米国2025年国家安全保障戦略(2025 NSS)における経済安全保障と対中政策:日本と米国の定義の違いに着目して

米国2025年国家安全保障戦略(2025 NSS)における経済安全保障と対中政策:日本と米国の定義の違いに着目して
本論文は、CISTECジャーナル2026年7月号に掲載された論文を一部加筆修正し転載したものです。
 
Index 目次

はじめに

第2次トランプ政権が2025年に策定した国家安全保障戦略(National Security Strategy: NSS)、すなわち2025 NSSにおいて経済安全保障はどのように位置づけられているのだろうか [1]。また諸国で経済安全保障政策が主要なアジェンダとなったのは第1次トランプ政権における米中対立が契機であった。それでは2025 NSSにおいて経済安全保障政策や、それに関連した対中政策がどのように規定されているかについて本稿では論じる。なお本稿では米国の国家安保戦略の表記について、発行年、NSSという順番の表記としている。日本ではNSSの後に発行年を付す表記も多いが、原文は発行年が先であり、それを踏襲する [2]。

近年の米国における国家安全保障戦略を振り返ってみると、第1次トランプ政権が策定した2017 NSSは米国の対中政策を関与(engagement)から競争(competition)へと明確に転換させた戦略文書であった。そのうえで「経済安全保障は国家の安全保障である(Economic security is national security.)」と明記されたことが、よく知られている。しかし、それではeconomic securityが何を意味するのか、どのようなアプローチで政策を進めていくのかといった点について2017 NSSはほとんど論じていなかった。

これに対してバイデン政権の2022 NSSは、現代的な産業・イノベーション戦略としてサプライチェーン強靭化、半導体・AI・クリーンテック・バイオテックへの投資について規定しており、日本の感覚からすれば、真正面から経済安全保障について規定しているように読める。しかし興味深いことに2022 NSSにおいてeconomic securityなる文言は出てこない。そのうえで中国を、国際秩序を作り替える意図と能力を有する唯一の競争相手と規定した。

経済安全保障政策について理解が深まってきた日本の視点からすれば、やや不可解にも見える米国のNSSにおける経済安全保障の取り扱いについて、どのように考えればよいのだろうか。それは日本と米国の経済安全保障(Economic Security)をめぐる定義の違いに起因している。

経済安全保障とeconomic security

安全保障とは、外部の「脅威」から、自国民の生命や財産、領土などの重要な価値を「対象」に、何らかの「手段」で守ることである。そして「脅威」「対象」「手段」に何かしら経済的な要素があれば、それは経済安全保障と呼ばれてきた。

経済安全保障という概念の源流は、1960年代から70年代の南北問題と資源ナショナリズムにある [3]。独立を果たした旧植民地、とりわけ中東の産油国の資源をどう管理していくべきかをめぐり南北では激しい議論が巻き起こった。1973年1月から国連の経済社会理事会(ECOSOC)では「集団的経済安全保障(collective economic security)」についての議論が繰り広げられた [4]。アラブ諸国における資源ナショナリズムの高揚を背景に、ECOSOCにおいて論点の一つとなっていたのが資源国における天然資源の主権であった。そして同年10月6日に第4次中東戦争が勃発すると、第一次石油危機が発生した。OPECによる原油公示価格の引き上げはエネルギーコストの上昇を引き起こした。1バレル3.01ドルだった原油価格は、10月16日には5.12ドル(約70%の上昇)、さらには1974年1月1日には11.65ドルと、わずか3か月で原油価格は約4倍に高まったのである。それまで安価な原油に安住していた欧米日ではコストプッシュ型のインフレとともに失業率が上昇し、スタグフレーションという経済的な脅威に襲われることになる。

この危機を正面から受け止め、経済安全保障という概念で政策を立案したのが通商産業省であった。通産省は1975年(昭和50年)頃には経済安全保障を政策論として議論していた。そうした検討の中心にいたのが、通産省大臣官房企画室で勤務していた河野博文であった [5]。1970年代後半の通産省の経済協力白書や産業構造審議会(産構審)の通産大臣への答申書ではたびたび経済安全保障が論じられていた。1980年の経済協力白書は、経済安全保障を「経済の領域について国民生活をそれに対する脅威から守ること」と定義した。

