『経済安全保障・経営実装5カ条』実践のすすめ

一方で、民間企業における内部対応はどうか。筆者が地経学研究所の研究員として民間企業とのディスカッションや、経済安全保障に関する講演などの場で聞く限り、まだまだ現場の課題は多い模様である。「2年前に立ち上げた経済安保専門部署について運営方法で悩んでいる」、「経営層の関心が高まらない」、「経営層の理解はあるが一般社員の認知度が極めて低い」、「規則が増え、念の為の自主規制も増え、制約ばかりが増えていく」、「外部環境変化が速すぎて情報収集・分析が追い付かない」等など、自身が担当だったら溜め息が出てしまう様な状況だ。もとより経済安全保障は、国家の「安全保障」が根底にあり、他国による威圧に対処するためのものである。国家の総力を挙げて経済安保に取り組まなければ、国家基盤が弱体化し、外交や通商などにおける他国との交渉で譲歩ばかりせざるを得ないような事態となり、間接的に日本企業のビジネス活動にもマイナス影響が及ぶだろう。中長期的視点に立てば、企業も国家も「日本という同じ存立基盤」の棄損リスクを共有しているのだ。また、短期的視点でも、経済的威圧による被害を被ったり、被るリスクを懸念する企業もある筈だ。
個社単位で、現時点で自社は盤石と思っていても、見えないところで技術や人材の流出が続いては、いずれ他国に競争力を奪われ、外国製品が日本に大量に流入する可能性もあり、自社のビジネス基盤が損なわれるリスクもある。経済安全保障対応の難しさは、企業として今すぐに実施する必然性が明確でなく対応のコストはかかる一方で、目先の利益にはすぐ繋がらないことにある。企業の本音としては、経済安全保障の対応は「せずに済むなら済ませたい」ということかもしれない。中には、中長期視点で実施しなければならないと理解しつつも、足下での人材不足、採算責任、将来見通しの不透明さなどから二の足を踏んでいる企業もあると考える。
本レポートでは、企業内部における経済安全保障の現場実装はまだまだ課題が多く、必ずしも順調に進んでいないのではないかとの基本認識に立ち、今後どのようにしたらよいかを具体的に示すことを目的としている。ここで提案する「経済安全保障・経営実装5カ条」を基に、今すぐ社内の各現場で、自社として為すべきことは何か、それが何故進まないかの構造課題について解像度を上げて議論し、個別組織の中で企業実務に実装し、社員個人の身体知化までもっていく支援となればと考えている。
1. 足早に進む政府の企業支援
2026年1月に、経済産業省から「経済安全保障経営ガイドライン」が発表された。本レポートの読者は既にご存知の方もあると考えるが、これは、大企業のみならず中堅、中小企業までをも対象とした、経済安全保障対応のエッセンスが凝縮されたものである。チェックリスト含め21ページと大部ではなく、多忙な経営層であっても、短時間で読み切れる資料となっている。
また、同様に経済産業省などから「経済安全保障上の課題への対応(民間ベストプラクティス集)―第2.0版―」や「技術流出対策ガイダンス2.0(案)」、「経済安全保障と独占禁止法に関する事例集」も発表されている。これらは経済安全保障の先進企業への丁寧なヒアリングに基づき、政府の方針と民間企業における実装の先行事例やガイダンスが網羅的に紹介されているものであり、まずはそれらを確認頂くことが重要である。
【経済安全保障経営ガイドライン】
https://www.meti.go.jp/press/2025/01/20260123004/20260123004-1r.pdf
【民間企業ベストプラクティス集】
https://www.meti.go.jp/policy/economy/economic_security/best_practice2.0.pdf
【技術流出対策ガイダンス】
https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/download?seqNo=0000308962
【経済安全保障と独占禁止法に関する事例集】
https://www.meti.go.jp/press/2025/11/20251120001/20251120001-2.pdf
2. 「経済安全保障・経営実装5カ条」実践のすすめ
上記の政府資料を自社における経営実装に繋げるにはどうすれば良いか。経営に実装すると言っても、個社ごとに人員規模・業種・業態・海外展開状況・取扱商材の機微性など、経済安全保障上の留意ポイントはかなり異なるはずだ。政府の推奨や、他社の事例がそのまま直接自社内に実装できるとは限らない。冒頭で指摘したごとく、仮に企業内部での経済安全保障の経営実装が進んでいないとすると、これらガイドライン類の「読み解き方」に、今後に向けた現実解が潜んでいるのではないか。本レポートでは、その読み解き方として、「経済安全保障・経営実装5ヵ条」を提言したい。
