戦略的連携で切り拓く健康・医療領域の経済安全保障

高市政権は創薬・先端医療への官民投資を拡大し健康医療安全保障の実現を目指している。しかし戦略17分野で重視する62の主要な製品・技術のうち、医薬品には他の製品・技術にはない難しさがある。それは戦後日本で形成されてきた薬事規制と公定薬価制度という、製薬産業が逃れられない桎梏である。
これからの日本が健康・医療領域の経済安全保障政策において越えるべき課題は何か。また、どのような方向性で政策を推進していくべきか。本稿では日本の医薬品産業がたどった盛衰の歴史を振り返った上で、今後の経済安全保障政策に求められる「戦略的連携性」について論じてみたい。
薬事規制と薬価制度に規定されてきた日本の医薬品産業
戦後、日本政府は医薬品について振興よりも規制に重心を置いてきた。日本の社会保障制度は、敗戦によって困窮していた国民の救貧と伝染病予防を出発点とする。戦前に制定された健康保険法に基づき、一定規模以上の事業所の労働者はすでに保険診療を受けており、医療機関で処方される医薬品については保険料を財源とする給付が行われていた。したがって製薬会社が市場で自由に決めた価格をそのまま保険給付するのではなく、薬価は厚生省が主導する形で公定価格にする必要があると考えられた。1950年代には医薬品の価格について、厚生大臣の諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)が審議する「薬価基準」制度が発足した。さらに1960年に成立した薬事法は、製薬企業による医薬品や医療機器の製造・販売を許可制とし、厚生大臣による承認制度を整えた。
日本の医薬品産業にとって大きな転機となったのが1961年に実現した国民皆保険制度であった。薬事承認を受けた医療用医薬品が薬価基準のリストに収載されることで、医療保険の給付対象となる保険診療が日本全国に普及した。つまり保険料と公費に支えられた、巨大で安定的な医薬品市場が形成されたのである。
高度成長期を経て1980年代から90年代にかけて、日本の医薬品産業は最盛期を迎える。栄養不足解消のためビタミン剤の需要が増大したことが、この時代の勢いを象徴している。日本はトップの米国に次いで世界2位の生産規模を誇るようになった。日本企業は抗がん剤や抗菌薬等を次々と創出していった。
しかし、かつては安定収益の源であった薬価制度が、日米貿易摩擦においてUSTR(米通商代表部)から非関税障壁として非難されるようになる。さらに薬価制度が1990年代から日本企業の足枷になり始めていた。医療保険財政の悪化により薬剤費は厳しい縮減圧力にさらされるようになったのである。日本の社会保障費のGDP比は1980-90年代に10%程度で推移していたが、2010年代には20%を超えた。年金、医療、福祉の支出は増加する一方だが、薬剤費はGDPの1%台後半に抑制されてきた。薬価は毎年一様に引き下げられるのが当たり前となり現在に至っている。
さらに、グローバルな医薬品の創薬基盤技術(モダリティ)のトレンドは、日本が優位性を誇っていた低分子医薬品から、バイオ医薬品や抗体医薬品に移りつつある。多くの日本企業がイノベーションのジレンマに陥り、このモダリティの変化に乗り遅れた。
健康・医療領域の産業政策
こうした医薬品産業を取り巻く環境変化を踏まえ、医薬品に関する産業政策が策定されるようになった。産業政策とは、特定の産業に対する、あるいは特定の産業内における資源配分に影響を与えようとする政策のことである。
規制行政が主体であった医薬品について本格的な産業政策が展開されるのは、2001年の省庁再編で厚生労働省が発足してからである。厚労省医政局の経済課が2002年に打ち出した「医薬品産業ビジョン」を嚆矢に、厚労省は医療機器産業ビジョンや定期的な医薬品産業ビジョンの改定を続けてきた。
こうした健康・医療領域の産業政策が、厚労省に留まらず、政権の主要課題となったのは新型コロナ危機以降である。日本は有効なワクチンや治療薬を創出できず、数兆円を投じて米欧から調達してくるしかなかった。岸田文雄政権では、武見敬三厚労大臣が医薬品産業を国の「基幹産業」と位置づけ、産業政策としてグローバルな創薬エコシステムを構築する方針を示した。岸田首相もみずから2024年、医薬品産業を「日本の今後の成長を担う基幹産業となるよう強力に施策を推進する」と述べた。
歴史を振り返ってみると、岸田首相が医薬品産業に強いコミットメントを示すのは異例のことであった。こうした気運の高まりを引き継いだ高市政権は健康医療安全保障をミッションの一つに掲げ、「日本成長戦略」において医薬品を主要製品として取り上げた。しかし医薬品産業が薬事規制と公定薬価制度という桎梏から当分の間、逃れることができない構造的な条件は変わっていない。
「イノベーション25」
「日本成長戦略」におけるターゲティング政策で興味深いのは、健康・医療領域の多くの製品・技術が、高市氏が2007年に第1次安倍晋三政権の科学技術政策・イノベーション担当大臣として策定した「イノベーション25」と重なることである。
「イノベーション25」は医薬、工学、情報技術などの諸分野で、2025年までを視野に入れて、あらまほしきイノベーションについて構想した長期的戦略指針であった。
