「新技術立国」における科学の戦略的価値

もとより、科学技術を基盤とした国策の推進は高市政権に独自のものではなく、これまでにも多くの政権で「科学技術立国」を目指して少なからぬ資源が投じられてきた。しかしその試みは基礎研究と技術開発・実用化の両面で十分な成果につながらず、必ずしも「立国」のツールとして十分に機能してきたわけではなかったのかもしれない。そこで本稿では過去の問題を整理しつつ、ニーズ主導を打ち出す新技術立国の概念と、それを支える要素としての科学との間にある問題について考えてみたい
科学技術立国の限界
科学技術白書における「科学技術立国」という言葉の初出は1980年までさかのぼる。しかし長らく、日本の科学技術行政において科学技術立国は「目標」として言及されることが多く、それが確立された現状として論じられることは稀であった。
第一の理由は、1990年代以降の経済停滞に伴う科学技術分野での予算制約である。特に2004年度の国立大学法人化をきっかけに運営費交付金は10%以上削減された。研究環境は悪化し、研究論文数やトップ10%論文(被引用数が各分野の上位10%に入る論文)といった指標で見れば、基礎研究の国際競争力は低下し続けてきた。
第二に、軍事や経済との関係で定義される国益と学術研究活動が乖離してきたことである。1980年代ごろまでの大学は科学知を創出するための機関としての意識が強く、科学知の産業応用には消極的であった。その後、産学連携への反発は徐々に薄まっていったが、軍事応用は近年まで強い社会的制約のもとにあった。
第三に、当時の国際関係における日本の科学技術政策の位置づけの問題である。日本は基礎研究を中心とする国際連携を通じて自国の科学技術力の向上を進める一方、その成果を軍事的な戦略資源に転換することには同盟の枠組みにおいてすら否定的であった。1980年代の米戦略防衛構想(SDI)研究への参加、あるいは2010年代に「軍学共同」が問題視された際にも、日本の学術研究が米軍と結びつくことには批判的な目が向けられた。
新技術立国を後押しする環境変化と政治的意思
新技術立国の取り組みは、これらの問題に対処するために展開されてきたさまざまな施策を改めてパッケージ化する面もあり、すべてが新しい要素で構成されているわけではない。しかし、国内外の情勢の変化がその実行を後押ししていることは確かである。
国際的には、米中対立の激化に伴ってテクノロジー・ステイトクラフト(技術を用いた戦略的影響力の行使)の重要性が高まったことで、新興技術はその保有そのものが外交的なパワーに、欠如はリスクに直結するようになった。そうしたなかで日本が米中に対する自律性を高め、ミドルパワー諸国との連携を深めるツールとして、他国にはない技術シーズを保有しておく必要があるとの認識が広まった。
国内でも、少なくとも政策的にはデュアルユース(軍民両用)技術の活用を語ることが当然視されるようになった。依然として一定の反発を招きつつではあるが、関係アクターの忌避感は薄れてきている。これまで学術セクターからの反発が強かった「安全保障技術研究推進制度」への応募件数は象徴的であり、2025年度公募では123件と前年度比で約四割の増加となった。
こうした変化のなか、経済安全保障や科学技術政策といった関連ポストを歴任してきた首相が政治の意思を明確に示したことは、新技術立国で強調されるニーズ主導の科学技術投資を大きく前進させることとなった。米中と比べて資源に劣る日本が戦略的要請に基づく技術投資を進めることは、短期的には必要な選択肢であることは疑いない。
科学の戦略的価値
新技術立国の方針においてはニーズ主導の科学技術投資が強調される一方、基礎研究もまた軽視されているわけではない。現在検討されている第七期科学技術イノベーション基本計画の骨子案も、科学の再興と戦略的ニーズに基づく投資の双方を重視するかたちになっており、日本が直面する問題を多角的に抽出するものとなっている。だからこそニーズ主導の投資と基礎研究との伝統的なトレードオフを可能な限り顕在化させない方策が必要となる。
