先端半導体製造工場支援のための10の視点~九州・熊本における取り組み課題の整理

はじめに
果たして日本は先端半導体製造強国として返り咲くのか。今、世界が日本に対して注目しているポイントの一つである。日本が世界半導体出荷額の半数を供給していた時代から現在までの30年超、半導体製造シェアはまさに低下の一途を辿って来た。そうした状況を打開するため、日本政府が先端・最先端の製造工場を国内に誘致・設立することを決定してから既に3年ほどが経過している。熊本のJASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing)では、既に第一工場で量産が開始され、第二工場の計画も進んでいる。北海道のRapidusも、既にIIM(Innovative Integration for Manufacturing)と呼ばれる工場が完成し、2025年7月の試作品完成を目指している。先端半導体の大規模ファウンドリとしては「日本初」となるこれらの試みは、国を挙げて成功させるべき重大事であり、経済安全保障の観点でも、少しでも早い製造能力の確立が期待されている。
筆者は、2025年1月のIOGコメンタリー「先端半導体工場誘致の最後のミッシングピース」で、非常に難易度の高い先端半導体の製造には、通常の製造業では想定されない様々な課題が存在し、それらを解決しつつ高歩留まりの操業を維持するためには、台湾でTSMC等が確立している新竹サイエンスパークの操業エコシステムを参考にすることが有効であるとの仮説を提起した。今般、先行する熊本のJASMに関し、具体的な課題について、より解像度を高めた状況把握を行うべく、福岡、熊本での調査を行い、「先端半導体製造工場支援のための10の視点」を取り纏めた。本コメンタリーでは、主に半導体の特性に基づく5つの課題に加え、必ずしも半導体に限らず一般的に生じると考えられる5つの課題の合計10の視点につき網羅的に解説し、日本及び台湾の半導体・地域関係者に、今後に向けた検討のポイントを提示することを目的としている。
1.半導体の特性に基づく5つの視点
まずは、「半導体の特性に基づく5つの視点」を挙げるが、それに先立ち、半導体業界の特性とは何か、簡単に振り返っておきたい。一つ目は技術的な難しさである。極めて高度な「科学実験レベル」の製造工程を数百から千を超えて実施し、全ての工程で一定以上の歩留まりを達成しなければ商業生産としての採算がとれない。技術的難易度は極めて高く、その為、世界中でも半導体の製造ができる国は僅か、且つ、企業の数も極めて限定される状況となっている(詳細は地経学ブリーフィング「半導体サプライチェーンのチョークポイントを探る」2024年11月7日参照)。
二つ目は情報セキュリティの厳しさである。これは厳密な定義や捉え方がある訳ではなく、半導体業界全体の中でもTSMCがとびぬけて厳しいということかもしれないが、各所におけるヒアリングの中でも、TSMCの厳重な情報管理体制が話題になることが大変多かった。このことは、TSMCが1社単独で世界の最先端半導体の大半を製造しているという事実と底流で関係しているものと考えられる。
大変注目されていながら、技術的に極めて難しく、情報セキュリティも非常に厳しいために、外部からの理解が行き届きにくい業界。それが半導体業界であり、TSMCはその中でも圧倒的な先進企業なのである。
熊本では新竹の様なサイエンスパークもいまだ存在しない中、同社が難易度の高い操業を継続していくことは必ずしも容易なことではないと考えられる。日本側も国を挙げて必要な側面支援をする必要があり、そのためにも、まずは、日本側関係者の中で、半導体業界の特性を基礎的な共通理解として持ったうえで、対応を進める必要があるのではないか。それ無しには、折角の支援が適切な支援とならない可能性もある。ここでは、まず半導体業界・TSMCのビジネスの特性を踏まえた、5つの支援のための視点について解説する。
視点1 アカデミアによる高歩留まり操業支援体制の確立