【経済安全保障・経営実装5カ条】
第1条 「コンプライアンス」より「リスクマネジメント」で考える
第2条 自社の「クラウンジュエル」を特定する
第3条 サプライチェーンをひたすら遡る
第4条 「経済合理性」の経営判断軸に2本目の「経済安全保障」の軸を加える
第5条 経済インテリジェンスの収集・活用体制を整備する
以下、各条について解説するが、経済安全保障とはどんなことかが分かっただけでは、自社の日々の取り組みの中で、今から具体的に何をすれば良いのかが分からない可能性がある。そうした企業は、以下の5カ条をまず実践して欲しい。既に、経営実装で先行している企業の事例に照らすと、経済安全保障の現場化には随所に行き詰まりがちなポイントが存在し、またそれらを上手く処理していくための貴重な工夫が存在する。ここでは、その経営実装の要点を5カ条に整理してお伝えするものである。
第1条 「コンプライアンス」より「リスクマネジメント」で考える
経済安全保障は、外為法や諸外国による経済制裁ルール、経済安全保障推進法など、法令を遵守することで対応すべき点が多々ある。これらは極めて重要であり、違反すれば、罰金や社会的制裁などにもつながるため企業として厳に遵守する必要がある。ただ、実際には、経済安全保障の中には、法律や規則、社内規程を守っていれば済むとは言えない領域が幅広く存在する。特に、人権・レピュテーションリスクやサイバーセキュリティ、技術流出、サプライチェーン途絶や地域紛争・有事対応など、挙げればきりがないほどである。
コンプライアンスの観点では、守るべき「基準」を確認し、それを守っている限り問題ないという約束事があると言えるが、経済安全保障の場合、サプライチェーンの途絶や有事対応など、いくら法令を遵守していても避けられないリスクがある。また、経済安全保障に関わる国内外の規則は、基準が曖昧であったり、頻繁に変更されたりするとの指摘もある。地経学リスクの時代にあって、外部環境の変化は驚くほど速い。2026年初からのベネズエラへの軍事介入や、米国とイスラエルによるイラン攻撃と、その帰結としてのホルムズ海峡封鎖など、昨日までは想像もしていなかったことが突然起こり、その時点からそれを前提としてビジネス上の対応をしなければならなくなるのである。予めすべての事態を想定し、事前に対応のルール・基準を作って、というのは現実的ではない。また、基準の明確化を求められる側ですら判断し切れないといった事態も多々出て来るだろう。そんな時に「基準」の確認ですべてを乗り切ろうとするのは寧ろ無理がある。
ここでもう一度思い出して頂きたいのは、経済安全保障は「安全保障」なのだということである。自社をとりまく安全保障の環境がどの様になった場合、何がどう問題になるのか。それを自社として責任をもって判断するのが企業にとっての経済安全保障である。他者が作った基準ですべてを判断しようとすること自体、無理がある。あくまでも自身の頭で考え、自社の方針として危機的な状況にどう対応するのかを考える。それが企業にとっての経済安全保障の本質だ。勿論、法令・規則のあるものは、コンプライアンスで対応すべきだが、それでは済まないと考えられる事態については、直ぐに頭を切り替え、自社の行動が安全保障上どのような意味を持つのかを自らの頭で考え判断を下せる様な「現場」や「経営意思決定ライン」を整備していくことが重要だ。「コンプライアンスよりリスクマネジメント」というのは、言い換えれば「誰かに基準を確認するより、社員自身の中に判断の軸を持たせる」ということである。
第2条 自社の「クラウンジュエル」を特定する
王冠には巨大な宝石が付き物である。王冠だけなら金と職人がいればできるかもしれないが、巨大な宝石は誰もが入手できるものではない。企業にとっても、自社のクラウンジュエルが何かは極めて重要であり、どんな企業であっても不断に意識し特定できている筈だ。ところが、ここに経済安全保障の観点が加わると、守るべきことの意味合いが少し変わる可能性がある。要するに、自社の強みの中で「国家安全保障及び自社の経済安全保障にとって重要な商材・技術は何か」という質問に変化するということだ。自社にとって強みだが、国家安全保障上の機微性は無い商材・技術や、自社にとっては必ずしも最重要の時期は過ぎたものだが、グローバルにはまだ優位性があり、国家安全保障上の機微性を持つ商材・技術などもあり得るということだ。そうしたクラウンジュエルを特定するのが、自社の経済安全保障を考える際の第一歩となる。