基礎レベルの科学研究には、応用レベルの技術開発とは異なる戦略的な役割がある。科学投資は長期的なシーズ開発とリスクヘッジに資するものであり、将来の戦略的な選択肢を増やすうえで重要な施策である。AI(人工知能)や量子をめぐる基礎研究は古くから行われていたが、それが国際競争の中心に据えられることは最近までほとんど予想されていなかった。
また、短期的にも科学なしに技術は立ち行かない。とくに戦略的に重視されるディープテック(社会的インパクトの大きな科学知や革新的技術)の諸分野で、科学研究と実用の距離が劇的に縮まったことは重要な背景である。これによって基礎研究の成果が軍事や産業における優位性につながる道筋が見えやすくなり、基礎研究に対する投資の価値は直接的に高められている。
財源と人材の問題を解消できるか
問題のひとつは、科学を新技術立国の方針を支えうるレベルまで回復させることができるかという点にある。主に財源と人材の面で、基礎科学領域を取り巻く環境は依然として厳しい。
科学の再興に向けた措置ははじまっており、国立大学の運営費交付金や科学研究費補助金をはじめとする政府の研究開発支出の拡大が決定されたが、それでも現段階の予算規模は国立大学法人化に伴う減額が始まった2004年の水準には遠い。産学官連携の投資も実用化促進の手段よりは細る大学の予算を補填すること自体が目的になりがちであった。そうしたなか、官民合わせてGDP比4.0%の研究開発費を確保するという第五期科学技術基本計画の目標は十分な民間投資を引き出せず、達成することができなかった。
さらに、短期的な投資では解決することが難しい人材の問題もある。長らく続いた研究基盤の弱体化によって研究関連人材やその育成能力は不足している。人材の流動化をめぐる施策も当事者の利益が明確ではないため、積極的なキャリアの選択肢になりにくく、イノベーションエコシステムを支えるSTEM(科学、技術、工学、数学)人材の比率もOECD(経済協力開発機構)諸国の平均を下回ったままである。
インセンティブ構造の再構築と長期の科学投資
こうした問題への対応が積み重ねられてきたがゆえに、すでにある程度の施策や制度は存在している。だとすれば、それらを作動させるための仕組みの再構築、特に関係アクターのインセンティブ構造を変化させることが新技術立国における課題のひとつとなる。
実用に近く収益化しやすい領域に関しては、官主導の需要創出を適切に行うことで事業の予見可能性を高めながら、産学官連携を通じて投資額の総和を拡大する必要がある。人材供給の面でも、STEM人材や博士号取得者の増加という入口に着目するだけでなく、政策的に設定した出口との整合性も考え直さなければならない。企業、国立研究開発法人、大学間の人材の流動性を高め、ニーズとシーズをセクター横断的に結びつけることのできる仕組みを、当事者利益に資するかたちで設計し直すことも求められよう。
そのうえでの問題は、短期的なアウトプットに直結しない領域への投資をいかに確保するかという点である。科学の戦略的意義を考慮するならば、政府投資は市場原理に乗りにくい基礎研究領域や、長期の時間を要する人材育成基盤の再構築に振り向けるなど、科学技術投資における官民の役割の違いを明確化することも必要となる。
高市首相は「22世紀」を見据えた政策の重要性を説き、科学技術分野でも「基礎研究を長期に支える環境の構築」を目指している。こうした現在の政治的意思をいかにして将来の「実行される制度」へと変換し、定着させられるかが新技術立国の成否に影響することになろう。
(出典: Kyodo News via Getty Images )

地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
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主任客員研究員
上智大学総合グローバル学部教授。専門は国際政治学、安全保障論。筑波大学大学院人文社会科学研究科国際政治経済学専攻修了、博士(国際政治経済学)。横浜国立大学研究推進機構特任准教授等を経て、現職。 [兼職] 上智大学総合グローバル学部教授
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