終章 日本における偽情報と提言

本報告書では、偽情報の拡散と民主主義の後退の危機を問題意識とし、民主主義の後退が指摘されるハンガリー、後退の危機に瀕している米国、そして危機から脱出しつつあるイギリスの3か国を分析した。メディアや偽情報に対する規制環境、政府やメディアといった制度・組織への不信、そして国内の分極化という、偽情報の拡散と民主主義の機能低下をもたらす3つの重なり合った要因を横串として各国の事例を掘り下げた。
Index 目次

第1章では、過去10年で最も民主主義の後退が進んだ国の一つとされるハンガリーを分析した。ハンガリーのオルバーン政権は、国営メディアや保守系メディア、そして独立系メディアへの影響力強化を、法律改正やオーナーの買収を通じて、統制・監視の強化を段階的に進めているという指摘がなされていることを紹介した。また、ロシア発の偽情報とハンガリー発の偽情報および陰謀論が、政権幹部および政府の支配下に置かれたメディアから発信・拡散されるという、ハンガリーに特有の偽情報の「輸入」と「輸出」双方の現象を、経緯をまとめつつ定量分析も用いながら示した。

続いて第2章では、米国の偽情報と民主主義についての分析を行った。米国における偽情報の流布は長い歴史を持ち、18世紀にまで遡ることができ、現在至るまで国内外から様々な偽情報の流入・拡散があった。米国ではメディアや政府に対する国民の不信感が根強く、年々強まっている。こうした懐疑的な国民は偽情報のキャンペーンにとって理想的なターゲットであり、国内外の悪意あるアクターはこうした国民をターゲットに偽情報を拡散している。米国において、偽情報はメディアや政府への信頼をさらに低下させ、偽情報に対抗しようとする機関・団体や個人の努力自体が信頼に値しないと国民に見られる状況を生み出している。

第3章で分析を行った英国も、米国と同様に国内外からの偽情報に悩まされてきた。しかし、英国はハンガリーや米国と異なり、政治的分極化(国民の間での政治的対立)の度合いが比較的低く、強力で客観性の高いメディアを持っている。これらの要素は偽情報への強靭性を高めているが、EU離脱やスコットランド独立をめぐる国民投票・住民投票は、そうした国においても偽情報対策が依然として難しいものであることを浮き彫りにした。事実を歪曲するとともに感情に訴え、受け手のエンゲージメントを最大限に引き出すことで、偽情報を拡散しようとする者にとって有益なナラティブを構築するという戦略、つまり「エンゲージメントの罠」戦略を通じた偽情報の拡散は、民主主義が強靭なものであったとしても、対応次第ではかえって偽情報が拡散しかねない状況を生み出す。

以上3つの事例をまとめると、多くの国々が民主主義の後退を経験する中で、欧米諸国が偽情報に対抗するためには、①それぞれの国においてメディアの支配強化や政府の規制の欠如といった偽情報の蔓延が加速しやすい環境がどの程度醸成されているのか、そして、②選挙などの「平時」における偽情報と難民や戦争などの「有事」における偽情報のそれぞれがどのように発信・拡散されているかを把握することが重要である。偽情報の拡散過程においては、③前述の「エンゲージメントの罠」にはまっていないかどうかが大きな着目点となる。また、偽情報が大規模に拡散されている場合には、④民主主義の基盤となる選挙、立法、司法、メディアといった制度・組織への不信や国民の間での政治的対立の激化が偽情報を通じてどの程度進んでいるのか分析することも必要といえよう。

終章では、上記の4つ(とりわけ最初の3つ)の視点から、日本の偽情報の現状を概観し、平時(選挙)と有事(災害)における偽情報と日本政府やメディアの取り組みについての議論を振り返る。最後に、日本の偽情報の現状と第1章から3章までの議論を踏まえたうえで、日本において偽情報に対抗するための潜在的な政策提言を示すこととする。