通産省における当時の経済安全保障をめぐる議論のひとつの到達点となったのが、1980年の産業構造審議会による『80年代の通産政策ビジョン』であった。同報告書は、日本がエネルギーの89%、食糧の55%を海外に依存していることを踏まえ、石油危機を契機として厳しさを増す国際情勢のなかで「生存」することの難しさが再認識されつつあると論じた。そして「資源小国」の制約の克服という目標を掲げ、これは 「経済安全保障の確立」ともいうべき国民生活を守るための思想であると位置づけた。

この頃にはアカデミアでも経済安全保障をめぐる研究が発展した。先駆的な研究として例えば高坂正堯「経済安全保障の意義と課題」(日本国際問題研究所『国際問題』217、1978年)、船橋洋一『経済安全保障論:地球経済時代のパワー・エコノミックス』(東洋経済新報社、1978年)、公文俊平「経済安全保障とは何か――概念分析的試論」(衛藤瀋吉編『日本の安全・世界の平和』原書房、1980、43-67頁)等があった。

そして1980年にもう一つよく知られているのが、大平正芳首相が立ち上げた「総合安全保障研究グループ」が公表した報告書である。そこでも「経済的安全保障」が論じられた。報告書は、第二次大戦後、アメリカの指導の下に国際経済秩序が確立してきたときには経済的安全保障は問題とならなかったが、そうしたアメリカの覇権を前提とした世界は過去のものになりつつあることを指摘した。当時の米国はベトナム戦争の傷が癒えておらず、スタグフレーションにより経済が低迷するなかカーター政権は79年にイラン革命、第二次石油危機、そしてソ連のアフガニスタン侵攻への対応を迫られていた。アメリカの覇権に翳りがみえるなか、総合安全保障研究グループが提言したのは、日本として自由貿易体制の維持、南北問題の解決といった相互依存の体系の運営・維持、さらには経済力の維持や備蓄など自助努力を柱とする「経済的安全保障政策」であった。ここでは経済安全保障の「手段」に重心が置かれていた [6]。

さらに1982年に通産省の産業構造審議会(産構審)は経済安全保障を「我が国の経済を国際的要因に起因する重大な脅威から、主として経済的手段を活用することにより、守ること」と定義した。

ただし米欧と比べれば日本における石油危機の影響は一時的なものであり70年代後半には毎年5%程度の成長が続いていた。経済の安定成長を経てバブル経済とその崩壊、そしてグローバル化と企業の海外進出が進むなかで、日本で経済安全保障は忘れられた概念となっていった。

さらに1980年代以降、日本で経済安全保障が語られなくなった構造的な要因として指摘できるのが日米経済摩擦である。日本は米国との通商交渉においてGATTのルールを駆使し、西側陣営として自由貿易体制を守らねばならないのではないかと原則論をぶつけることもあった。特にそうした見方は外務省の条約局に根強かった。たとえば1986年の日米半導体協定において、米国が日本の半導体市場において20%のシェアを占めたいという「願望」を「認識する」文書として「サイドレター」が作成された。この文書をワシントンDCで起案した外務省の田中均・北米局北米第二課長(当時)は、東京に戻り外務次官室において小和田恒・条約局長と「対決」したと回顧する [7]。小和田は田中が起案したサイドレターについて、GATTの大原則に反するもので、貿易の世界でこれをやってはならないと、反対した。結局、サイドレターは渡辺美智雄・通産大臣が米国のヤイターUSTR代表に対する政治的な市場開放のシグナルを文書化したものであったことから、後日、米国側に発出されることになるが、これは米国が日本に対して301条に基づく制裁措置をちらつかせていた状況があったからである。70年代に産油国が石油を武器化していた状況とは打って変わって、むしろ日本が米国にとって経済的脅威とみなされていた80年代において、日本政府が経済安全保障を強く掲げていく気運はなかった。

長く忘れ去られていた経済安全保障は、2017年に発足した第1次トランプ政権で深まった米中対立、そして2020年にはじまったコロナ危機により、政策概念として復活を遂げた。2020年12月、自民党の新国際秩序創造戦略本部は「『経済安全保障戦略策定』に向けて」を発表し、ここで経済安全保障を「わが国の生存、独立及び繁栄を経済面から確保すること」と定義したうえで戦略的自律性と戦略的不可欠性という基本概念を提示した。

