit: smartboy10 / Getty Images)

偽情報と民主主義 連動する危機と罠:目次

序章:偽情報と民主主義

偽情報の定義と目的 / 民主主義の後退 / なぜ偽情報を気にしなければならないのか / 偽情報のイネイブラー / 報告書の構成

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第1章 ハンガリー: メディアへの影響力強化と偽情報

買収によるメディアへの影響力強化 / メディアを通じた偽情報とその影響 / ロシア・ウクライナ戦争 / 偽情報がもたらす悪影響

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第2章 米国:不信が事実に勝るとき

米国の偽情報の黎明期 / 米国の文脈:不信、過去と現在 / ニュースルームへの課題 / 拡散者と消費者を通じた偽情報の管理

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第3章 英国:『エンゲージメントの罠』と偽情報

出遅れた偽情報対策 / エンゲージメントの罠 / 民主主義に降りかかる新たな脅威 / 対偽情報戦略

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終章:日本における偽情報と提言

選挙における偽情報とその対応 / 災害・有事における偽情報 / 政策提言

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おことわり:報告書に記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことを御留意ください。記事の無断転載・複製はお断りいたします。

ディクソン 藤田 茉里奈 研究員補
米国ベイツ大学政治学部卒、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院(SAIS)修了。ベイツ大学卒業後、米国のコンサルティング会社でシニアコンサルタントとして勤務した後、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所にて政策研究員として日米関係、アジア地域協力の研究活動に従事。SAIS修了後、韓米経済研究所(Korea Economic Institute of America)でインターンとして、日韓関係、米韓関係、韓国政治を研究。2021年10月よりAPI勤務。
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ディクソン 藤田 茉里奈

研究員補

米国ベイツ大学政治学部卒、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院(SAIS)修了。ベイツ大学卒業後、米国のコンサルティング会社でシニアコンサルタントとして勤務した後、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所にて政策研究員として日米関係、アジア地域協力の研究活動に従事。SAIS修了後、韓米経済研究所(Korea Economic Institute of America)でインターンとして、日韓関係、米韓関係、韓国政治を研究。2021年10月よりAPI勤務。

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