第1節|日本の選挙と災害における偽情報の現状と対策

「多くの偽情報が見られるものの、偽情報を通じた政治工作はこれまである程度抑制されてきた。」[1]

「日本は、欧米諸国と比較し、海外からのディスインフォメーション・キャンペーンが国内で深刻な影響を及ぼした経験に乏しい。」[2]

「これまで外国勢力が日本の選挙にデジタル空間を通じて大規模な干渉を行ったこと、組織的なディスインフォメーションを展開した事実は確認できない。」[3]

日本の偽情報に注目してきた研究者は、上記のように現状を評している。表現の差こそあれ、現時点での外国からの偽情報の規模や影響力は比較的小さいという点において一致している。

ハンガリー、米国、英国と同様に偽情報拡散のリスクは存在する一方で、偽情報の影響力が比較的弱いのはなぜなのか。その理由の一つとしては、日本におけるマスメディアへの信頼性が比較的高いことに加えて、政党間の政策の差も小さいことがあげられる。スマートニュース メディア研究所の調査によると、日本のリベラル派でメディアを信頼している割合は67%、保守派は69%、その中間に属する人々の間での割合は70%となっており、信頼度にほぼ差が見られない[4]。また、民主主義が比較的安定していることも重要な要素の一つであろう。市民参画などにおいて課題はあるものの、アジアの中で最も安定性の高い民主主義国だと評する指標もある[5]

しかし、これらは国内からの偽情報の流布が日本にないことを意味はしておらず、外国からの干渉(もしくは干渉の疑い)が全くないことも意味しない。また、偽情報が今後広まるリスクも存在している。第一に、マスメディアへの信頼性が比較的高い日本ではあるが、世代別にマスメディアを信頼する割合を見るとその割合が徐々に下がってきている。前述のスマートニュース メディア研究所の調査では、高齢層(60歳以上)が81%、中年層(40歳~59歳)が71%、若年層(39歳以下)が56%と年齢が下がるごとに信頼度も下がっている。第二に、日本特有のリスクとして、政治に関するニュースが民放テレビを通じて娯楽として消費されていることがあげられる。このことは「報道機関による調査報道も個人ブログのニュース解説も同列に見ている可能性」を示しており[6]、偽情報に晒されて情報の真偽を確認することなく拡散してしまうリスクを内包していると言える。

第1章「ハンガリー」や第2章「米国」が示すように、選挙においては偽情報や誤情報が広がりやすい。実際、日本においても、2018年に行われた沖縄知事選において特定の候補を狙った偽情報や誤情報が特に多く発信、拡散されている。序章で論じたとおり、こうした偽情報の拡散は選挙の正統性を低下させることに繋がりかねず、選挙戦を通じて偽情報が発信され拡散されていることは日本においても懸念すべき問題である。また、日本は地震や台風による被害を受けやすい「災害大国」であり、災害に際した偽・誤情報の歴史は古くから確認されているが、近年では災害発生・対応において偽情報を通じた外国からの情報作戦とも捉えられる事例が徐々に散見されるようになっている。以下、2018年に実施された沖縄知事選挙や災害発生・対応における偽情報・誤情報と日本政府およびメディアの対策を概観する。なお、日本政府国家としての偽情報対策は現在各種検討会で議論がなされている段階であり、第1章から第3章で論じた参加国とは異なり政府としての平時の偽情報対策を分析することが難しいため、平時の取り組みについては地方自治体レベルの事例を取り上げることとする。

第2節|平時における偽情報とその対応:沖縄知事選挙2018を例に

沖縄県知事選は4年に1回開催されている(次回選挙は2026年)。2018年の沖縄県知事選挙は、翁長雄志知事が急逝したことを受けて当初の予定よりも前倒しで実施された選挙であり、偽情報が多く出回った選挙でもあった。