原子層レベルでの微細加工が必要な半導体製造においては、全く同じ仕様の装置、全く同じ仕様の材料を使っているにもかかわらず、所定の歩留まりが出ない場合がある。その際には、装置メーカーの担当者と共に、大学の研究者が綿密な計画を即座に立てて対応するというのが新竹サイエンスパークで行われている操業支援システムである。想定される多数の検証ポイントにつき、最短の手間・時間で検証し、所定の歩留まりに一刻も早く達するためには、博士レベルの高度人材が必要になる。新竹においては、半導体製造メーカーと大学とが近接しているため、「顔の見える範囲」で、こうした操業支援が行われている。今後、JASM第二工場では、6~7ナノメーターレベルの最先端に近い半導体の製造が予定されており、新竹並みとは行かないまでも、最小限の産学エコシステムは必要なのではないかと考えられる。
実際には、既に熊本大学、熊本県立大学、九州大学等が人材育成を始めとする様々な取り組みを実施しているが、新竹におけるTSMCと陽明交通大学の様な操業支援システムが日常レベルで確立できるかは、今後注目されるところである。また、万が一、在九州の大学のカバー範囲を超えるニーズが出て来た場合には、域外大学との連携等含め、日本の英知を結集して対応する必要もあるかもしれない。
視点2 高度材料調達に関する課題対応
半導体製造に使用される金属シリコンは11ナイン(99.999999999%)であり、洗浄液等の薬液類も5ナイン、6ナインという高い純度が必要になる。純度が高く、また、劇物など取り扱いに留意の必要な材料・化学薬品を搬送するにも、通常以上の手間と工夫が必要である。稀にタンク内壁からのパーティクル剥離等で薬液の純度が低下してしまうと言った話もあり、そうなれば製造ラインへの投入は不可となり、万一そうした材料が製造ラインに混入すれば、即座に歩留まり低下に繋がってしまうのである。そのため、物流面での特別な対応や、万一純度が低下した場合の対応措置を工場近接地にて簡易に採ることが可能であるのか、そのための事業者の集積が必要となるのかなどについて検討することが有効と考えられる。
視点3 装置サービスマンの定着支援
半導体製造装置には様々なものがあるが、中には取り扱いや補修等が極めて難しいものもあり、そうした装置が故障や正常稼働しない場合には、装置サービスマンは、24時間体制での対応が必要となる。高度に自動化された製造ラインは24時間操業であり、万一装置が止まれば止まった時間分だけ営業損失に直結するからだ。一度停止すると再稼働に多大な時間とコストのかかる装置もある。現場でそれを支える装置サービスマンは、高い技術を持っていながら厳しい労働環境に置かれることになり、定着率に課題があるとの指摘がある。こうした状況を踏まえ、生活環境なども含めた装置サービスマンの有効な定着率向上の取り組みができれば、雇用主である装置メーカーやサービス利用者としての半導体メーカーに対しても、一定の支援・貢献に繋がるのではないかと考える。
視点4 半導体人材教育・訓練体制の確立
半導体の人材育成は、極めて重要な課題として、政府レベルから地方行政レベル、大学、民間企業等で様々な取り組みが為されている。但し、ここでも半導体業界の特性による課題がある。それは、「半導体人材」とは具体的にどのような人材なのか、の特定の難しさである。博士レベルの高度人材を指すのか、装置のメンテナンス人材を指すのか、クリーンルーム内で作業をする人材を指すのか等、多くの場合、具体的な問題を指摘しないまま議論が展開されているのが実態ではないか。人材が足りないと言う話は頻繁に聞かれるが、すでに操業を開始しているJASMがどのような人材を求めているのかが明らかにされていないため、大学なども、どのような人材を育成すべきか判断が難しいであろう。具体的に先端半導体製造のどの工程で活躍できるのかが明らかになることで、日本の各地の人材育成機関が、具体性のある育成方針を立てることが出来る。また、特定の訓練施設で所定の実践プログラムを修了した人材は半導体メーカーに優先的に就職できるといった認定の仕組を半導体メーカーと連携するかたちで立ち上げるのも一つの発想であろう。
視点5 情報漏洩対策
