揺らぐ海洋秩序:ホルムズ海峡危機とインド太平洋

揺らぐ海洋秩序:ホルムズ海峡危機とインド太平洋

【執筆者: 後藤祐樹(客員研究員)】


2026年2月に米国とイスラエルがイランへの武力行使を行ったことに対し、イランはホルムズ海峡を事実上封鎖することによって、影響力の行使を試みてきた。ホルムズ海峡危機は、エネルギー資源のグローバルなサプライチェーンに影響を与えたという点で、地経学的なインパクトをもたらしたといえる。このような行動は、同海峡が幅の狭いチョークポイントであるという地理的な特性によって可能となった側面もあるが、ホルムズ海峡危機は単なる特定の海峡の問題としてではなく、グローバルな海洋秩序に影響をもたらした事象として捉える必要がある。

では、ホルムズ海峡危機はグローバルな海洋秩序にどのような影響を与えたであろうか。また、それはインド太平洋地域における日本の海上交通路(以下「シーレーン」)の安全確保にどのような示唆を与えているだろうか。本稿ではまず、ホルムズ海峡危機が海洋秩序に与えた影響を、覇権と国際的な規範の観点から分析する。その上で、インド太平洋地域におけるシーレーンを「線」としてではなく、「面」として捉える視点を提示し、日本が抱えているリスクを分析する。
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グローバルな海洋秩序の動揺

海洋秩序には、覇権や制海による垂直的な秩序と、国家間で合意された規範や規則によって成り立つ秩序の2つの側面がある。前者については、20世紀後半以降、米国が圧倒的な海軍力によってグローバルな制海権を確保してきた。後者については、1994年に発効された「海洋法に関する国際連合条約」(国連海洋法条約)が国際社会の標準的なルールとして定着している。

ホルムズ海峡危機は、このいずれをも動揺させた。2000年代初頭、米国の国際政治学者バリー・ポーゼン氏は、米国が世界の海洋や空域、宇宙のような公共空間を軍事的に利用できる能力を有しているとし、それを「コモンズの支配」と呼んだ。

2026年のホルムズ海峡危機は、そのような「コモンズの支配」への部分的な挑戦として捉えられる。イランは、ドローンや対艦ミサイル、GPS妨害のような安価な手段を用いて、民間船舶が安全に航行できない状態を作り出した。これに対し、米国は、軍事的な手段による海峡の支配や、安全の確保には成功していない。米国のグローバルな制海権は依然として保たれているものの、ホルムズ海峡のようなチョークポイントにおいては、民間船舶の航行の安全を保障するという、国際公共財の供給能力が十分に機能しなかったといえる。

国際的な規範も揺らいだ。国連海洋法条約は、海上輸送の要衝となる国際海峡においては、それが継続的かつ迅速な通過である限り、全ての船舶が航行できる「通過通航権」を認めている。イランは国連海洋法条約を批准していないものの、ホルムズ海峡は世界のエネルギー輸送の要衝としての機能を持つことから、国際慣習法上、国連海洋法条約における国際海峡と位置付けてよい海域である。船舶の自由な航行を妨げたイランの行動は、そのような権利を侵害した事例となり、国際的な規範を揺るがした。

「点」としてのホルムズ海峡、「面」としてのインド太平洋

ホルムズ海峡危機においては、米国が民間船舶の航行の安全を保障する能力を十分に行使できず、また海洋に関する国際的な規範も守られなかった。そのように海洋秩序が動揺する中で、日本が最も懸念すべきシナリオのひとつが、日本周辺海域のシーレーンが遮断される事態である。

ホルムズ海峡危機は、原油や液化天然ガス(LNG)の出荷場所が密集する、いわば始点に近い場所でのシーレーンの寸断であった。他方で、日本がインド太平洋地域で直面している状況は、対象海域の広さと影響分野という2つの点で、ホルムズ海峡とは大きく性質が異なる。

日本のシーレーンは多様であり一概に括ることはできないが、大きく分けると、北米・南米から太平洋を横断するルート、欧州や中東・アフリカ・インドなどからマラッカ・シンガポール海峡を抜けるルート、オーストラリアから日本を南北に結ぶルートなどがある。多様なルートがある中で、シーレーンは日本に近づけば近づくほど、重なり、収束されてくるという性質がある。