この選挙においては、普天間飛行場の名護市辺野古への基地移設に反対し、翁長雄志知事の支持母体であった「オール沖縄」が支援する玉城デニー候補(自由党幹事長)がややリードしていたものの、自民・公明・維新が支援する佐喜真淳候補(元宜野湾市長)が激しく追う展開となっていた。また、態度を未定としている割合も3割程度に上っており、両陣営による接戦が繰り広げられていた[7]

こうした中で虚偽の世論調査が出回った。代表的な例は朝日新聞を装った「世論調査」である。この「世論調査」では、「一方の候補の支持率を52%、対立候補を26%の支持に留まる」といった旨の結果が示されたとされたが、朝日新聞は「これは事実無根だ。弊社の数字ではない。そもそも調査も何もしていない」と当該調査の存在を否定している。国民民主党を装った偽の世論調査も出回り、ここでは「ある立候補予定者がもう一方を13ポイントリード」とされたが、この「世論調査」についても「調査をやったという話は確認できない。承知していない」と国民民主党によって否定された、実在しない調査であった[8]

本報告書で分析した米国(第2章)や英国(第3章)のメディアと比べて、日本の大手メディアの記事には記事内に元ソースのリンクがないことが多い(元ソースへのリンクがない傾向は権威主義的国家のメディアにもみられる)。日本では「正しいかどうかわからない情報」や「信じないような情報」について情報の真偽を調べた割合が、米国(50%)や英国(38.2%)と比べて少なくなっており(26.1%)、そもそも元ソースを探しにいかない傾向にあるが[9]、元ソースへのアクセスのしにくさは情報の正確性の判断をさらに難しくしている可能性がある。

また、特定の候補を陥れるようなサイトも立ち上がった。その一つが「沖縄県知事選挙2018.com」である。「沖縄県知事選挙2018.com」は知事選挙の公式サイトのようにも思える名称を名乗り、一時期は検索上位に躍り出るとともにSNSを通じて拡散された。しかし、過去の選挙の結果をまとめたページを除いて、実際には「ウソも暴力もいとわない過激な反日左翼勢力」「玉城デニーさん、早くも選挙違反開始」などと、玉城候補に関する誹謗中傷を伴う内容がほとんどであった[10](図 1からは玉城候補に関する言及が多いことがわかる)。ブログサイトには「玉城デニー氏と豪華別荘の関係!」といった偽情報も含まれていた[11]

「沖縄県知事選挙2018.com」の発信源については、ドメイン情報に記載されていた東京都の住所をもとに琉球新報の記者が特定を試みたものの、ドメイン管理者との接触はできずに終わっている[12]。一方で「広告バナー」は見当たらず、「沖縄基地問題.com」という別のサイトも同一人物が保有していたと報じられた[13]。これらを踏まえると、経済的な意図(「インプレッションゾンビ」=多くのインプレッションを獲得し収入につなげる)からの偽情報発信であった可能性は低く、何かしらの政治的な意図があって根拠のない情報や偽情報を発信していた可能性が考えられる。

「沖縄県知事選挙2018.com」や「沖縄基地問題.com」に対しては、地方メディアが積極的に対抗策を講じた[14]。琉球新報、沖縄タイムズといった地方メディアが知事選における偽情報に関する特集を組み、ファクトチェックを行うとともに、(「沖縄県知事選挙2018.com」を含めて)偽情報の発信源にも迫ろうと試みた[15]。「沖縄県知事選挙2018.com」および「沖縄基地問題.com」のドメイン管理者の特定の試みはその一例である。

沖縄県知事選においては、こうしたファクトチェックの費用対効果の悪さや労力の負担といった課題もみえた。例えば、沖縄タイムズにて収集された65件の不確実な情報のうち、紙面化したニュースの数は2件であり、ジャーナリズム論を専門とする藤代(2019)の取材に対してある記者は「労力がかかる」「普通に記事を書くよりも大変で、費用対効果が悪い」と述べている[16]。地方紙による対応の限界が露呈した形である。総務省の検討会においては「発信情報の信頼性を得るためのコスト増への対応の在り方」がデジタル空間における情報流通の健全性確保への課題として指摘されている[17]。2018年の沖縄県知事選における偽情報対策はその一例であろう。