しかしながら、実際には、この特定がかなり難しいという認識が現場には存在するようだ。既に、部署毎に何が経済安全保障上の機微商材・技術なのかを経営企画部宛てに申告させる取り組みをしている企業もある。ところが、現場の部長からすれば、今まで通常通りのビジネスをして来た商材を、敢えて「経済安全保障上機微な商材」と会社に申告することで、データ管理や人的管理、追加ルールの制定、モニタリング・報告義務など、様々な対応が必要になる。勿論、どう考えても挙げるべきものは挙げるだろう。ただし、どちらとも取れるような微妙な線のものは報告されない方向に現場のインセンティブが働く可能性もある。その様にして集めた結果で、自社のクラウンジュエルは本当に守り切れるのだろうか。
日本の大企業は、過去に長く続いた経営多角化の時代に、幅広い産業分野に展開している場合が多い。どんな企業であっても、例えばヘルスケア、農業、または半導体材料や宇宙、ソフトウェアまで、かなり幅広く経済安全保障上の機微商材・技術が存在する可能性もある。問題は、こうした自社の全分野の取り組みを把握して経済安全保障上の重要性の有無を明言できる社員がどれだけいるかということにある。実は、企業が取り組むべき経済安全保障対応の第一歩は、外部情報の入手ではない。外部情報をどれほど集めたとしても、自社がどの国でどの商材を扱っているかが整理・特定できていなければ、どの情報が自社にとって重要かが判定できない。当たり前のことではあるが、自社のビジネスを精査し、安全保障の観点でのクラウンジュエルを特定することこそが、経済安全保障対応の第一歩なのである。
経済安全保障上のクラウンジュエルを特定することの重要性について、もう一つの側面を挙げておきたい。それは、経済安全保障対応をしなくてよい領域を作る、ということである。自社の中には、経済安全保障上の機微と考えられる商材や技術に該当しないものもある筈だ。むしろ、そういった非該当部分が主体の企業も多いだろう。そうした非該当の商材・技術についてまで経済安全保障上の対応をする必要はない。経済安全保障が重要だからといって、全社にわたってルールやチェック体制を作ることは、かえってオーバーコンプライアンスとなり、不要なリスク対策により事業採算の圧迫にしかつながらない可能性もある。間違いなく避けるべき取り組み方だ。米国のバイデン政権時代に経済安全保障のキーワードとなった表現に「Small Yard High Fence」がある。守る範囲は極力限定し、そこだけは高い壁を立てて守るという方針である。過剰な規制はビジネスの圧迫に繋がり、経済面での悪影響にも繋がるため、あくまでも経済安全保障上どうしても必須と考えられるものを特定し、それ以外は従来通りの取引を可能とするという発想だ。自社のクラウンジュエルを特定するというのは、まさに自社における「Small Yard High Fence」の政策を作ることであり、非常に重要な意味を持つ取り組みと言える。
第3条 サプライチェーンをひたすら遡る
経済安全保障上のクラウンジュエルが特定できたら、次にその商材についてのサプライチェーンをひたすら遡ることが必要になる。自社がその強みとなる商材を継続的に提供するためには、その製造に必要な装置・材料・副資材を継続的に入手できなければならない。それを平時に確認し、特に、重要な部品や材料が特定の国家や企業に握られている状態、つまりチョークポイントが存在するかを確認することが重要になる。
ホルムズ海峡の封鎖により、昨今サプライチェーンの議論が一段と活発になっている。半導体製造で言えば、ヘリウムや臭素について、ホルムズ海峡やバブ・エル・マンデブ海峡がチョークポイントとなり、将来、半導体製造の歩留まりに問題が生じる可能性がある。しかしながら、このサプライチェーンの調査というものは、実は簡単なものではない。勿論、簡単に遡って確認できるものもあるが、中には遡上調査が困難なものもある。特に、工業製品の中でも川上に行けば行くほど、商材が鉱物そのものであったり、化学品原料であったりと、流通ルートの確認が難しいものが多くなる。そうした物資について、サプライチェーン途絶への対応をしようとすると、新規鉱山開発や、単位当たりの使用量を減らす技術開発、全く別の代替技術の開発、リサイクルの推進と言った取り組みが不可欠となる。仮に、こうしたサプライチェーン上の供給途絶が懸念される物資が遡上調査で見つかった場合には、自社の一大事として、腰を据えて経済安全保障対応をしなければならない。そして多くの場合、自社のみで解決できるものではない可能性が高く、経産省や関係省庁、同業他社などとも情報交換、必要な連携をして対応していくことが必要になる。各種の対応については、経済安全保障推進法による政策金融なども受けられるため、先行事例などを確認することが重要だ。
