ドル覇権とデジタル通貨 —デジタル通貨と通貨覇権(第3部)—

第3部である本稿では、まず、ステーブルコインに関して国際連携の動きを紹介する。その上で、有望と思われるステーブルコインではあるが、その本質につき国際決済銀行(BIS)が批判的な議論を展開していることを紹介する。さらにBISの批判に関する筆者の反論についても紹介する。続いて、デジタル通貨による多国間送金イニシアチブとしてmBridgeとアゴラを説明する。デジタル通貨に対する期待の一つに、現在の遅くて割高な国際送金システムに替わる早くて低コストの国際送金への期待がある。mBridgeやアゴラはそうした期待に応えようとする試みだが、どの国が参加しているイニシアチブか、誰がリードするイニシアチブかによって、地経学的なインプリケーションが生じることは避けがたい。現に、中国が中心となるmBridgeからのBISの離脱には、(BISは否定しているものの)そうした地経学的な通貨覇権を巡る競争の影が感じられる。第3部の最後では、基軸通貨であるドル覇権の現状につきおさらいした上で、その覇権は当分は安泰と思われること、他方で、ドル覇権が産み出す武器化をおそれる国々は自国の貿易決済といった部分から徐々に非ドル取引の拡大を志向すること、そして、ドル覇権に落日が来るとすればそれは他国の政策以上に自らの不適切な政策の結果であること(「最大の敵は自分自身」)であることを指摘する。
4.ステーブルコイン:国際連携と本質的懸念
4.1 ステーブルコインの国際連携
これまで、日米を中心に各国のステーブルコインの制度とプレイヤーを見てきたが、より広い国際連携の動きも出てきている。2025年10月10日、日米欧の10銀行が、共同でステーブルコインを発行することを検討するとの発表を行った[1][2]。10銀行は、日本の三菱UFJ銀行、米国のバンク・オブ・アメリカ、シティグループ、ゴールドマン・サックス、英国のバークレーズ、ドイツ銀行、スイスのUBS、フランスのBNPパリバ、スペインのサンタンデール、カナダのTDバンクだ。プレスリリースは、「業界全体での協働がデジタル資産に利益をもたらすかを模索するため」と極めて抽象的だが、今後様々な検討と合従連衡への布石が行われていくのだろう。
また、上記の10銀行に入っていないJPモルガンチェースは、2019年から米ドル預金を裏付けとするトークン化預金であるJPMコインを発行している。JPMコイン は1JPM コイン=1 米ドルで企業のクロスボーダー送金に使われている。JPモルガンチェースの顧客のみを対象とし、中島真志麗澤大学教授によれば、クロスボーダー送金で最も成功しているステーブルコインとのことだ[3]。
4.2 ステーブルコインに関するBISの懸念
これまで見てきたように、ステーブルコインは民間の創意工夫に依拠しつつ、ビットコイン等の暗号資産で生じる過度な価格の変動を取り除くもので、送金や決済において有用な手段との印象を受ける。しかし、通貨が本来持つべき本質的な性質に照らして考えた時、ステーブルコインはどのような評価が可能だろうか。2025年6月24日公表されたBIS Annual Economic Reportはこの問題につき深く考察している[4]。
BISは、通貨に必要な条件として、単一性(singleness)、弾力性(elasticity)、誠実性(integrity)の3つを上げたうえで、ステーブルコインはこれらを満たしていないと主張する。順番に見て行こう。単一性(singleness)とはステーブルコインが額面通りの価値を有し、ディスカウントがないことを意味する。例えば、米国のUSDTとUSDCは、いずれも1ユニットは1ドルの価値を有することを前提としている。しかし、USDTもUSDCも中央銀行の債務ではないため、例えばテザーが1USDTを1ドルで償還する信用力がないと判断されれば、1USDTはディスカウントされ、例えば99.7セントで取引されることとなる。USDCが1ドルで取引されるとすると、信用力に応じてUSDTとUSDCの価値は一致せず、単一性(singleness)は維持されない。F.A. ハイエクの貨幣発行自由化論のように、国家の貨幣独占がインフレを招くので、民間主体が通貨の信用を市場で競う方が通貨価値の安定が高まるという意見は理論的にはあり得る。しかし、現実には19世紀のいわゆる「自由銀行時代」において、米国では各州の州法銀行が独自の銀行券を乱発した結果、取り付け騒ぎが頻発し、金融システムは極めて不安定な状況となった。その結果1913年に誕生したのが米国の中央銀行FRBである。ステーブルコインにおいては、もし各発行主体が十分な準備資産の裏付けを持ってステーブルコインを発行することが担保できれば単一性は確保できそうに思われるが、発行主体がそうした準備資産を保有しているかいなかを確認する必要があり、そこにdue diligenceコストが発生する。こうした点を考えると、単一性(singleness)を当然視できないステーブルコインは、通貨としての欠点を持つ、というのがBISの主張と思われる[5]。