沖縄をはじめとする地政学上重要な位置にある地域[18]の偽情報は、その国の民主主義の基礎を揺るがす可能性がある。2018年の沖縄知事選挙の事例からは、米国(第2章)で紹介したHearst Communicationsと NGO「FactCheck.org」による地方メディアの偽情報対策協力のように、SNSプラットフォーム事業者とファクトチェック団体の間での協力のみならず[19]、地方メディア(もしくはその地域を扱っている主要メディアの支局)とNGO間でも、協力し合うことで十分なリソースを確保していくことの必要性が浮かび上がる。

表 1: Web Archiveにて確認できた「沖縄県知事選挙2018.com」の見出し一覧[20]

(出典:筆者作成)

図 1:「沖縄県知事選挙2018.com」見出し一覧(ワードクラウド)

(出典:筆者作成)

第3節|国内の災害・有事における偽情報:能登半島地震と2018年台風21号

日本は地震や台風による被害を受けやすい「災害大国」であり、災害時には 偽情報や誤情報が散見された。直近では、能登半島地震(2024年)において「外国人窃盗団が出現」などという偽情報の発信や拡散が見受けれられた[21]。こうした偽情報の発信源としては外国アカウントの存在も確認されている[22]。その目的としては、Twitter(現X)が「フォロワー数が500人以上」と「3ヶ月以内のインプレッション数が500万件以上」と条件を満たしたユーザーに対して、インプレッション数をベースとした収益を開始したことに伴い、インプレッションによる収益獲得を目的をしているという指摘もある[23]

近隣諸国において日本の災害に絡んだ偽情報が広がる事例も確認されている。代表例としては2018年の関西国際空港の孤立をめぐる偽情報が挙げられる[24]。2018年9月、台風21号に伴う気圧低下と暴風により、滑走路の関西国際空港が浸水し滑走路が封鎖された。また、タンカーが連絡橋へ衝突したことから、関西国際空港は一時、約8千人が孤立状態となった。この際に「中国の総領事館が用意したバスが関空に入り、優先的に中国人を救出した」との偽情報が中国および台湾で拡散した。この偽情報は、中国に対する賞賛と台湾に対する批判に繋がり、領事館に相当する台北駐大阪経済文化弁事処の代表であった蘇啓誠(そ けいせい)が自殺する事態となった。台湾メディアの対応が遅れ、台湾ファクトチェックセンターによる真偽の確認も15日まで時間を要したことから(日本のNGOが協力したのもこの時期である)、この偽情報は結果として野放しにされてしまったと報じられた[25]。情報の発信源は不明だが、台湾で情報が拡散される前に中国で情報が広まったこと、また関西国際空港に台風が襲った2018年10月は台湾統一地方選挙が11月に控えていた時期であったことから、中国からの情報作戦の一種であるとの指摘がなされている[26]。この事例をきっかけに、一時的な取り組みとして実施されていた台湾ファクトチェックセンターは常設化された[27]

表 2:関西国際空港の一次封鎖に伴う偽情報とファクトチェック

(出典:渡辺(2024)などをもとに筆者作成)

<コラム>琉球独立『居酒屋談議』に付け入る中国と処理水を巡る偽情報

    琉球独立論の歴史は長い。1879年3月27日に琉球藩が廃止され、沖縄県を置く琉球処分(琉球併合)が実行された際に独立運動が起きて以来、琉球独立論は時折取りざたされているが、こうした琉球独立論の多くは「独立すべきか?」「もし独立したら?」という話のネタとして消費されうる[29]「居酒屋談議」に留まっている。しかし、この居酒屋談議に中国が付け入り、琉球独立を切り口に日本国内の世論の分断を図るという情報工作がおこなわれていると指摘する論調が少なからず存在する。  情報工作は「情報を制御し、相手国の認識や判断を操作したり混乱させることで、自分たちに有利な状況を作り出す行動」と定義され、プロパガンダの拡散や敵の内部分裂を狙う統一戦線工作とともに、偽情報も情報工作の一つの手段として用いられる[30]