この戦略指針は、内閣府と日本学術会議との緊密な連携により立案された。生涯健康な社会、安全・安心な社会といった2025年の日本の社会像を構想し、そこから逆算して実施すべき政策ロードマップを策定した。政府が作る一般的な戦略文書と異なり、のびのびとした文章や大胆な未来構想は、いま読んでも色あせていない。
奇しくも「イノベーション25」が念頭に置いていた2025年に高市氏は総理大臣に就任した。遠隔医療や健康管理デバイスなど、当時、思い描かれていたイノベーションの多くは既に実現した。しかし誤算だったのは、「イノベーション25」で最も関心が払われていた日本のライフサイエンス領域で、地盤沈下が止まらなかったことである。医薬品の世界売上トップ100製品のうち日本が占める割合は、2008年に13品目だったものが、2024年には8品目まで減少した。
求められる「戦略的連携性」
日本がこれから医薬品や医療機器といった健康・医療産業を再興していく上で、「日本成長戦略」の官民投資ロードマップをめぐる策定プロセスが試みたことは重要である。それはかつての「イノベーション25」でも見られた大胆な将来構想と、政・官・財・学の連携である。
経済安全保障の主役は企業である。また政府と民間企業やアカデミアでは本質的に目指す目標が異なる。だからこそ、いかに皆が認識や利害を「すり合わせ」られるかが、今後ますます重要になる。
すなわち、日本は国内では政・官・財・学、そして国際的には同盟国の米国および同志国とミッションや戦略目標を共有し、実効的に協働できる能力、すなわち「戦略的連携性(strategic alignment)」を強化しなければならない。
医薬品について言えば、危機管理投資の対象となる製品は政府や自衛隊が薬価制度と別枠で国産化を支援するのは一案である。安定供給確保のため買い上げる戦略備蓄などプル型インセンティブを強化することも有効であろう。そして薬事規制については、企業からの申請を待ち受けるだけでなく、米国FDA(食品医薬品局)のように規制当局が研究開発段階から企業との対話に乗り出し、規制要件について認識をすり合わせることで承認の予見可能性を高め、承認件数を増やして創薬力を底上げする取り組みがより一層、強化されるべきである。新しい薬や医療機器・サービスについて、官民が連携して合理的な規制を創り上げることは、規制改革に留まらず、国際標準化にも資する。攻めのルール作りとも言える。
また米国議会では2025年12月、BIOSECURE Act(バイオセキュア法)が成立し、中国の遺伝子検査企業やCDMO(医薬品開発製造受託機関)を政府調達から排除する動きが強まっている。背景にあるのは中国における医薬品産業の進展である。習近平政権はイノベーティブ医薬品をAI、ロボットと並ぶ「新・新三種の神器」の産業として育成し、新たな輸出産業として創出しようとしている。日本は新型コロナ危機の教訓を踏まえ、国内のCDMO拠点を着々と整備してきた。日本の医薬品製造能力強化は、同盟国の米国にとって信頼できる医薬品サプライチェーンの選択肢を増やし、日米両国の経済安全保障を強化する意義がある。
もちろん、こうした取り組みは医薬品に留まるものではない。経済安全保障政策において、これまでの戦略目標は戦略的自律性と戦略的不可欠性の二つであった。いま高市総理は「新たな官民の連携」を繰り返し強調している。これから重要なことは国内外を「つなぐ」こと、すなわち三つ目の戦略目標である戦略的連携性の強化である。
(写真:内閣官房内閣広報室)

地経学ブリーフィング
国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、地経学研究所の研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
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主任研究員
慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。研究分野は国際政治経済、外交・安全保障政策論、経済安全保障、国際紛争。民間企業、JICA、国連、外務省などを経て現職。国連ではニューヨーク本部とスーダンで勤務しアフガニスタンでも短期勤務。 筑波大学と明治学院大学で非常勤講師。 2005年 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) 2012年 独立行政法人国際協力機構(JICA)農村開発部 2013年 国際移住機関(IOM)スーダン事務所 2015年 国連事務局ニューヨーク本部 政務局(DPA)政策・調停部 2018年 外務省アジア大洋州局(北東アジア課、北東アジア第二課) 2020年 一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 2022年 公益財団法人国際文化会館 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 兼 地経学研究所 主任研究員(現在に至る)
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