半導体産業の特性に「情報セキュリティの厳しさ」があると述べたが、そうであれば、他の産業や、大学を卒業したばかりの人材は、その厳しいルールについて、どこかでしっかりと学ぶ必要がある。特に世界最先端のTSMCの製造に少しでも触れることを考えれば、人間関係を通じて情報窃取を狙う対象になってしまうリスクもあるため、通常通りの「規則を守る」という観点を越えた一定の対応が必要になると考えられる。具体的には、公安調査庁と連携し、過去の窃取事例を理解するなど新たに半導体産業に従事する人材に対して技術窃取対策に特化した研修を行うなどが考えられる。
2.半導体以外でも生じ得る一般的な5つの視点
次に、必ずしも半導体だから生じる訳ではない、より一般的な課題について5つ挙げる。
視点6 水に関する課題への対応
熊本では過去に水俣病が発生した経緯があり、水を工業利用することに関して、水質汚染や水不足を懸念する傾向がある。企業として、法令に基づいた適切な処理が不可欠であることは言うまでもないが、地域コミュニティ等に対しても、必要に応じ、丁寧な説明を行っていく姿勢が求められる。
半導体製造は、成膜、エッチング、平坦化などの多段階の工程を繰り返すが、各段階で、洗浄の工程が必要で、そのため大量の超純水を要する。TSMCでは既に3.5回転分、水のリサイクル利用をしていると報道されているが、こうした水の利用に関する取り組みは、熊本においても非常に重要な観点である。
視点7 材料リサイクル・廃棄物処理への対応とグリーン電力の導入支援
水に加え、薬液等についてもリサイクルによる再利用が重要になる。これは、企業の環境面での「対外開示」上の必要性という観点と、地経学上重要な物資の供給不足への対策という観点から重要になる。工場内でリサイクルできない廃棄物については、外部に委託しての処理が必要だが、一つの地域内では対応可能量にも限界があり、今後、他の地域との連携や地域内事業者の拡充といった処理体制の整備が求められる。
また、再生可能エネルギー利用も対外開示の重要ポイントであり、如何にグリーン電力を調達するかも重要な観点である。日本では、洋上風力や水素等、現在様々な取り組みが行われており、こうした強みを活かすことが求められる。特に、再生可能エネルギーによる発電で得た電力で水を電気分解し水素を得る仕組みは、低排出の観点のみならず、エネルギー安全保障上も重要になると考える(「サントリーグリーン水素ビジョン」等の取り組みが進んでいる)。
視点8 台湾企業の進出上の課題特定と対応
TSMCの熊本進出に際し、台湾のサプライヤー群の熊本進出が大いに期待されたが、実際には、一定の土地や設備を必要とする「企業立地協定」を熊本県との間で結んで進出した台湾企業は5社のみである(営業所の開設などは数十社あるといわれているものの実数は不明)。現地関係者からは、もう少し進出数が多いと期待していたとのコメントがあった。
台湾サプライヤー企業の進出が想定より少ないことには、いくつかの理由があると考えられる。まず、日本の企業は、1985年のプラザ合意以降、大幅に海外に製造進出したため、多かれ少なかれ日本企業には海外展開の経験が根付いていると考えられる一方で、台湾企業の場合、過去に中国大陸に進出した経験はあるが、言葉や文化が異なる海外への進出にはそれほど慣れていない可能性がある。これは、日本側では気付きにくいポイントかもしれないが、日本で当たり前のことが他でも当たり前であるとはかぎらない。海外進出に慣れていない台湾企業が熊本に進出しようと考えても、具体的にどのように話を進めたらよいかが分からないというケースもあると思われる。更に、日本進出に当たり、適正なビジネス規模を確保するためにも熊本だけでなく他地域にもビジネスを広げることが重要だが、そもそも対外製造進出に慣れておらず、日本の半導体メーカー向け商流への関与もなかった台湾企業にとっては、日本でのビジネス開拓は個社の手には余るものかもしれない。その為、台湾企業の導入サポートの観点で、販売代理店としての日本企業の起用や、日本の銀行や企業などとの連携の仕組みつくりが有効であると考える。
視点9 台湾人高度人材の生活環境確保
TSMCの本社のある新竹市の平均家計所得は台北市よりも高い。それゆえ、熊本でも所得水準の高い高度人材とその家族が生活していくための生活環境の整備も重要な観点となる。現在は、住居や交通手段、賑わい施設等が限られ、深刻な交通渋滞など、必ずしも至便とは言えない状況である。これらについては、地域行政や民間企業の努力により、順次改善されていくと考えられるが、子女の教育、ショッピング、エンターテイメント等、幅広い分野で引き続きの対応が期待されている。