こうした自社のクラウンジュエルやサプライチェーンの遡上調査について、大企業であれば、作業・確認するだけの人的リソースがあるが、中小企業にはそうした人材が無く、経済安全保障の対応ができないのではないか、との疑問もあるだろう。しかしながら、筆者は、それは逆であると考える。中小企業でスタッフがいないなら、まずは社長と調達、経理のマネジメント3人で、①自社の商材に安全保障上の機微なものはあるか、②サプライチェーン上、どの様な国でのビジネス関与があるか、について膝詰めで2時間も議論すればある程度の概要把握・リスク判断は出来るだろう。業種が限定的でビジネス範囲が限られていればいるほど、社長と側近のみで把握できる可能性は高い。中小企業の経営者は、とにかく一度、自社の商材とビジネス関与国を、「安全保障」の観点で点検する機会を持つべきである(経済安全保障の観点で、というと焦点が曖昧になるため、敢えて国家の安全保障の観点で考えて頂ければ、的確な分析ができると考えている)。この時、地域に関しては、今紛争が起こっている、または起こると想像される国や地域を念頭に置き、商材に関しては、安全保障に直結するような商材・技術を念頭に、自社に該当がないかをチェックすることが必要である。
それならできる、という経営者の方は多いのではないだろうか。こうしたことに関し、一度まとめて確認し仮に問題無いとなれば、その企業は基本的に経済安全保障については手間をかけて対応する必要はない。逆に、懸念となる事項が多く見られた企業は、ビジネス規模が小さいから不要ということではなく、安全保障上の重要な意義を持つため、十分な検討・対応が必要となる。もし、社内リソースで十分な検討が出来ないようであれば、経産省などに一度相談すべきだ。経済安全保障推進法の改正案でも、こうした企業に対する支援の観点が追加される見込みである。
第4条 「経済合理性」の経営判断軸に2本目の「経済安全保障」の軸を加える
企業が経営判断をする際には「経済合理性」が最重要の判断軸になる。定量的な分析により十分な利益が見込まれるから案件実施の判断が為されるということだ。ところが、地経学リスクの高まりにより、この判断軸にもう一つ「経済安全保障」の判断軸が必要になってきている。グローバリゼーションの時代にあっては、どんな国であっても安く買えるならそれが正解、高く売れるならそれが正解だった。輸送コストや保険料なども勘案し、経済合理性で判断すればよかった。ところが、ホルムズ海峡封鎖が現実のものとなり、台湾有事なども取り沙汰され、レアアースの輸出規制や米国の一方的な関税などが日常的に実施される現状においては、明らかに「今安く買えればそれでよい」、「今高く売れればそれでよい」という時代は終わったと考えられる。低価格だからと言って一国に極端に依存している場合、その国が輸出を止めることで供給が止まり、在庫を使い切ったら生産が停止する。また、米国は、技術ギャップ戦略という形で、技術の対中国輸出を禁ずる一方で、自国の技術力・製造力の再興を目指している。日本に対しても、半導体製造装置などについて、対中国輸出規制での共同歩調を求めて来ている。日本の製造業は、「原材料の輸入」、「製品の輸出」という両面で、経済安全保障を明確に意識して経営判断をせざるを得ない状況に置かれているのである。
ある企業の事例で、自社内に設置する監視カメラの銘柄を選ぶという研修の話を伺った。製品A、B、Cについて仕様・性能はA、Bが良好で、Cが低め、価格はAが高く、B、Cは低いという設定であった。受講者は性能が良く価格が安いBを選ぶが、その後でメーカーの国名・企業名を開示し、Aは国産、Bは米国政府がソフトウェア上のバックドアからのデータ流出懸念により使用を禁止している企業のものだと判明したとする。受講者は、その情報に触れると当然の様にAを選定し直すことになる。この追加情報による選択の修正こそが経営判断における第二の軸、「経済安全保障」の軸に他ならない。地経学リスクの時代、企業の社員全般に、こうした「経済安全保障」の第二の判断軸を考え合わせることを身体知化して頂く必要があるということではないだろうか。
第5条 経済インテリジェンスの収集・活用体制を整備する
最後は、経済インテリジェンスの収集・活用体制の整備である。経済安全保障を考える際、まずは外部情報の収集から始める企業は多いだろう。収集対象となる情報は、地政学情報、安全保障貿易管理情報、主要国政策情報、同業者の対応含むビジネス関連情報など多岐にわたる。ところがひと口に収集・活用体制といっても、より解像度を上げ、対応する部署に即して考えると、別の姿が見えてくる。安全保障貿易管理は法務・物流管理部などが中心、主要国政策情報は渉外部などが中心となる可能性があるが、やはり同業者の対応やビジネス関連情報など含め、直接採算責任をもって活動しているビジネス担当部署が主体的に収集対応していると考えられる。一方、経済安全保障の専門部署が集めるのは地政学情報になることが多い。ここに、もう一歩の工夫が必要な構造課題が存在する。個々のビジネス担当部署は、人的リソースの制約もあり、地政学全般について情報を収集・分析するだけの余裕がない。一方で、その補完のため全社レベルで地政学情報を収集しているコーポレートの専門部署の立場では、どのビジネス担当部署がどの情報を必要としているかの判断がつかない。実は、第2条、第3条で自社ビジネスについての調査・深掘りをしたのも、外部からの情報を社内で有効活用するための布石ということができる。