弾力性(elasticity)とは、大きな取引があった場合に、それに柔軟に対応する能力があることだ。中央銀行を中核に置く現在の伝統的な金融システムにおいては、巨額の決済があり民間銀行に対する預金通貨のやり取りだけでは資金が不十分な場合にも中央銀行が即座に流動性を供給できる。ステーブルコインの場合、その供給の増加は、裏付け資産の積み増しがあって始めて可能となるものであり、十分な弾力性(elasticity)が確保できているか疑問というのがBISの主張である。
最後の誠実性(integrity)については、AML/CTF規制(マネーロンダリング対策やテロ資金対策の規制)を課しても、ステーブルコインにおける実効性は伝統的な金融システムに比して不十分となりがちで、誠実性(integrity)の担保の容易ではないとの意見であろう。ブロックチェーンを使った分散型取引は匿名性に特徴があるところ、違法で不正な送金や決済にステーブルコインが利用される潜在的リスクは、伝統的金融よりも高いという主張である。
BIS も、現在の送金・決済システムが完全だとは主張しておらず、むしろ多くの改善点があることに同意している。しかし、それはトークン化を含めて、あくまで現在のシステムの改善によって達成すべきで、3つの条件に疑義のあるステーブルコインの推進には問題が多いという論陣を張っている。BISの主張は、外部性・公益性を有する金融・決済システムを議論する際には、リバタリアン的な安易な市場万能主義に陥ってはならない、という警告としては大変重要なものであろう。他方で、ステーブルコインに関する制度枠組みや監督当局による監視・監督を通じてこうしたリスクを相当程度低減し得る可能性への考慮が不十分であるとの印象を受ける。十分な規制・監督を加えつつステーブルコインの可能性を追求するというオープンマインドな姿勢は、送金・決済システムがデジタル化の恩恵に浴すためにも必要なものではなかろうか。
なお、ステーブルコインにおいて最も気になるのは、準備資産として使われる国債への影響である。ステーブルコインの発行残高が増加するに従い、国債の需要は増加するだろう。それは、国債の安定消化(財政赤字の低利でのファイナンス)という観点からは好ましく、米国のジーニアス法の提案者であるハガティ上院議員が法案の意義の説明に際して「米国債への需要を増や」すことを明確に述べた所以でもある[6]。しかし、ステーブルコインの償還が殺到した場合にどのような状況が生じるだろうか。例えば、ステーブルコインを大量に発行しているA社に対して、その準備資産の質に不安を感じた保有者が償還を求める。こうした動きがSNS等で共有され、A社への償還請求が雪だるま式に増加する。準備資産の相当部分は国債であろうから、A社は国債を市場で売却して現金に換えて償還に応じる。国債価格は下落し、金利は上昇するだろう。こうしたリスクについては、制度設計においても十分な考慮が必要であろう。預金保険的な制度の導入や、中央銀行による流動性供給といった措置は、コストやモラルハザードとのトレードオフに留意しつつも、その適否を検討してもよいのではないか。他方で、こうしたリスクを過大評価することも避ける必要はある。通常の民間銀行は、預金の大部分は貸出に回し、準備金は一部だけという、いわゆる部分準備銀行(fractional₋reserve bank)として活動している。ステーブルコインの発行主体は、法律上、発行額相当の全額準備が求められており、その意味では通常の民間銀行との比較において取り付けの発生の蓋然性は低いはずである。こうした本来有するステーブルコインの頑健性を保つためにも、準備資産の十分な監督と頻繁な情報公開は重要であろう。
5.多国間送金イニシアチブ
デジタル通貨が注目されている要因の一つに、決済・支払いの効率を高め得ることがあるが、特に、現在のクロスボーダー送金については、コストが高く時間もかかるとして人々の不満が強く、デジタル通貨の導入・普及によりそうした不満が解消されることへの強い期待がある。クロスボーダー送金システムの構築には、多国間での協調が必要となる。こうした多国間協調は、イニシアチブへの参加者の顔ぶれ、誰がリードするイニシアチブかによって、純粋な経済効率の向上というメリットを越えて、地経学的な含意、通貨覇権への影響も持ち得ることとなる。そうした背景の下、ここでは2つの代表的な多国間送金イニシアチブにつき見ていきたい。