2022年12月に岸田文雄内閣は国家安全保障戦略を策定する。ここで経済安全保障は「我が国の平和と安全や経済的な繁栄等の国益を経済上の措置を講じ確保すること」と定義された。この定義は、ちょうど40年前、産構審の定義を彷彿とさせるものとなった。このように日本は経済安全保障の「手段」に重心を置いた定義を採用してきたのである。

米国におけるeconomic securityの焦点

日本語では経済安全保障と訳される英語のeconomic securityであるが、それが米国において意味することは、必ずしも日本と同じではない。米国は経済安全保障の「手段」よりも、「対象」としての米国民に重心を置いてきたからである。

1992年、米国大統領選挙においてeconomic securityが関心を集めることになる。当時、民主党の候補者であったビル・クリントンは大統領選挙に勝利すると、1993年1月に就任するまでの間、economic securityを外交政策の中心に据えると述べていた。そこで念頭に置かれていたのは雇用の拡大であり、すなわち米国民を「対象」とする経済安全保障であった。もっとも、クリントン政権期にはIT企業の台頭などを背景に米国経済が史上最長の好景気を記録し、日本と同様に米国でも経済安全保障への関心は薄れていった。

米国で経済安全保障が再び注目されたきっかけは、冒頭で述べたとおり、2017年12月に第1次トランプ政権が初めて策定・公表した国家安全保障戦略、2017 NSSである。2017 NSSは4つの柱を立てた。第一に米国民、国土、そしてアメリカの生活様式を守ること。第二にアメリカの繁栄を促進すること。第三に力による平和を維持すること。そして第四にアメリカの影響力を拡大することである。

「経済安全保障は国家の安全保障である(Economic security is national security.)」として知られる一文は、二本目の柱、繁栄に関する章の冒頭でトランプの言葉として掲げられている。これはNSS公表の前月、2017年11月10日、ベトナム・ダナンで開催されたAPEC CEOサミットにおけるスピーチの一節である [8]。ただしトランプ本人はプロンプタの原稿を読み上げており、どこまで経済安全保障に関心があったかは疑わしい [9]。いわゆる「デカップリング」をトランプ本人がほとんど言及したことがないように、トランプの言葉として喧伝されるものはスピーチライターやホワイトハウスのスタッフ等によるものが多い [10]。なお経済安全保障について対外的な発信を強めていたのは対中タカ派のピーター・ナヴァロ大統領補佐官 兼 通商製造政策担当局長であった [11]。2017 NSSの繁栄に関する章では、忘れられた白人たちや中間層を「対象」に経済安保政策を展開するとしており、関税、米国産品の輸出拡大、5Gにおける中国製品排除と輸出規制について述べられていた。このあたりもナヴァロをはじめ対中タカ派の声が反映された記述となっている。

トランプ政権の対中経済安全保障政策の背景

2017 NSSは経済安全保障に言及したことよりも、中国に対する厳しい姿勢を鮮明にしたことで知られている。第1次トランプ政権の対中経済安全保障政策の背景として、三つの特徴があった。

第一に、米国の対中政策が関与から競争へと、明確に転換したことである。米国の対中政策は、1972年のニクソン政権における米中接近以降、基本的には関与政策を基調としてきた。しかし、2008年の世界金融危機後、米欧日と比べれば相対的に経済的なダメージが少なかった中国は国際社会における存在感を高め、対外政策を強硬化させていった。2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となり、2012年には「中華民族の偉大な復興」を掲げる習近平政権が発足した。2009年に大統領に就任したバラク・オバマは、世界金融危機で傷んだ米国経済を復活させるため中国と協力するとともに、主要国として台頭しつつあった中国との競争も意識しながら、年に三度の米中首脳会談を重ねるなど、中国との関与政策を継続させていた。オバマ政権は2011年5月にビンラディンを殺害し9.11同時多発テロ事件以降にアフガニスタン等で展開してきたグローバルな対テロ戦争(GWOT: Global War On Terrorism)に一つの区切りをつけ、同年12月にはイラクから米軍を撤退させ、中東からアジア太平洋へのリバランス(ピボット)を進めることとなる。オバマ政権は2013年の二期目から対中政策を硬化させ、2015 NSSにおいて中国の軍事的近代化を批判した。こうして対中警戒感を高めていた米国は、2017年にオバマ政権からトランプ政権へと交代したこと契機に、一気に競争へと政策の方向性をシフトすることになった [12]。2017 NSSは中国を「現状変革国家(revisionist power)」と位置づけ、これまでの戦略的協調に基づく対中アプローチが誤ったものだったと指摘し [13]、米国が関与から競争へと明確に転換したことを示す戦略となった。バイデン政権の2022 NSSでも中国との競争という方向性は維持され、サプライチェーン強靭化や半導体の産業政策など実質的な経済安全保障政策が展開された。