エネルギー資源の調達においては、量や期間の限度はあるものの、調達先の分散などによる対応を行うことができる。しかし、日本周辺海域で有事が発生した場合には、周辺海域が「面」として使用できなくなる事態が想定される。ホルムズ海峡危機は、シーレーンの遮断のためには、制海権のような形で海域そのものを支配する必要はないことを示した。仮に太平洋側で攻撃を受けるような事態となれば、周辺海域一帯が危険海域とみなされることとなり、民間船舶の航行が困難となる可能性がある。

海域の広さだけではなく、シーレーンが妨害された際に影響する分野も広範となる。日本の貿易の99%は海上輸送によって行われている。ホルムズ海峡危機においては、主に原油や石油製品の輸入などの面で影響を受けたが、日本周辺海域において有事が発生した場合、エネルギー以外にも食料をはじめとするさまざまな機能が麻痺することとなり、国民生活に重大な影響を及ぼすこととなる。

目指すべき「コモンズの把握」

グローバルな海洋秩序が揺らぎ、シーレーンの遮断リスクが表面化する中で、日本は「面」としてのインド太平洋を支えるためにどのような方向を目指すべきであろうか。日本の国力を踏まえれば、米国のような「コモンズの支配」を行うことは現実的ではない。日本は海洋の透明性を高める「コモンズの把握」によって、脅威を早期に探知し、共有することによって、航行の継続性を支えていくことを目指すべきである。

そのためには、海洋状況把握(MDA)を、日本の海洋レジリエンス戦略の中核として位置付ける必要がある。MDAは、海洋に関するさまざまな事象を把握するための取り組みであり、海洋の安全保障はもちろんのこと、海洋環境保全や海洋産業振興、科学・技術の発展のための情報など、幅広い内容を含む。

政府による海洋に関連する情報の収集は、「海洋基本計画」や「国家安全保障戦略」、「宇宙基本計画」などに基づいて進められ、2015年以降はMDAとしての位置付けで体制の整備が行われてきた。現在は、2023年に内閣府の総合海洋政策本部がとりまとめた「我が国の海洋状況把握(MDA)構想」に基づき、取り組みが進められている。他方で、海洋秩序の動揺や日本を取り巻く厳しい安全保障環境、「面」としてのシーレーンの安全確保の必要性を踏まえれば、今後はMDAを一層強化するとともに、より包括的な視座で捉えていくことが求められる。

第一は、MDAと政府安全保障能力強化支援(OSA)との戦略的な連携をさらに強化していくことである。これまでOSAにおいては、フィリピンやジブチへの沿岸監視レーダーシステム、バングラデシュやフィジー、インドネシアへの警備艇、マレーシア、スリランカ、トンガへの無人航空機(UAV)供与などが決定されており、今後は衛星通信システム関連機材の供与なども予定されている。今後は各国の能力構築支援に加え、国際的な情報共有体制の在り方も含めたさらなる発展が期待できる。多国間での情報共有が行えるようになれば、「面」としてのインド太平洋の安定性の向上に資するであろう。

第二に、海中状況把握の強化が挙げられる。現段階では政府が推進するMDAの中には含まれていないが、日本を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、海中のセンサーなどを用いて、潜水艦や無人水中艇(UUV)を探知するための海中状況把握についてもMDAとして位置付けるべきである。同分野の国際連携については、現状では日米・日豪以外での取り組みは容易ではないと考えられるが、将来的にはより広範な地域での連携も視野に入れられるであろう。

第三に、有事における海運会社や保険会社などとの情報共有体制の構築である。現在のMDA構想では、海洋安全保障に携わる情報提供は、一部の政府機関や、同盟国・同志国、国際機関に限定されている。しかし、有事においては、慎重な判断のもと、船舶の安全な航行に資する情報を民間企業にも提供することも求められるであろう。対象や共有する情報のレベルについて、事前に検討を行っておくことで、海上輸送の強靭性を高めることができると考えられる。

日本は、2013年の国家安全保障戦略において、「四方を海に囲まれて広大な排他的経済水域と長い海岸線に恵まれ、海上貿易と海洋資源の開発を通じて経済発展を遂げ、『開かれ安定した海洋』を追求してきた海洋国家としての顔も併せ持つ」との認識を示し、2016年からは外交構想として「自由で開かれたインド太平洋」を推進してきた。日本は引き続き、航行の自由をはじめとした規範の重要性を国際社会の中で発信すると同時に、海洋の透明性を確保するための「コモンズの把握」の取り組みによって、海洋秩序に貢献することができるであろう。

出典:Majid Saeedi / 特派員(Gettyimages)

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国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、地経学研究所の研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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