5.1 mBridge
mBridgeはもともと香港金融管理局(HKMA)とタイ中央銀行(BOT)の共同プロジェクトを源流とする。両当局は2019年にクロスボーダーコリドーネットワークというプロトタイプを開発。その後、2021年に中国人民銀行とUAE中央銀行も参加。多国間クロスボーダー決済の研究が進められ、2022年夏には商業銀行も参加する形でパイロット実験が行われた。その後、2024年にサウジアラビア中央銀行も参加している。mBridgeは二層構造であり、一層目は国内の中央銀行と商業銀行の間のホールセール型CBDCネットワーク。二層目は、mBridgeネットワークとよばれるオフショアのコリドーネットワークだ。分散型台帳が利用される。
mBridgeの中核が中国人民銀行である点は疑いがない。中国はCBDCの準備を率先して進めており、各国のCBDCをベースにしつつ、それをmBridgeネットワークで架橋することは、決済の効率化・迅速化と共に、ドル決済にともなう米国の管理・容喙から解放されるという意味で地経学的なメリットは大きい。
米国を含む西側の金融制裁に苦しむロシアは、2024年10月のBRICS首脳会議において、mBridge技術に基づき米国等の制裁を受けない形でBRICS諸国間の送金・決済ができるようなBRICS Bridgeの早期立ち上げのための議論が行われるように動いていたと思われる。しかし、2024年10月のBRICS首脳会談でそれが真剣に議論された、あるいは前向きな結論が得られた、という情報は確認できない。制裁回避の動きと取られれば米国の強い反発も予想される中で、BRICSも一枚岩とはなれなかった可能性がある。他方で、2024年10月31日、それまでmBridgeをコーディネーターとして支援してきたBISが、mBridgeからの脱退を表明した。BISのアグスティン・カルステンス総支配人は、撤退の理由について「失敗したからでも、政治的配慮のためでもなく、私たちが4年間関わってパートナーたちが自分たちで運営できる水準に達したためだ」と説明した[7]。BISは、mBridgeを含む自らの活動は制裁逃れ等のためではないという点はこれまでも強調していた。米国の制裁から自由になるためのBRICS Bridgeの推進というロシアの主張が、BISのmBridgeへの関与継続を難しくした可能性は否定できないだろう。
5.2 アゴラ
西側諸国も分散型台帳技術を用いた国際的なプラットフォームの研究を行っている。プロジェクト・アゴラと呼ばれる国際実験プロジェクトには、日、米、英、仏(ユーロ)、韓、墨、スイスという7法域の中央銀行と、複数の民間金融機関の、合計50近い機関が参加している。分散型台帳を応用して共通プラットフォームを作り、その上に7つの中央銀行預金口座、40ほどの民間金融機関の預金口座を載せて、通貨交換を伴うクロスボーダー送金を24時間いつでもできるようなインフラ構築を目指すものだ。分散型技術を用いたプラットフォーム上で権利移転される銀行預金は「トークン化預金」と呼ばれるが、プログラマブル[8]である点が特徴である[9]。日本銀行は、プロジェクト・アゴラが「統合台帳」というコンセプトの有効性を検証する目的で始まったものである点を強調するが、これもやはり、mBridge、あるいはBRICS等による新たな決済システム構築の可能性を前に、地経学的考慮が皆無とは言い難いであろう。
6.通貨覇権とデジタル通貨
6.1 ドルの覇権
現在、ドルは基軸通貨だ。世界の準備資産に占める米ドルの比率はピークより10%強低下したが、現在でも60%近い。2位のユーロは20%程度、人民元に至っては2%程度だ。外国為替市場取引における通貨別シェアも、米ドルは89%であり[10]、2位ユーロの29%、3位日本円の17%。4位英ポンドの10%、5位人民元の9%を大きく上回っている[11]。経済規模においても、中国が世界の17%とその地位を上げたけれども、米国は26%と1位を維持している。基軸通貨に強い「慣性」が働くことも考えれば、現時点ではドルの基軸通貨としての地位は安泰であろう。
