トランプ政権/ハリス政権の経済安全保障政策

9月4日のレイバー・デイを超えると、アメリカ大統領選は最終盤に入り、いよいよ選挙戦が本格化する。トランプ前大統領の襲撃事件、現職のバイデン大統領の出馬撤回とハリス副大統領の候補指名など、異例の大統領選となった今回の大統領選挙であるが、ここからは両候補がどれだけ国民にアピールできるかが勝負となる。その際、重要となるのは接戦州と呼ばれる両候補が僅差となっている州であり、それらの州でポイントになるのが、両陣営の示す経済安全保障戦略である。

言うまでもないが、アメリカの大統領選は選挙人の数を争う選挙であり、民主党の地盤、共和党の地盤でいくら得票が伸びても、得られる選挙人の数は変わらない。ゆえに、どちらの党も勝利の見込みのある激戦州が選挙の行方に大きく影響することになる。特に重視されているのが「ラストベルト」と呼ばれる、以前の重工業地帯や石炭・鉄鋼といったアメリカにおける衰退産業が集中するペンシルバニア、ミシガン、ウィスコンシンの3州である。2016年の選挙では「青い壁(Blue Wall)」と呼ばれていた、この3州全てでトランプ氏が勝利し、それがトランプ当選の決定打となった。他方、2020年の選挙では「中産階級のための外交」を訴え、労働組合との強いパイプを持つバイデン氏が3州全てで勝利した。今年の選挙においても、おそらくこの3州での勝敗が決定的な意味を持つことになるだろう。
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ラストベルトでの勝利の方程式

トランプ/ハリス陣営ともに勝利を目指すラストベルトにおいて、勝利するために何が必要になるだろうか。かつてアメリカの繁栄を支えた工場労働者や鉄鋼労働者などが職を失い、望まないサービス業への転換を強いられ、連邦政府や州政府による支援もなく、苦しい生活を続けている姿は、共和党の副大統領候補となったJ.D.ヴァンス氏の著書である『ヒルビリー・エレジー』で克明に描かれている。

もちろん、ラストベルトにもフィラデルフィアなどの大都市や、安定した職に就き、満足いく生活をしている人たちもいる。しかし、激戦州では1万票に満たない票の動きで勝敗がひっくり返る可能性がある。表1、表2にみられるように、ラストベルト3州の票差は大きくなく、2016年のミシガン州では450万人の投票者のうち5000人強が動けば結果が変わる、という僅差であった。2020年のウィスコンシン州でも320万人の投票者のうち1万人が投票を変えれば結果が変わる状況であった。そのため、この地帯で大きな組織票となっている労働組合や、重厚長大産業の労働者だった人たちの要望が公約に過剰に反映される傾向を持つ。

では、ラストベルトで勝利するためには何が必要となるのだろうか。少なくとも明らかなのは、彼らを苦境に陥れた自由貿易を擁護しない、と言うことであろう。自由貿易によって、より生産コストが安く、生産効率が良いメキシコや中国に企業が工場を移転させただけでなく、外国からの輸入品との競争に負けたことで、企業が活動を止めた、という認識が強い。つまり、自由貿易のルールよりも自国の経済的利益を優先し、中国の不正をただす、という戦略を両陣営が取ることは、勝利の方程式として、選挙戦略に組み込まれている。

「関税男(Tariff Man)」の復活

ラストベルトでは両陣営とも勝利の方程式に従って、自由貿易と中国に対する攻撃を激しくするが、そこからのアプローチが異なってくる。トランプ陣営は、第一次政権における経済戦略、とりわけ関税に焦点を当てた通商政策を展開することになるであろう。すでにトランプ前大統領は、全ての輸入品に対する10%の関税と、中国からの輸入品に対する60%の関税という、やや現実離れした公約を掲げている。第一期目から、トランプ前大統領は関税を課すことによって輸出者がその税を負担する、という認識に立っているとみられるが、すでに多くの論者が批判している通り、関税を負担するのは消費者であり、高関税政策はインフレを誘発する。トランプ陣営はバイデン政権への批判として、インフレ対策に失敗した、という主張を中心に位置づけているが、その主張と高関税政策は矛盾する。しかし、それでも自国の産業を保護し、他国に対して経済的な圧力をかけ、貿易黒字を出すことが経済的な「勝利」であると考えるトランプ陣営は、こうした高関税政策の看板を下ろすことはないであろう。