第二に、中国製品がアメリカ市場でシェアを拡大させることによるアメリカ国民の失業、すなわちチャイナ・ショックである。MITのデイビッド・オーター教授らは1999年から2011年にかけて中国からの輸入が急増した結果、製造業のみならず米国経済全体で最大240万人分の雇用が失われたと推計した [14]。ミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルヴェニア州といったラストベルトの接戦州ではチャイナ・ショックが現実の失業や賃金低下につながっていた。トランプが大統領選挙で勝利できたのは、まさにこうしたラストベルトで「忘れられた」白人層の支持を得たためであった。

ただし、トランプ政権、特にトランプ大統領自身が、対中競争やチャイナ・ショックばかりを踏まえて対中経済安全保障政策を実施していたわけではない。ここで重要なのが第三の特徴、すなわち、習近平国家主席との首脳間ディールへのトランプ大統領の期待である。こうしたトランプの期待が経済安全保障政策に影響を与えた一例が、2018年の米中通商交渉とZTEおよびファーウェイ規制のリンケージである。

ある商務省BIS元幹部によれば、2018年当時、トランプは2020年大統領選挙での再選を念頭に、米中合意(ディール)と、中国による米国産の大豆と小麦の購入が政治的得点になるとの思惑を抱いていたという。BISは2018年4月、輸出管理規則に基づき中国の通信機器メーカーZTEへの米国製品の輸出および再輸出の禁止を決定した。これはEARの否認命令(Denial Orde)に基づくものであり、Denied Persons Listに掲載されたZTE関係企業への輸出は一律、禁止となる。エンティティ・リスト(Entity List)掲載であればBISの許可を得ることで輸出が可能だが、そうした許可制度がない極めて強い措置であった。BISがこうした強い措置に至ったのには理由があった。ZTEは2016年にエンティティ・リストに掲載された。米国原産の規制品目をイランに迂回輸出させていたことが明るみになったためである。2017年、ZTEはイランや北朝鮮に米国製品を輸出していたことを認め罰金を支払うとともに、違反行為に従事した従業員に処分を科すこととしていた。しかしZTEが従業員処分に関してBISへ虚偽報告を行ったことから、BISは否認命令という強い措置を執ったのである。そうした理由のある輸出禁止措置であったにもかかわらず、トランプは習近平との米中交渉を進め中国から農産物購入を求めるため、ZTEに対する輸出禁止の撤回を指示した。6月、BISはZTEとの和解が成立したとして否認命令の終了を発表した。こうした経緯は当時、国家安全保障担当大統領特別補佐官を務めていたジョン・ボルトンも回顧録で記している [15]。

またZTEと同様にファーウェイをめぐる輸出禁止も、米中の通商交渉とリンクしていた。2019年5月、BISはファーウェイをエンティティ・リストに追加し、米国製品の輸出を原則、禁止とした。しかし6月のG20大阪サミットに際して行われた米中首脳会談においてトランプは習近平に貿易協定の早期妥結と農産物購入を要請するとともに、事務方にファーウェイへの規制撤回を指示した。しかし今度はボルトンが強く抵抗したためファーウェイへの輸出規制は維持された。

このように第1期の頃からトランプ本人が習近平と個人的にディールできるはずだ、という期待が対中経済安全保障政策の執行を歪める事例が生じていた。第2期トランプ政権ではボルトンのように強くトランプに直言する閣僚やホワイトハウスのスタッフはほとんど見当たらず、トランプ本人、あるいは家族を含めたトランプ周辺の思惑に沿った政策決定がなされる傾向がある。