ドルに挑戦し得る通貨としてはユーロと人民元が挙げられる。しかし、ユーロに関しては、通貨統合には成功したものの、財政の統合は進んでいないという跛行性が弱点として残る。欧州共同債券の発行など財政の部分的な統合への兆しはみられるものの、現時点ではそうした動きは限定的だ。人民元については、最大の障害は、国際化に向けた当局の意思であろう。オフショア市場での人民元利用の促進や、2015年にはIMFの特別引出権(SDR)の構成通貨となることが決定する(そして2016年にSDR構成通貨となる)など、国際化に向けた一定の進展はみられるが、オンショアを含めて、人民元が真に自由で使いやすい通貨となるための規制緩和を含めた当局の努力は、現状まだ不十分と言わざるを得ない。ロバート・マンデルの国際金融のトリレンマに即して考えれば、「為替の安定」と「金融政策の自由」を重視する中国は、「資本移動の自由」を制限することがままある。2015年の人民元ショックに際して、外資企業も含めて中国から国外への送金が制限され事業活動に制約がかかった事例は記憶に新しい。さらには、中国の国家体制、透明性、法治主義が貫徹されるかと言った問題に関する本質的な懐疑も、人民元が基軸通貨となるにあたっての懸念点となるであろう。
6.2 当分安泰な基軸通貨ドル。しかし、「徐々に、(そして突然に)」?
以上のとおり、基軸通貨としてのドルの地位は当分安泰だと考えらえる。しかし、注意が必要なのは、基軸通貨としてドルを全面的に代替する新たな基軸通貨の誕生の可能性ではなく、貿易、送金、外貨準備といった個別の取引において徐々にドルの比率を下げて行こうとする各国の動きだ。ドルが基軸通貨であることで、米国は、海外からの低利の借り入れという「法外な特権」を得るだけではなく、金融制裁などドルを「武器化」することで地経学上の大きな利益を得ている。2024年にウクライナを侵略したロシアは、SWIFTからの排除と、海外の外貨資産の凍結という厳しい制裁に直面した。ドルの「武器化」に苦しんだロシアがBRICS Bridgeなどドル以外の決済ネットワークを志向したのは、ドルから基軸通貨の王冠を奪い取りたいからではなく、ロシアが米国による通貨の「武器化」に晒される範囲を少しでも狭めたいからだ。同様のインセンティブをもつ中国も、貿易決済における通貨建値を、以前は8割程度が米ドルであったところを近時は半分程度を人民元建とすると共に、外貨準備もドルの比率を下げつつ、他通貨や金の割合を増やしている。また、上海国際エネルギー取引所(INE)で2018年から人民元建の原油先物取引が開始されると共に、サウジアラビアとの間での人民元建て原油取引の検討についても報道されている。
中国人民銀行は、2012年に、国境を越えた人民元建ての決済の効率化を目的として、人民元クロスボーダー決済システム(Cross-Border Interbank Payment System:CIPS)の構築を開始、2015年10月にCIPSフェーズ1が稼働した。フェーズ1では、50か国・地域の19の銀行が直接参加、176の銀行が直接参加銀行経由で間接的に参加した。もともとCIPSは決済システムであり、金融情報メッセージとしては基本的にSWIFTを使用していた。従ってCIPSがSWIFTに対抗・代替するものと位置づけるのは、少なくとも当初の姿の説明としては正しくない。しかし、CIPSは、直接参加銀行間では、SWIFTに依存しない独自の金融情報メッセージの送信が可能である。CIPSは2018年3月にフェーズ2が稼働。直接参加銀行は、当初19行であったがその後大きく増加し、2025年には193行となった。外交問題評議会のBenn Steil 氏は、2024年から2025年にかけてSWIFTにおける人民元の比率が低下したが、これは、国際送金全体に占める人民元の比率の低下を示すというよりも、人民元送金に際しての金融情報メッセージがSWIFTからCIPS固有のシステムに移行したことに伴うものと指摘する[12]。CIPSに基づく送金はSWIFTに支配されない世界の広がりを後押ししている。
さらに、西側の一員であるEUも、トランプ第2次政権による一方的な関税賦課、グリーンランド所有の脅し、といった米国第一主義の強風を前に、欧州の戦略的自律の必要性をより強く意識するようになった。そのような認識は、デジタルユーロの推進を後押しするものとなっていよう。
ドルの基軸通貨としての地位は、当分は安泰であろう。しかし、ドルの武器化を含めて現状に不安を覚える各国は、ドル以外の通貨の利用範囲を広げる試みを徐々に進めていくだろう。「徐々に」が将来どこかでティッピングポイント迎えて、「徐々に、そして突然に」(アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』)に転換する可能性を完全に否定することはできないだろう。
6.3 最大の敵は自分自身
