アメリカと中国「医薬品・バイオ」巡る攻防の本質 - 日本も自ら考えなければならない「毒と薬」
【特集・アメリカの経済安全保障(第4回)】
「サプライチェーンを取り戻し、中国への経済的依存に終止符を打つ」
アメリカ連邦議会で対中強硬派の共和党議員、ケビン・マッカーシーとマイク・ギャラガーは2022年12月、FOXニュースに「中国との冷戦に勝つために」というオピニオンを寄稿し、こう記した。年が明け2023年1月7日、マッカーシー議員はアメリカ連邦議会下院議長に選出された。共和党内の保守強硬派が難色を示し投票は15回におよんだ。議長が決まるまで10回以上の投票が行われたのは164年ぶり。異例な事態となった。
医薬品サプライチェーンの急所を握る中国
そうして党内に亀裂を抱える共和党も、民主党も、アメリカにおいて超党派で合意するのが、厳しい対中政策である。1月11日、下院では「アメリカと中国共産党との戦略的競争に関する特別委員会」の設立が決まった。共和党が多数派を占めた中間選挙後、マッカーシーが議長就任時の公約に掲げていた委員会である。委員長はギャラガー議員が務める。
2人がFOXニュースに寄稿していたオピニオンは、中国に関する特別委員会が取り組むべき活動を述べたものだった。その2人が注目したのが医薬品である。冒頭の文章は、こう続く。
「2021年、アメリカは抗生物質の4分の1を中国から輸入していた。ジェネリック医薬品の主要生産国であるインドは、医薬品の原薬(注:有効成分)の80%を中国に依存している。これは表向き問題なく見える医薬品の供給源でさえ、最終的には中国にたどり着くことが多いことを示している」
インドはワクチンや低価格ジェネリック医薬品について世界最大の生産国であり「世界の薬局」と呼ばれる。しかし、中国における原薬の生産コストはインドより20%ほど安い(KPMGインド、CII調査)。原薬の原材料についてもインドは中国に依存してきた。
つまり医薬品のサプライチェーンでは、中国が、原薬と原材料というチョークポイント(急所)を握っている。それは原材料の大半が化学物質であることに起因している。
大半の化学物質はコモディティーであり、最先端の技術や施設がなくても生産できる。しかも工場の爆発リスクなど安全面の課題もある。2019年には中国の江蘇省で化学工場が爆発する事件が起き、多くの原薬工場が生産停止に追い込まれた。さらに、化学物質の生産は環境負荷が高い。中国でも環境規制は強化されてきた。それでも、中国の原薬や原材料は安い。経済合理性を追求する形で、中国というチョークポイントを残したまま医薬品のグローバルサプライチェーンは発展してきた。
毒にも薬にもなるバイオ
しかし、なぜアメリカでは医薬品に注目が集まるのだろう。サプライチェーンに脆弱性を抱える物資はほかにもあるはずである。2つの理由が考えられる。
第1に、中国が生物学的脅威(biological threat)をもたらす、つまり安全保障上の脅威になるという認識である。アメリカでは2001年の炭疽菌事件以降、バイオテロへの警戒感が根強い。さらに新型コロナウイルスの発生源について、武漢ウイルス研究所から流出したのではないか、という疑念が共和党関係者を中心にくすぶり続けている。
共和党だけではない。バイデン政権は2022年10月、バイオディフェンス戦略を策定した。また同月に策定した国家安全保障戦略では「パンデミックとバイオディフェンス」をひとつの項目にまとめて指針を定めた。それは脅威が自然発生的であれ、人為的であれ、病原体を迅速に検知し、特定し、患者を隔離し、治療し、ワクチンや治療薬を開発するというプロセスは共通するからである。
さらに、いま中国はゼロコロナ政策を軌道修正し感染爆発を甘受しつつも、国境管理を緩め、国際的な人の往来を進めている。そうした中国を念頭に、1月13日の日米首脳会談後に発出された共同声明では「中国に対し、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に関する十分かつ透明性の高い疫学的データおよびウイルスのゲノム配列データを報告するよう求める」との一文がはいった。