第2次トランプ政権の外交・安全保障

2025年に発足した第2次トランプ政権の外交・安全保障については三つの特徴が指摘できる。

一つ目が、取引重視(transactional)である。ディールを追求し、またそれを誇示するのは第1期目から変わらず、よりそれが先鋭化している。これは2025 NSSにおいて“Flexible Realism”(柔軟な現実主義)として概念化されている。

二つ目に、アメリカ・ファーストとMAGAを掲げる収奪的(predatory)な大国という特徴が鮮明になりつつある。近接する概念として帝国という大国のあり方がある。米国を帝国とみなす議論は2003年のイラク戦争後に盛んとなった。そうした先行研究のひとつである山本吉宣の『「帝国」の国際政治学』によれば、大国が、他国の外交政策に非対称な影響力を及ぼすのが「覇権」である。そして大国が、他国の対外政策のみならず内政にも非対称な影響力を及ぼすのが「帝国」である。さらに帝国については、19世紀末から20世紀初頭にかけての帝国主義の時代のように、植民地化および直接統治をおこなう「公式な帝国」と、経済的な勢力圏拡大による影響力拡大を目指す「非公式な帝国」に分けられる [16]。トランプ政権は2025年に中国をはじめとした権威主義国のみならず、同盟国をはじめ世界中の同志国にも関税引き上げを仕掛けた。米国はいまや自由貿易体制や国連システムをはじめとする国際公共財の維持にほとんど関心を失っているようであり、かつて覇権安定論が想定していたような覇権国とは、とても言えない。さらに2026年に入るとトランプ政権はベネズエラとイランに国連安保理決議の授権がない一方的な武力行使に踏み切り、ベネズエラではマドゥロ大統領を拘束し、イランではハーメネイ最高指導者を殺害した。他国の対外政策のみならず内政に強く影響をもたらす姿は、もはや帝国といっても差し支えないものかもしれないが、少なくとも収奪的な大国であることは間違いない。

三つ目の特徴、そして第2期トランプ政権で最も顕著なのが、重商主義である。重商主義とは、富は権力や国力を強化するための手段であるという考え方であり、経済ナショナリズムとも呼ばれる [17]。重商主義と対をなすのが自由主義であり、これは自由な交易は富の総量を増加させ、それにより諸国が利益を得るという考え方である。つまり自由主義がポジティブ・サムであるのに対して、重商主義は一国の利益は他国の損失というゼロ・サムの考え方である。トランプはまさにゼロ・サムで外交、通商、軍事といった諸政策をとらえる傾向があり、しかも経済的な損失に過敏に反応する。まさに重商主義であり、経済安全保障政策についても、それが反映されている。

2025 NSSにおける経済安全保障

こうした特徴をもつ第2次トランプ政権の2025 NSSにおいて、経済安全保障はどのように規定されているのだろうか。

戦略とは目的(ends)、方法(ways)、手段(means)を組み合わせた文書であり、国家にとってリソースを配分すべき優先事項を定めるものである [18]。2025 NSSは5つの「優先事項(Priorities)」を規定している。すなわち、大量移民の時代の終わり、米国民の核心的な権利の保護(言論の自由など)、同盟国との負担分担と負担のシフト、和平合意の追求、そして経済安全保障(Economic Security)の5つである。

興味深いことに5つの「優先事項」のうち経済安全保障のみ、かなり詳しく述べられており、文字数で言えば優先事項の半分以上を占める。「経済安全保障は国家の安全保障に不可欠であり、我々は米国経済をさらに強化するため取り組む」という記載は、トランプ政権の重商主義を反映している。

NSSの優先事項となっている経済安全保障については、6つの重点分野が記されている。以下でひとつづつ検討してみたい。

第一に、均衡のとれた貿易(Balanced Trade)である。これは米国にとって貿易赤字の削減を意味する。米国の産業と労働者を傷つけるダンピングと反競争的慣行を終わらせ、「公正で、相互主義的な貿易協定(fair, reciprocal trade deals)」を結んでいくと記している。日米経済摩擦を担当していた元外務次官の薮中は、米国にとっての公正さについて、「米国はつねにフェアーであり、米国と異なるやり方をする国はアンフェアーだという思い込み」を持っていると鋭く分析していた [19]。フェアかどうかは米国が決める、という思い込みは第2次トランプ政権でも顕著である。そうした思想を体現しているのが米国通商代表部(USTR)であり、グリアUSTR代表は「ウルグアイ・ラウンドからトランプ・ラウンドへ」と述べている [20]。グリアは、GATTのラウンドで諸国が関税を相互(レシプロカル)に引き下げてきたのと逆に、トランプ政権はすでに高い関税を課している諸国に対して関税を引き上げる、そういった相互主義をとっているというのである。