視点10 クリティカル・ミネラルのサプライチェーン途絶への対応
最後の視点は、クリティカル・ミネラルのサプライチェーン途絶の問題である。これは、蓄電池や永久磁石におけるレアメタル・レアアース等にも通じる課題であるが、半導体の場合にも、ガリウム、ゲルマニウムやアンチモン等、既に中国による輸出制限の動きが顕在化している物資があり、ものによっては半導体製造への影響も懸念される。半導体関連に限定していえば、足元で深刻な影響は報道されておらず、日本企業も代替品の確保、在庫積み増し、新規鉱山の開発等含め必要な対策を進めているが、今後、米中対立が続けばこうした規制は続くことが想定されるため、それを前提に、必要な対策をしておく必要がある。
3.結論
本稿では、熊本における先端半導体製造工場支援のための具体的な視点を網羅的に検討してきた。本稿の元となる原稿を「日台半導体技術促進会」設立大会で報告したが、その際、台湾側からの追加的な視点として、就労ビザや税金関連、JASM以外の就労先の少なさなどが挙げられた。
現在、熊本・九州は、TSMCの進出で大いに活気づいており、この流れを更に産業集積として拡大して行けるかは、半導体関係者ならずとも期待するところである。関係者は、現在可能な限りの支援やビジネスに取り組んでいると考えられるが、熊本では、期待先行で地価が上がる一方、実際の集積は想定ほど進んでいないという。台湾と日本との間で「日台半導体技術促進会」が新たに発足したのも、福岡に台湾側の「台湾貿易投資センター」が開設されたのも、こうした進み方が緩やかとも思われる半導体集積拡大に向けた各種課題を発見し解決することで、期待される集積効果を早急に生み出すためと考えられる。
ここでは、10の視点として、半導体産業の特性に応じた課題とそれ以外とを分けて論じたが、一般的な課題として分類した事項の中にも、極端な水需要の多さ、GAFAM等を顧客に持つことによる厳しい環境面での情報開示レベル、特に高年収の高度人材が集まっていること等、半導体業界の特性が底流にあることには留意が必要だ。ここで、結論としてあらためて強調したいのは、今後の熊本・九州での取り組みに当たっては、「半導体業界が特殊で外部からはやや見えにくい産業であること」、「台湾企業は、必ずしも異文化での工場操業に慣れてはいないこと」という、ともすると忘れがちな構造の理解を、あらためて意識しながら対応すべきということである。熊本・九州において、日本人、台湾人、その他の関係者が、経済的発展と生活の充実とを共に達成しつつ末永く共存していくことを願ってやまない。
【先端半導体製造工場支援のための10の視点】
(画像出典:istock)
おことわり:報告書に記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことを御留意ください。記事の無断転載・複製はお断りいたします。


客員研究員
2024年5月より地経学研究所にて現職 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1992年に総合商社入社。 海外における事業投資審査、国内外与信取引審査、国内外不動産事業審査、カントリーリスク分析、取引先格付、業界分析、産業メガトレンド分析、国内事業戦略、海外拠点戦略等を担当し、2021年より経済安全保障担当(経済安全保障コーディネーター第1期 修了)。 2006年から2017年の11年間、総合商社シンクタンクにて、全事業分野に亘る業界分析業務に従事し、特にValue-Chain分析を専門とする。 2015年、東京大学Executive Management Program 第12期修了 2015年~2017年、科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター事業評価委員 2017年、文部科学省ナノテクノロジー・材料分野の研究開発戦略検討作業部会(第3回)にて「2050年に向けた産業メガトレンド」を提言。
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