第2に、バイオは産業として有望であり、社会経済の繁栄をもたらす可能性に満ちている。コロナ危機においてファイザーとモデルナが供給したmRNAワクチンは、世界の人々の命と健康を守るだけでなく、関連する製薬企業に莫大な収入をもたらした。それが各社において次の医薬品開発の原資になっている。
さらにカーボンニュートラルと化石資源依存脱却の観点からも、バイオものづくり(biomanufacturing)は注目を集めている。2022年9月、バイデン政権はバイオテクノロジーとバイオものづくりのイノベーションを推進する大統領令を発出した。ホワイトハウスは、バイオものづくりが今後10年以内に世界の製造業の3分の1以上を占めるようになり、その市場規模は約30兆ドル(約3900兆円)に達するという予測を示した。
いまアメリカでは官民あげてバイオへの投資が急拡大している。その規模は合成生物学(synthetic biology)ベンチャーへの民間投資だけでも2021年で約2兆円におよび、2019年から5倍に急増した。
いわば、アメリカにとって毒にも薬にもなるのがバイオなのである。
日米貿易摩擦の教訓
日本もアメリカと足並みを揃え、バイオ技術の育成や保護に本腰を入れている。しかし日本とアメリカで守るべき国益は異なる。サプライチェーン強靭化についても、何を対象に、どんな政策を打つのか、同盟管理のアジェンダとして調整が必要になっている。昨年10月のスパコンと先端半導体をめぐるアメリカの対中輸出規制は、その典型的なものである。
振り返ってみれば1980年代、日本とアメリカはスパコンや半導体をめぐり衝突した。当時、在米大使館、外務省経済局、北米局で日米貿易摩擦の最前線にいた薮中三十二・元外務事務次官は、日米貿易摩擦について2つの教訓を指摘している(『外交交渉40年』)。
1つ目は、ワシントンで貿易問題が火を吹くとき、火元はアメリカ議会だということである。それは議会が関税の引き上げ権限を持っているためであった。通商代表部(USTR)は議会の1974年通商法により設立された。
2つ目は「アメリカはつねにフェアであり、アメリカと異なるやり方をする国はアンフェアだ」という思いこみがアメリカにあることだった。
こうした教訓は、現下の米中対立にも通底している。中国はアメリカに共産党員を留学させ、虎の子の新興技術を盗み、政府補助金で国営企業に下駄をはかせている。そんなアンフェアーな中国は許さないという雰囲気がアメリカ議会からは伝わってくる。
しかも中国はアメリカにとって、日本のような同盟国ではなく「唯一の競争相手」(アメリカの国家安保戦略)である。対中輸出規制は今後もエスカレートし、半導体に留まらず、医薬品や原薬、バイオ分野の新興技術やデータにも広がると見られている。
サプライチェーン・マッピングと特定重要物資のアップデート
米中の地経学的競争は激化し続けている。戦略物資のサプライチェーンは、その主戦場である。バイデン政権は発足当初からサプライチェーンの強靭化を目指し、アメリカ流のフェアな競争環境を整備すべく邁進している。日本はアメリカと連携しつつも「わが国が守り、発展させるべき国益」(国家安保戦略)に照らし、岸田政権が進めてきた経済安全保障の政策体系を、より一層、強化する必要がある。
日本政府は2022年、サプライチェーンの脆弱性やチョークポイントをあぶりだすため、サプライチェーン・マッピング(調査)を行い、国として安定供給を確保すべき11の特定重要物資を指定した。これには半導体、蓄電池、重要鉱物などが含まれる。
医薬品については「抗菌性物質製剤」が指定された。その中で代表的なβラクタム系抗菌薬は、あらゆる手術の感染予防で使われる一方、原材料や原薬を、ほぼ 100%中国に依存してきた。2019年には中国で原材料の製造トラブルがあり、βラクタム系抗菌薬であるセファゾリンナトリウムの供給が滞った。手術を延期せざるをえない事案も発生した。
ただしセファゾリン不足から3年が経ち、医療現場においては在庫を備蓄するなど対策も進められてきている。