歴史を振り返れば1929年の世界大恐慌のあと、共和党フーヴァー政権と議会は農作物を中心に工業製品まで幅広い産業を保護するため1930年6月にスムート・ホーリー関税法を成立させ、関税率を引き上げた。米国の平均実効関税率(関税収入/貿易総額)は1933年に19.8%まで高まった [21]。米国の保護主義の高まりに対し、イギリスが自由貿易主義の伝統を放棄し大英帝国ブロックを形成し、世界経済は排他的な経済圏に分解しブロック経済が出現した。結局、フーヴァー政権は大恐慌に効果的に対処できず共和党は1932年の大統領選挙で大敗する。民主党のフランクリン・ローズヴェルト政権は1934年に互恵通商協定法(RTAA)を成立させ、関税引き下げによる輸入拡大を目指すことになった。これ以降、米国は戦後、GATTに基づく自由貿易体制をリードし、多国間ラウンドによって諸国で関税を引き下げていった。関税引き下げは冷戦後のグローバル化の土台となり、自由貿易協定(FTA)締結によって二国間(バイ)、複数国間(プルリ)で関税引き下げが進んだ。このように1934年から第二次世界大戦期、冷戦期を経て冷戦後まで、米国の関税率は引き下げのトレンドにあったのである。2006年の関税率1.3%が過去最低であり、それから2017年までほぼ1%台前半で横ばいに推移した [22]。しかし第1次トランプ政権において関税率は2018年に1.9%、2019年に2.9%まで引き上がった。こうして1934年から2017年まで80年以上も続いた米国の関税引き下げトレンドは底を打った。その後、バイデン政権は日本やEU、英国向けの関税を一部緩和したが、301条に基づく対中関税や鉄鋼・アルミの232条関税は継続していたため、関税率は2%から3%前後を維持していた。そして2025年、第2次トランプ政権の混乱した関税政策の結果、実効関税率は10%を超えたと予測されている。

かつて通商の世界において相互主義(reciprocity)とは多国間で相互に関税を引き下げていくことを意味していた。それが第2次トランプ政権では、むしろ相互に関税を引き上げていくのだということで、相互主義の意味するところがまるで逆転してしまっている。

2025 NSSの経済安全保障で第二の優先事項に規定されているのが、重要なサプライチェーンおよび資源へのアクセス確保である。この項目では、初代財務長官のハミルトンが主張したとおり「米国は核心的な原材料や製品について決して外部勢力に依存してはならない」と指摘する。ハミルトンといえば1791年に発表した『製造業に関する報告書』がよく知られている。同書は米国が重商主義的な外交政策、保護主義(幼稚産業保護のため高い関税、政府補助金)、インフラ整備のための巨額の政府支出、強い海軍力を組み合わせていくべきだと論じていた。また、この項目は日本の経済安全保障政策と近いところがあり、経済インテリジェンスの重要性についても指摘している。インテリジェンス・コミュニティが重要なサプライチェーンと技術の進展について監視し、米国の安全保障と繁栄に対する脆弱性および脅威を把握し緩和できるようにする、としている。ただし第1次トランプ政権が主張していた過度な対中依存の解消や中国への言及は、ここでは見られない。

第三の優先事項は、再工業化(Reindustrialization)である。米国の未来は製造業(makers)にかかっており、国内回帰(”re-shore”)を進め、重要・新興技術分野の産業と雇用への投資を呼び込む、そのために関税を戦略的に使う、としている。アメリカ国民の生活水準を向上させ、いかなる敵対国(any adversary)にも重要な製品や部品を依存することが二度とないようにするという記述からは、中国を念頭に置いているようにも読める。しかしここでも中国が名指しされているわけではない。