    たとえば、沖縄における中国の情報工作に関しては、公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」が、中国が琉球独立論を研究する団体や研究者との交流を進めており、琉球独立を擁護する論考も複数発表していることを指摘した[31]。ここで問題とされた論考は、2017年8月の環球時報による「琉球の帰属は未定、琉球を沖縄と呼んではならない」と題する社説である。しかし、このような沖縄の帰属を「未解決の問題である」とする論調は、「琉球問題を活性化し、公式見解の変更に道を開こう」論文(環球時報)[32]や「釣魚島は中国に返還、琉球と再交渉する時が来た」論文(人民日報)[33]など、尖閣問題による日中対立が先鋭化していた2013年頃にも見られている。公安調査庁は、こうした行動の背景には「沖縄で中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいる」と警鐘を鳴らす[34]

    こうした影響工作は近年も確認されている。2023年5月13日には中国軍元幹部が自民党との会合にて「琉球は元々中華圏だが、もし独立すると言ったらどう思う」と挑発し[35]、同月26日には中国社会科学院の楊伯江(日本研究所長)が、東京でのフォーラムにて「(沖縄の日本帰属を決めた)サンフランシスコ講和条約は見直されるべきだ」[36])と発言したとの報道がある。翌月の6月には習近平国家主席が就任後初めて琉球に関して言及し、中国と琉球との歴史的な交流の深さを指摘した[37]

    かつて2018年、米RAND研究所は『ソーシャルメディアにおける中国の偽情報工作』と題した報告書において、在日米軍基地に対する沖縄の人々の反感は中国による偽情報工作に対する「潜在的な脆弱性」を抱えていると指摘した[38]

    これまでの情報工作は中国に有利な情報の拡散や学術交流が主であったものの、近年では、中国による福島からの処理水放出をめぐる偽情報を代表例として、「日本が経験する初のSNSによる大規模な偽情報キャンペーン」も確認されている[39]

    IAEAを始め、科学者の間では海洋放出の影響は無視できるレベルであるという一致が概ねとれたことを受けて、2023年8月から東京電力は福島第一原発の処理水の海洋放出を行っている。これに対して、駐日中国大使館報道官による処理水問題についての立場を大使館ウェブサイトに掲載された[40]。中国大使館をはじめとするコメントについて、外務省は「ALPS処理水の海洋放出に関する中国政府コメントに対する中国側への回答」[41]という回答文を発表して「事実及び科学的根拠に基づかない」として反論した。具体的には以下のような偽情報が発信された(表3)。

    また、海洋放出をめぐっては「核汚染水を流した日本が、中国に輸出予定の2万匹の魚を台湾に転売した」「日本が国際原子力機関(IAEA)に献金した」「(処理水の)放射能濃度が基準を超えた」といった投稿もSNS上で広まった。例えばBBCは、中国国営メディアが英語やドイツ語といった国際言語に加えて、クメール語(カンボジア)といったアジア圏の言語も用いて、福島第一原発の処理水を危険なものであると主張するSNS広告を流布していたことを明らかにしている[42]。こうしたSNS上における偽情報に対しては、外務省が日本語・英語のSNSアカウントを通じて積極的な発信を行った。具体的には、#STOP風評被害や#LetTheScienceTalkというハッシュタグを用いて、トリチウム濃度に関する基準についてグラフや解説動画を用いて解説するとともに、測定結果の要点を箇条書きと画像を用いて簡潔にまとめるなどの発信を行った。加えて、#BeautyofFUKUSHIMAというハッシュタグを用いて、食をはじめた福島の魅力を伝える「これまであまり例がなかった」試みも実施している[43]