βラクタム系抗菌薬は、日本がサプライチェーンに脆弱性を抱える医薬品の一部でしかない。厚生労働省は2019年から製薬業界や専門家とともに「安定確保医薬品リスト」の作成を進め、最優先で取り組みを行うべき医薬品として21成分を選び出した。このリストにはセファゾリンなど抗生物質製剤のみならず、全身麻酔剤、血液凝固阻止剤、ホルモン剤なども含まれていた。
さらに、チョークポイントは需要、開発、加工、物流などの状況に応じてダイナミックに変化する。
経済安全保障のダイナミズムに対応するため、今後ますます重要になるのがサプライチェーン・マッピングである。
アメリカによる対中政策、次の一手は何か。そのヒントとして注目されているのが、アメリカ議会が設立した米中経済・安全保障調査委員会(USCC)の報告書である。2022年のUSCC報告書はバイデン政権にサプライチェーン強靭化のための組織新設を求め、継続的なサプライチェーン・マッピングをその主要な役割に据えた。調査対象として例示されたのは半導体、レアアース、そして医薬品と原薬である。
日本も直面する「毒の抜き方と薬の煎じ方」
日本政府も、これからサプライチェーン・マッピングを通年で実施してはどうか。そのうえで、安全保障上の脅威と守るべき国益に照らし、真に重要な物資を精緻にターゲティングしていくべきである。ターゲティングが狭すぎれば有事への備えとならないし、逆に広すぎれば支援が分散し、過度な産業保護はイノベーションを阻害しかねない。政官財学でタスクフォースを組み、特定重要物資を精緻かつダイナミックに絞り込み、アップデートしていくことが肝要である。
日本は、医薬品サプライチェーンに抱えた脆弱性という「毒」を抜き、サプライチェーンを強靭化しつつ、バイオ産業を日本経済繁栄のための「薬」とすべく煎じ詰めなければならない。その毒の抜き方と薬の煎じ方は、日本が自ら考える必要がある。
選挙イヤーの2024年。民主主義の権威を守り、強靭さを示す戦いは、はじまったばかりである。
地経学ブリーフィング
コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。
おことわり:地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
主任研究員
国連や外務省など経て現職。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。国連ではニューヨークとスーダンで勤務しアフガニスタンやコソヴォでも短期勤務。 2005年から2011年まで株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)にて事業開発を担当。 2012年から2013年まで国際協力機構(JICA)農村開発部にて農村・水産開発案件を担当。 2013年から2015年まで国際移住機関(IOM)スーダンにて選挙支援担当官を務めたのち、事務所長室にて新規プロジェクト開発やドナーリレーションを担当。ダルフールなど紛争影響地域における平和構築・人道支援案件の立ち上げや実施に携わる。 2015年から2018年まで国連事務局(NY本部)政務局 政策・調停部。ナイジェリア、イラク、アフガニスタン等における国連平和活動のベストプラクティス及び教訓の分析・検証、ナレッジマネジメントを担当。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)が展開するカブールでも短期勤務。 2018年から2020年まで外務省アジア大洋州局北東アジア第二課で、北朝鮮に関する外交政策に携わる。対北朝鮮制裁、サイバー、人権外交、人道支援、国連における北朝鮮政策など担当。 2020年からアジア・パシフィック・イニシアティブ主任研究員。日本のコロナ対応を検証した「新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)」で事務局を務め、『調査・検証報告書』では水際対策、国境管理(国際的な人の往来再開)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。2022年から地経学研究所 主任研究員を兼務。
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