第四の優先事項は、防衛産業基盤の再生である。防衛産業について、2025 NSSでは経済安全保障政策の一環として論じられているのは興味深いところである。高額な装備品と低価格のドローンやミサイルを活用した新しい戦い方に適応するとともに、もっとも効果的で現代的な兵器システムと装備品を量産する(produce at scale)こと、防衛産業サプライチェーンの国内回帰について述べる。そして、すべての同盟国と同志国に防衛生産基盤の再生を求めている。

第五の優先事項はエネルギー領域における優勢(Energy Dominance)である。石油、天然ガス、石炭、原子力におけるアメリカのエネルギー優勢を回復することを目指す。安価で豊富なエネルギーは高賃金の雇用を創出し、再工業化の燃料となり、AIのような最先端技術における優位性確保につながる、としている。そして、欧州に大きな損害を与え、米国を脅かし、敵対国を利してきた「破滅的」な気候変動やネットゼロの「イデオロギー」を拒否するというのはトランプ政権らしい記述である。

第六の優先事項は、米国の金融セクターにおける優勢の維持・拡大である。ここは一般的な記述となっており、ほとんど中身がない。デジタル金融におけるリーダーシップに言及があるのでステーブルコインの普及を示唆しているようである [23]。

おわりに

本稿では2025 NSSを検討するにあたり、まず1960年代以降の経済安全保障という概念の展開、その中で日本では手段に重心を置いた経済安全保障が、米国では対象としての米国民や製造業に重心を置いたeconomic securityが政策として実施されてきたことについて論じた。そのうえで、トランプ政権の対中政策は関与より競争が基本線だが、関心は経済にあり、重商主義が台頭していると分析した。トランプ大統領がいだく、習近平国家主席との首脳間ディールに対する期待は、政策の意思決定における政治指導者の役割の大きさを認識させるものである。

2025 NSSでは経済安全保障が優先事項として重要視されており、そこでは日本や欧州も進めてきたサプライチェーン強靭化のみならず、アメリカにとって「公正で、相互主義的(fair, reciprocal)」な貿易協定、防衛産業基盤の再生、エネルギーおよび金融領域における優勢の維持といった、幅広いアジェンダが包含されていることを明らかにした。日本からすれば、米国民や米国の製造業といった対象をいかに守るか、という視点は、やや手段が多岐にわたりすぎているのではないか、という印象を受ける。しかしそれも経済安全保障の定義が違うゆえである。

もう一つ明らかになったのは、第1次トランプ政権で密接に関連していた対中政策と経済安全保障政策が、第2次トランプ政権では明示的に統合されていないということである。戦略とは優先順位を定め、限られた国内リソースを統合していくための指針である。2025 NSSが果たして経済安全保障政策において、どれほど明確な指針となっているか、今後どのような政策が展開されていくか注視していく必要がある。