    第3章で紹介された通り、有志の集まりNAFOはミームや冗談などを使ってロシアからのウクライナに関する偽情報を嘲笑することで対抗しようとしてきた。#BeautyofFUKUSHIMAのようにネガティブな偽情報で占領されがちなSNS空間を、ポジティブな投稿で満たすことも1つのSNS時代の外交上の偽情報対策と言えるであろう。

    表 3:福島からの処理水放出をめぐる偽情報とファクトチェック

    (出典:各種資料に基づき著者作成)

提言

偽情報の対策に取り組む政府やメディアがそれぞれ何に留意し、どのような具体策をとるべきなのか。調査対象国が抱える事情は異なるものの、3か国の比較およびそれぞれの対象国の取り組みは、日本の政府やメディアの偽情報との向き合い方を考える上で示唆に富むものである。下記において、日本が偽情報に対抗するための潜在的な政策提言として、3か国の比較を通じた総論としての政策提言と各関係機関の取り組みについての分析を通じた個別の政策提言を行う。(括弧内には関連する章を記載した)

【総論】
1.選挙期間や政治的な危機は、悪意を持った国内外のアクターが偽情報を発信・拡散する格好の局面となる。こうした偽情報は民主主義の制度や規範を揺るがし得るものであることを認識する必要がある(第1章-第3章)。

第2章の米国大統領選挙と終章の日本の事例が示すように、選挙は外国政府からの干渉や国内の敵対的団体・人物からの偽情報の発信の格好の場となりうる。これは接戦を繰り広げている選挙戦に顕著であるが、国政選挙に限らず地方選挙においても起こりうることである。また、欧州難民危機やロシアによるウクライナ侵攻をはじめ(第1章)、地震や台風、災害など国内的な危機(終章)も偽情報の発信の格好の場となりうる。選挙や国際的な危機における偽情報は特定の政治家や政党を陥れるという政治的な悪意をもって発信・拡散される一方で、国内的危機における偽情報は政治的な意図を持つ場合と商業的な目的を持つ場合の双方が存在する。こうした偽情報は、いずれも民主主義の基盤となる選挙、立法、司法、メディアといった制度・組織への不信や、国民の間での政治的対立の激化をもたらす危険性をはらんでいる。

2.「エンゲージメントの罠」に陥らないために、ファクトチェックを通じた真偽の検証だけではなく、ミームや冗談、別の話題の提供をはじめとする、「エンゲージメントの罠」を逆手に取った偽情報への対抗策も検討し、より多面的な視点から偽情報の拡散に備えることが重要である(第3章)。

「エンゲージメントの罠」は、悪意を持った行為者が、事実を歪曲するとともに感情に訴え、受け手のエンゲージメントを最大限に引き出すことで、偽情報を拡散しようとする者にとって有益なナラティブを構築するという戦略と定義される。本報告書の第3章では、偽情報に対するファクトチェックは有効であるが、そうした分析が拡散されることで議論の的となり続けることでかえって偽情報の発信者の思惑にはまってしまう可能性も あることを指摘した。そのため、ファクトチェックや各種規制を前提としつつも、NAFOによる草の根での偽情報への対抗(第3章)や#BeautyofFUKUSHIMAキャンペーン(終章)の事例が示したように、ファクトの発信、ミームや冗談、別の話題の提供をはじめとする「エンゲージメントの罠」を逆手に取った偽情報への対抗策も同時に検討することが重要といえよう。

【政府:偽情報対策の体制と範囲】
3.外国メディアの報道を鵜呑みにせず、当該メディアの政治的・経済的立ち位置、そして独立の度合いを踏まえた情報の真偽を評価すべきである。各国の政治情勢を詳細に把握したうえで偽情報に対応するために、例えば、在外公館の政治分野での情報収集能力、情報分析能力の体制強化と分析結果の一部公開は偽情報対応として効果的な方法である(第1章)。