ジャーナリストで経済・通貨に関する多数の著書を持つPaul Blustein氏は、2025年の著作“King Dollar”で、米ドル覇権は将来も継続すると主張する。しかし、同氏は、そうしたドル覇権の継続は「米国政府による壊滅的な失策がない限り」と注意深く条件を付している[13]。また、同氏は、基軸通貨として受け入れられるためには、当該国で「法の支配」が尊重されることが重要であることも指摘している。再選後のトランプ大統領は、WTOルールや二国間協定に反する形で一方的に関税を賦課し、米国がグリーンランドを所有すべきと主張し、中央銀行(FRB)の金融政策に圧力をかけ、ベネズエラの主権を犯してマドゥロ氏を拘束・連行し、国際法違反が濃厚なイラン攻撃をイスラエルと共に実行し、トランプコインなど暗号資産で自らの懐を潤した。これらは、ドル覇権の継続に役立つ行為とは言い難い。
ただ、ドルに退位を迫るほどの「米政府による壊滅的な失策」に該当するかは分からない。加えて、連邦最高裁判所はトランプ大統領の相互関税を違法と判断し、FRB(FOMC)はトランプ大統領の意向に必ずしも従わない姿勢を示すなど、分権的に設計されている米国の制度は相当のレジリアンスを持つ。強靭な制度が持ちこたえるのか、あるいは、「法の支配」への攻撃がドル覇権を毀損するのか、その答えはまだ出てはいない。制度の持つ強靭性と、基軸通貨の持つ「慣性」と、他に代替する通貨が存在しない現状に鑑みれば、ドル覇権が今後も相当の期間継続することを期待するのは不合理なことではなかろう。しかし、基軸通貨の立場を維持しつつも、人民元など他の通貨が貿易取引を中心に利用が増加していく可能性はあり、トランプ政権による「失策」はそうした傾向を後押しする性格のものであることは否定しがたいだろう。トランプ大統領のデジタル通貨政策が、暗号資産業界からの献金等の影響で、金融システムの安定を軽視し、過度に業界の利益を重視したバランスを失するものとなれば、デジタルドルがドル覇権の拡大ではなく、逆にドル覇権のスコープを縮めることを手助けすることとなる可能性もある。
6.4 終わりに
デジタル通貨の議論は、当然に技術的要素が強い。技術的にフィージブルでなければ実現不可能であり、技術的妥当性を巡る検討・議論は大変重要だ。また経済合理性、金融システム全体への影響も十分に考慮されなければならない。同時に、現実の国際政治の中で、デジタル通貨がもつ地経学的な影響も無視できない。中国は、(厳密なCBDCから軌道修正を図りつつ)デジタル人民元を引き続き推進し、mBridgeを含むホールセールでの非ドル決済のネットワークを模索している。欧州は、米国のプラットフォーマーによる支配を警戒しつつ、CBDC形式でのデジタルユーロを2029年に導入すべく、制度設計と実証を進めている。米国は、政権交代に伴う思想的な方向転換も経験しつつ、競争力ある民間の活力をいかし、現在の基軸通貨ドルの力をさらに強化すべくステーブルコインの振興に取り組んでいる。ドルステーブルコインの拡大は、信頼できる通貨を持たない途上国等においてドル化を促す可能性があり、途上国政府自体の主体的な意思決定を欠くドル化は、各国の通貨主権を脅かすものともなり得る。デジタル通貨として有望なCBDC、ステーブルコイン、トークン化預金。異なる国が異なる手段を採用し、各国間で競争と共存が図られ、さらに通貨間の競争と、クロスボーダー取引円滑化のためのプルリ、マルチの協働も同時に進む。技術、経済、地経学が織りなす通貨の複雑な織物。その模様はまだはっきりとは見えないが、我が国としても、広い視座から主体的に検討を進めて行く必要があろう。
(出典: Shutterstock)
参考文献
- (第1部、第2部、第3部を通して参考とした文献を記載)
- Kenneth Rogoff, Our Dollar, Your Problem, Yale University Press, 2025
- Daniel W. Drezner, Henry Farrell, Abraham L. Newman, The Uses and Abuses of Weaponized Interdependence, Brookings Institution Press, 2021
- Paul Blustein, King Dollar, Yale University Press, 2025
- Barry Eichengreen, Exorbitant Privilege, Oxford University Press, 2011
- Susan V. Scott and Markos Zachariadis, The Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication (SWIFT), Routledge, 2014
- Juan C. Zarate, Treasury‘s War, PublicAffairs, 2013