出典:Rawpixel.com / Shutterstock

脚注

[1] The White House, National Security Strategy of the United States of America, December 2025. https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2025/12/2025-National-Security-Strategy.pdf
[2] 過去の米国のNSSについては以下で一覧が確認できる。https://history.defense.gov/Historical-Sources/National-Security-Strategy/
[3] 相良祥之「第6講 経済安全保障」地経学研究所編『はじめての地経学:経済が武器化した時代の見方』朝日新書、2026年
[4] Joseph Nye, “Collective Economic Security,” International Affairs, Vol. 50, No. 4, 1974.
[5] 船橋洋一『戦後敗戦』実業之日本社、2026年、71頁。なお河野博文は1989年、通産省貿易局の輸出課長として外務省北米局北米第二課長だった薮中三十二とともに日米構造協議に臨んだ。薮中の回顧録によれば、すでに1986年に中曽根康弘首相に「前川レポート」が提出されており日本側の構造問題についてはよく知られていたところ、外務省、通産省、大蔵省など日本国内で米国の構造問題を検討するのは容易ではなかった。その際、薮中と河野は共に準備を進め、米国側に対して貯蓄不足や米国企業の競争力不足を提起したという(薮中『外交交渉四十年』ミネルヴァ書房、2021年、77-78頁)。河野はその後、資源エネルギー庁長官(1999―2002年)や石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)理事長(2008―2016年)を歴任した。
[6] 相良「第6講 経済安全保障」
[7] 田中均 著、 井上正也・神足恭子・佐橋亮 編『タブーを破った外交官:田中均回顧録』岩波書店、2025年、162頁。
[8] “Remarks by President Trump at APEC CEO Summit, Da Nang, Vietnam,“ November 10, 2017. https://trumpwhitehouse.archives.gov/briefings-statements/remarks-president-trump-apec-ceo-summit-da-nang-vietnam/
[9] “President Trump Delivers Remarks to the APEC CEO Summit” https://youtu.be/BFubgwnU3Do?si=cUAP7toER4kMl-X0&t=1479
[10] いわゆる「デカップリング」については相良「第6講 経済安全保障」174頁を参照。
[11] Peter Navarro, “Why Economic Security Is National Security,” The White House, December 10, 2018.
[12] 森聡「アメリカの対中アプローチはどこに向かうのか―その過去・現在・未来」川島真・森聡 編著『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』東京大学出版会、2020年。
[13] 森聡「『リバランス』から『自由で開かれたインド太平洋戦略』へ―中国に対するアメリカ政府の多元的反応と地域関与戦略の交錯」、竹中治堅編『「強国」中国と対峙するインド太平洋諸国』千倉書房、2022年。77頁。
[14] David Autor, David Dorn, and Gordon H. Hanson, “The China Shock: Learning from Labor Market Adjustment to Large Changes in Trade,” NBER Working Paper, No. 21906, 2016.
[15] ジョン・ボルトン『ジョン・ボルトン回顧録』朝日新聞出版、2020年、322-326頁。
[16] 山本吉宣『「帝国」の国際政治学――冷戦後の国際システムとアメリカ』東信堂、2007年、第4章。
[17] 重商主義については例えば以下参照。田所昌幸・相良祥之『国際政治経済学 第二版』名古屋大学出版会、2024年、46-48頁。吉沢晃・御代田有希「第3章 主流派の理論―各国政府の政策をどう説明するか」吉沢晃編『はじめての国際政治経済学』法律文化社、2025年。
[18] 戦略についてたとえば以下参照。高橋杉雄『現代戦略論』並木書房、2023年。Lawrence Freedman, Strategy: A History, Oxford University Press, 2013.
[19] 薮中『外交交渉四十年』58頁。
[20] Jamieson Greer, “Trump’s Trade Representative: Why We Remade the Global Order,” New York Times, 7 August 2025.
[21] Yale budget lab, “State of U.S. Tariffs: April 2, 2026.” https://budgetlab.yale.edu/research/state-us-tariffs-april-2-2026
[22] 同上
[23] ステーブルコインについては以下参照。相良祥之「ステーブルコインの期待と危うさ:地経学研究所の一葉知秋」 Forbes JAPAN 2026年4月号 https://forbesjapan.com/articles/detail/92537

相良 祥之 主任研究員
慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。国連、外務省、DeNAなどを経て現職。専門は国際政治経済、外交・安全保障政策、経済安全保障、国際紛争、健康安全保障、新興技術。国連ではニューヨーク本部とスーダンで勤務しアフガニスタンでも短期勤務。 2005年 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) 2012年 独立行政法人国際協力機構(JICA)農村開発部 2013年 国際移住機関(IOM)スーダン事務所 2015年 国連事務局ニューヨーク本部 政務局(DPA)政策・調停部 2018年 外務省アジア大洋州局(北東アジア課、北東アジア第二課) 2020年 一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 2022年 公益財団法人国際文化会館 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 兼 地経学研究所 主任研究員(現在に至る)
プロフィールを見る
研究活動一覧
研究活動一覧
研究者プロフィール
相良 祥之

主任研究員

慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。国連、外務省、DeNAなどを経て現職。専門は国際政治経済、外交・安全保障政策、経済安全保障、国際紛争、健康安全保障、新興技術。国連ではニューヨーク本部とスーダンで勤務しアフガニスタンでも短期勤務。 2005年 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) 2012年 独立行政法人国際協力機構(JICA)農村開発部 2013年 国際移住機関(IOM)スーダン事務所 2015年 国連事務局ニューヨーク本部 政務局(DPA)政策・調停部 2018年 外務省アジア大洋州局(北東アジア課、北東アジア第二課) 2020年 一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 2022年 公益財団法人国際文化会館 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 兼 地経学研究所 主任研究員(現在に至る)

プロフィールを見る

このレポートPDFを ダウンロード