第1章のハンガリーの事例は、メディアが政府や政府の影響下に置かれているメディアを通じて偽情報を含んだ発信や拡散をおこなっている可能性があることを示している。とりわけ民主主義の後退が進む国家においては、かつては独立したメディアであったとしても、現在もその独立性を維持しているとは限らず、一見独立しているように見えても実態は異なるかもしれない。偽情報が多方面で流布される中、ハンガリーの事例はメディアの政治的・経済的背景や独立の度合いを確認することの重要性を示している。こうした現地の事情を踏まえる際に、例えば外国にある在外公館は極めて重要な役割を果たしうるのではないか。自民党の報告書でも指摘されているように[46]、在外公館の政治分野における情報収集能力、情報分析能力の体制拡充、そして分析結果の一部公開は、中長期的に各国の民主主義の現状と変遷、そして偽情報の拡散と流布に関する分析の蓄積につながる。

【政府:災害・有事における偽情報対策】
4.偽情報に関する政府の規制においては、諸外国の偽情報対策の動向を広く把握したうえで、その実効性と表現の自由の保障を前提としつつ、身体・生命への危険性や民主主義への影響などの幅広い観点からも規律ぶりを調整するべきである(第2章、第3章)。とりわけ、有事における偽情報の急増に備え、公共メディアなどの信頼できる媒体の情報がテレビ放送やSNS上にて優先的に放送・表示される仕組み(プロミネンス・ルール)を迅速に確保できるように調整を進める必要がある。また、有事/グレーゾーン事態において外国政府の政府系メディアなどによる組織的な偽情報の流入が懸念される場合は、一時的な当該メディアへのアクセス制限も検討すべきである(第3章)。

第1章や第2章にて論じたように、偽情報の拡散は、国民の政府とメディアに対する信頼を低下させることで民主主義の規範を脅かす。偽情報に関する規制では、表現の自由とのバランスを踏まえた議論に終始することが多いが、身体・生命への危険性、さらに広く言えば民主主義への影響等も含めて、幅広い観点から規制に関する議論を行う必要がある。特に、国際的な有事や大規模な自然災害においては、社会が不安や恐怖といった負の感情に包まれることで偽情報が蔓延しやすい状況となり、偽情報の数が短期間で急増するリスクを平時以上に抱えている。第1章の例が示したように、ロシアによるウクライナ侵攻などの有事は組織的な偽情報の拡散機会を生み出す可能性がある。そうした偽情報の氾濫に対抗するため、有事の際には、英国のプロミネンス・ルールなどを参考にしながら、総務省の検討会[47]でも既に検討されている公共メディアをはじめとした信頼できる媒体での情報がテレビ放送やSNS上にて優先的に放送・表示される仕組みを迅速に確保できるように政府を中心に調整を進める必要があるといえよう。また、外国政府の政府系メディアなどによる組織的な偽情報の流入が懸念される場合は、第3章で論じたロシアによるウクライナ侵攻における英国の対応のように、少なくとも一時的な当該メディアへのアクセス制限は検討を開始すべきである。

【政府・新聞社・ファクトチェック団体:偽情報に対応するための体制構築】
5.情報の信頼性向上のために、政府には具体的に以下の体制やシステムの構築が求められる(第2章、第3章)。
➢ 5-1. ビッグテック企業やファクトチェック団体に加えて、大手の報道機関や新聞社、そしてリソースが限られている地方の新聞社やメディアとも協力体制を構築するべきである。
➢ 5-2. 真偽の確認を容易にするために、各団体のファクトチェックをまとめたデータベースを整備・普及させるとともに、メディア報道においては引用元のURL添付を徹底すべきである。

信頼できる情報の発信やファクトチェックにおけるビッグテック企業(巨大IT企業)やファクトチェック団体の役割の重要性に加え、第3章のBBCの事例が示したように、大手の報道機関もファクトチェックにおいて重要な役割を果たしうる。また、第2章が指摘したように、全国紙よりも地方紙を信頼する事例は確かに存在し、日本においても地方紙が各自治体の選挙や災害発生時に重要な情報発信の担い手となるケースは決して少なくはない。大手メディアのみならず地方メディアについても、偽情報に対応するための体制の中に明確に位置づけるべきである。