また、関税は自国市場の保護だけでなく、経済的な攻撃手段としても位置づけられている。アメリカに対して関税や輸出規制をかけている国に対しては、対抗措置として関税をかけるとも主張している。WTOの紛争解決メカニズムやアンチダンピング措置として、報復関税が認められるケースがあるが、トランプ陣営は、そうした手続きを省略して報復的な関税をかけることを宣言している。さらに、中国に対しては最恵国待遇(MFN)をはく奪することや、サプライチェーンの強靭化を目的とした、オンショアリング(自国に生産拠点を戻すこと)を主張しているが、具体的な方法は明らかではない。

このように、トランプ陣営の通商政策は、経済安保という観点よりは、中国のみならず、全ての国からの輸入を減らし、貿易赤字を削減することが目的化されている。1980年代における日米貿易摩擦でも、アメリカの貿易赤字は政治的な問題として取り上げられ、日本に対して様々な政治的な圧力をかけることで貿易不均衡を是正するという政策が採られたが、この時は同盟国であり、アメリカに安全保障を依存する日本に対して、様々なレバレッジを持っていた。しかし、中国は同盟国どころか、安全保障では対立的な関係にある相手であり、かつてのようなレバレッジを持たないため、何らかの形で交渉の条件を整える必要がある。そのため、こうした攻撃的な措置を取っているものと思われる。

経済安保関連法の活用

では、ハリス陣営はどのような経済安保戦略をとってくるのだろうか。党大会の直前にバイデン大統領が撤退を表明し、一から選挙戦略を組み立てなければならなくなったハリス副大統領は、まずは党大会を乗り越え、選挙活動を指揮することが重要であり、政策を練るだけの時間はなかったと思われる。ゆえに党大会で公表された政策綱領も「バイデン政権の二期目」といった表現が大量に残るなど、政策が後回しになっていることは明らかである。現時点では、おそらくバイデン政権の継続という基本線を想定する以上のことはできない。

ハリス副大統領はカリフォルニアの司法長官を務め、その後上院議員に転出するも一期目に副大統領になったため、政治的な経験は浅い。そのため、外交や通商といった分野については経験もなく、上院議員時代の投票行動も一貫性があるとは言えない。しかし、こうした法律家としてのバックグラウンドは、今後の経済安保政策を想定するうえで重要な意味を持つことになるだろう。なぜなら、アメリカの経済安保政策は国際緊急経済権限法(IEEPA)をはじめとする、様々な法的措置が採られ、そこで行政府に与えられた権限を活用することが基軸となっている。法律を武器として企業の行動を拘束し、国家の戦略に合わせて経済活動を制御することが経済安保戦略なのである。

そう考えると、ハリス副大統領が当選すれば、アメリカ市場はこれまで以上に法的な制約の多い社会となり、経済的に自由な活動が制約され、その活力が失われていくことになるかもしれない。それはトランプ政権が出来た場合の関税中心の経済安保政策であっても同様であろうが、法的な制約がかかる市場は、規制の多い市場となり、これまでの経済活動の自由を成長の原動力にしてきたアメリカ、という性格が失われていく可能性もある。

つまり、11月の選挙の結果がどうであれ、アメリカの経済安保政策は保護主義的な性格をより強くし、企業活動には魅力が薄れていく政策を展開していく可能性が高くなる、ということが想定される。それはすなわち、第二次大戦後の自由貿易を率いてきたアメリカの姿は後景に退き、自らの経済安全保障を確保するために関税を引き上げ、規制を強化する大国として立ち現れてくることを意味する。日本は、そのアメリカとどう対峙していくのか。また、こうした内向きの姿勢を強めるアメリカが国際経済秩序にどのような影響を与えるのだろうか。アメリカに対抗して、中国は同様の内向きの経済安保戦略を取ることになるのだろうか。アメリカの同盟国、同志国は、同様の経済安保戦略に同調することになるのだろうか。いずれにしてもはっきりしているのは、今回の選挙が日本の経済にとって、また国際経済秩序にとって、より一層悩ましい課題を突き付けることになる、ということだろう。

(Photo Credit: Shutterstock)

鈴木 一人 地経学研究所長/経済安全保障グループ・グループ長
立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授
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研究者プロフィール
鈴木 一人

地経学研究所長,
経済安全保障グループ・グループ長

立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究所(IOG)設立に伴い所長就任。 【兼職】 東京大学公共政策大学院教授

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