- Eswar S. Prasad, The Doom Loop, Hurst&Company, 2026
- 大塚雄介 『いまさら聞けないビットコインとブロックチェーン』 ディスカヴァ・トゥエンティワン 2025年
- 鈴木一人 『地経学とは何か』 新潮社 2025年
- 相良祥之 「ステーブルコインの期待と危うさ」 Forbs Japan 2026年4月号
- 大矢伸 『地経学の時代』 実業之日本社 2022年
脚注
- [1] 三菱UFJ銀行など世界大手10行、G7通貨連動のステーブルコイン検討へ – 日本経済新聞 2025年10月11日 日本経済新聞
- [2] Group of leading international banks explores issuance of a 1:1 reserve-backed form of digital money – BNP Paribas 2025年10月10日 BNP Paribasプレスリリース
- [3] 国際通貨研レポート 前掲 国際通貨研レポート
- [4] III. The next-generation monetary and financial system BIS Annual Economic Report 2025、BIS、2025年6月24日
- [5] もっとも、我々が通常利用している預金通貨は、民間銀行の債務であり中央銀行の債務ではない。それでも、我々が銀行に預金するときに銀行の財務状況に関するdue diligenceを行わないのは(そして単一性が維持できているのは)、金融当局の監督、預金保険、そして中央銀行の流動性供給といった政策措置の結果である。ステーブルコインが銀行預金と対比において原理的に「単一性」を欠く存在とは言えないように思われる。
- [6] 本パラグラフでは、ドル建ステーブルコインの推進が米国債への需要を高めるが、ドル建ステーブルコインの償還が殺到する場合に米国債が暴落するリスクについて論じている。前提としては、ハガティ上院議員が主張するように、ドル建ステーブルコインが米国債の需要を高めること自身は米国にとって良いことと仮定している。この仮定は、多くの場合には首肯されると考えるが、米国債への需要の増加はドル高要因となるところ、<前編>「2.2」で述べたとおり、ミラン氏のように、ドル高が製造業の国際競争力に悪影響を与えるという「基軸通貨の負担」の問題がここでも生じ得る点は留意しておく必要がある。
- [7] BIS、中銀デジタル通貨の国境を越えた決済基盤プロジェクトから撤退 | ロイター 2025年10月31日ロイター
- [8] 分散型台帳に契約ルールやロジックを書き込んでおくことで、一定の条件を達成した場合に自動的な取引や処理が実行される仕組みのこと。取引の迅速化、改ざん防止、複雑なオペレーションの過誤なき遂行などが可能となる。
- [9] 【講演】武田決済機構局長「技術革新と地政学リスクの下での通貨・決済システムの未来」(FISC講演) : 日本銀行 Bank of Japan 2025年7月31日 日本銀行
- [10] 外国為替取引は、一つの取引が二つの通貨間の取引となるため、シェアの合計は200%となる。
- [11] 「2025年BIS世界外国為替市場調査について」橋本将司 2025年10月10日 国際通貨研レポート
- [12] How Cross-Border Chinese RMB Flows May Weaken U.S. Sanctions | Council on Foreign Relations March 6, 2026、Benn Steil, Council on Foreign Relations
- [13] “the dollar’s global dominance is almost impregnable, and will remain so barring catastrophic missteps by the US government.” Paul Blustein, King Dollar, ale University Press, 2025, pp18


主任客員研究員
2024年11月より現職。その前は国際協力銀行(JBIC)にてインフラや資源プロジェクトのファイナンス、排出権ファンドの立ち上げ等に従事すると共に、JBICニューデリー事務所長、欧州復興開発銀行(EBRD)東京事務所長など歴任。2024年8月より双日総合研究所チーフアナリスト。 ボストン大学法学修士 ジョージワシントン大学金融修士
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