こうした体制の下で、真偽の確認を迅速に行えるように、(米国や英国のメディアおよび各SNSプラットフォームが開発しているような[48])ファクトチェックのためのデータベースを充実化させ、専門家のみならず一般向けにも普及させるべきである。また、英国でのAOPの先進的な取り組みなどを踏まえて、メディア報道においては引用元のURLを添付することを徹底するべきである。引用元URLの添付は、終章の沖縄のような事例を防ぐのみならず、情報の透明性と信頼性を高めることができる。

 

脚注

(Photo Credit: 毎日新聞社/アフロ)

偽情報と民主主義 連動する危機と罠:目次

序章:偽情報と民主主義

偽情報の定義と目的 / 民主主義の後退 / なぜ偽情報を気にしなければならないのか / 偽情報のイネイブラー / 報告書の構成

全文はこちら

第1章 ハンガリー: メディアへの影響力強化と偽情報

買収によるメディアへの影響力強化 / メディアを通じた偽情報とその影響 / ロシア・ウクライナ戦争 / 偽情報がもたらす悪影響

全文はこちら

第2章 米国:不信が事実に勝るとき

米国の偽情報の黎明期 / 米国の文脈:不信、過去と現在 / ニュースルームへの課題 / 拡散者と消費者を通じた偽情報の管理

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第3章 英国:『エンゲージメントの罠』と偽情報

出遅れた偽情報対策 / エンゲージメントの罠 / 民主主義に降りかかる新たな脅威 / 対偽情報戦略

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終章:日本における偽情報と提言

選挙における偽情報とその対応 / 災害・有事における偽情報 / 政策提言

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おことわり:報告書に記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことを御留意ください。記事の無断転載・複製はお断りいたします。

石川 雄介 研究員/デジタル・コミュニケーション・オフィサー
専門はハンガリーを中心とした欧州比較政治、民主主義の後退、反汚職対策。明治大学政治経済学部卒業、英国・サセックス大学大学院修士課程修了(汚職とガバナンス専攻)、ハンガリー・中央ヨーロッパ大学大学院政治学研究科修士課程修了。トランスペアレンシー・インターナショナル本部にて外部寄稿者も務める。 トランスペアレンシー・インターナショナル ハンガリー支部でのリサーチインターンなどを経て、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)に参画。API/地経学研究所にて、インターン、リサーチ・アシスタント、欧米グループ研究員補(リサーチ・アソシエイト)を経た後、2024年8月より現職。APIでは、福島10年検証、CPTPP、検証安倍政権プロジェクトに携わった。シンクタンクのデジタルアウトリーチ推進担当として、財団ウェブサイトや SNSの活用にかかる企画立案・運営に関わる業務も担当。
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研究者プロフィール
石川 雄介

研究員,
デジタル・コミュニケーション・オフィサー

専門はハンガリーを中心とした欧州比較政治、民主主義の後退、反汚職対策。明治大学政治経済学部卒業、英国・サセックス大学大学院修士課程修了(汚職とガバナンス専攻)、ハンガリー・中央ヨーロッパ大学大学院政治学研究科修士課程修了。トランスペアレンシー・インターナショナル本部にて外部寄稿者も務める。 トランスペアレンシー・インターナショナル ハンガリー支部でのリサーチインターンなどを経て、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)に参画。API/地経学研究所にて、インターン、リサーチ・アシスタント、欧米グループ研究員補(リサーチ・アソシエイト)を経た後、2024年8月より現職。APIでは、福島10年検証、CPTPP、検証安倍政権プロジェクトに携わった。シンクタンクのデジタルアウトリーチ推進担当として、財団ウェブサイトや SNSの活用にかかる企画立案・運営に関わる業務も担当。

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