重要なのは、外部情報と内部情報、地政学情報とビジネス情報とをつなぎ合わせ、自社の経営判断に資する経済インテリジェンスに昇華させることだ。それをどの部署でどの様に組織的に実装するかは、企業ごとで個別事情に応じた対応となるだろう。経営実装の中で求められるのは、必ず、地政学/ビジネスのどちらの領域も一人で十分に理解できる社員を置き、そこに内外からの収集情報と一定の分析権限とを与えることだ。通常、組織の一員である以上、自組織の担当役割を越えた情報収集・分析は難しい。地政学情報の担当は地政学情報には詳しくても社内ビジネス情報が分からず、逆にビジネスの担当は地政学情報が分からないというのが一般的な状況と考えられるが、それでは経済インテリジェンスと呼べるレベルの分析結果を生み出すことは難しい。地政学/ビジネスが交差するポイントを上手く見出し、その重要性を地域軸/ビジネス軸の両方で判断し、全社におけるチョークポイント存在の仮説を立てるといった役割こそが重要なのである。
外部情報を収集して経営層に報告するということなら、コストをかければ簡単にできる。しかしながら、それで経済安全保障を経営実装したと言えるだろうか。企業は、上記で言う地政学/ビジネス横断のチョークポイント仮説を立てられる人材、組織を作ることをまず実行すべきだ。これを達成できた企業は、経済安全保障の経営実装に大きく近づいた企業と言えよう。「経済インテリジェンスの収集・活用体制を整備する」という一般的な表現では表し切れない、企業の潜在的課題がここにある。
おわりに
本レポートでは、経済安全保障の経営実装5カ条という形で、社員が「基準の確認」で右往左往するのではなく、自ら経済安全保障の本質を理解し(第1条)、経営判断の際にも必ず経済合理性に加え経済安全保障の判断軸を考慮することを身体知化すること(第4条)、自社のクラウンジュエルを特定し(第2条)、それをサプライチェーンの川上まで遡って対応力を高めること(第3条)、そして地政学・ビジネスの両方を同時に理解する人材が自社における地経学リスクの所在の仮説を提示できる経済インテリジェンス活用体制を構築すること(第5条)の必要性を説いてきた。
しかしながら、まさに「言うは易し」である。どんな企業でもその様な取り組みが既に完全にできているとか、ほぼ達成しているといったところはないものと考える。とは言え、するべきことは既に明白であり、後は経済安全保障の経営実装をどれだけ本質的な意義のある取り組みとして実践できるかにかかっている。政府、経産省もサポートする姿勢は明確であり、シンクタンクやリーガルファーム、コンサルティングカンパニーなども総力を挙げてこの国家の一大事に民間企業をサポートする体制を作っている。経済安全保障の主役は民間企業である。政府などがどれほど真剣にサポートしようと思っても、肝心の民間企業側が真剣に取り組まない限り、経済安全保障の強化は望めない。日本が諸外国から「経済安全保障先進国」と見られている今のうちに、民間企業の内部にわたっても、経済安全保障を経営実装していくことが喫緊の課題と言える。



主任客員研究員
2024年5月より地経学研究所にて現職 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1992年に総合商社入社。事業投資審査、与信取引審査、不動産事業審査、カントリーリスク分析、取引先格付、業界分析、産業メガトレンド分析、国内事業戦略、海外拠点戦略等を担当し、2021年より経済安全保障担当(経済安全保障コーディネーター第1期 修了)。2006年~2017年の11年間、総合商社シンクタンクにて、全事業分野に亘る業界分析業務に従事し、特にValue-Chain分析を専門とする。 2015年、東京大学Executive Management Program 第12期修了
2015年~2017年、科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター事業評価委員
2017年、文部科学省ナノテクノロジー・材料分野の研究開発戦略検討作業部会(第3回)にて「2050年に向けた産業メガトレンド」提言。
2025年、経済産業省経済安全保障ガイドライン研究会委員
2025年11月単著『地経学リスクからみた経済安全保障20の新常識:日本企業のための基礎知識と部署別対応』を中央経済社より出版 











